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僕は時給いくら

仕事が辛くて、現実逃避のせいか自然とindeedなどの求人募集を見てしまう。

未経験でも就労可能な仕事をメインに検索して、時給○○円という記載を眺めながら、どうしたものかと近くのイオンで一人佇んでいる。

僕の給料は月給制だから時給換算したことはない。ただ求人募集の金額を月給換算すれば今より収入が減ってしまうことがほとんどである。未経験者からの勤務だから安いのは決まっていて、仕方ない部分はある。

僕は別に給料を気にする人間ではないはずだった。30代の前半に短い期間ではあったけどアルバイトみたいな仕事をしていたことがあった。年収ベースで半分以下に落ち込んだが、別に自分としては不満はなかった。生きていけるだけのお金があって、やりがいがあればそれでよかった。

結婚していない、家族がいない人間の強みかもしれない。

一方で、プライドめいたところもあって今の職を選んだ理由のひとつに給料の良さがあった(あと離職率の低さ…色々おかしいな)。

相反する自分の二面性を見ながら、どっちが本当の自分なのか問う。そして何を言ってるんだと思い返す。苦しい今から逃げたいだけなんだと確信めいた答えはとっくの十年以上前から出ている話だ。

眼の前にある時給いくらの求人募集と、今の自分の仕事を改めて思う。

交互に見やると、ぼんやりと二人の自分が浮かぶ。どっちがいいんだろう。死んだ魚の眼をくり抜いて艶やかな義眼に色づけた今の自分が得る対価は、それはそれでシンドいものがある。

ある友人は「物事の多くは金で解決できる」と言った。

否定したくなる言葉ではあるのだが、不思議なことにそれなりに真理なような気がする。働かなくても生きていける金があれば、そりゃみんなは働かない。自己実現のため、成長のために無償で働く人なんてどれだけいるだろうか。そんな人たちは頼まずともボランティアに出る。

僕らは金がかかる人生のために働いている。心を殺してでも笑顔で「ありがとうございました」と客に頭を下げる。どんな相手にでもだ。

顔を上げてみれば、イオンで働くパートのオバちゃんたちがあくせくと働いていた。彼女たちは時給いくらなんだろうか。

「ああ、楽しそうだな」とイオンのオバちゃんたちを素直に羨ましがっている自分がいる。きっと時給は僕のほうがいい。なのに僕は幸せじゃない。目の前の人たちを羨みながら、「今日もなんて辛い日なんだろう」とネットの片隅でつぶやいている。

かつての友人の言葉を覆す現実に直面し、僕はまた頭を悩ますことになる。

僕は時給いくらが適切な人間なんだろう。答えがほしい。

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