見出し画像

浪花路を駆け抜けたヒロインその1 キャリー・メイ選手【アイルランド】

昨年から、外国人選手招聘業務で関わらせて頂いている大阪国際女子マラソンは、2021年大会が、40回の記念すべき大会となります!

第1回目の開催は、1982年。
数々のドラマを生んできた大阪国際女子マラソンですが、日本の女子マラソン黎明期から来日し、浪花路を駆け抜けた外国人選手の方々を思い出し、私なりの視点で、ご紹介させて頂きたいと思っております。オールドファンの方々、若いファンの方々にも楽しんで頂けたら嬉しいです。

第1回目は、アイルランドの妖精 キャリー・メイ選手

メイ選手は、第2回、第4回大会に優勝。ブリガムヤング大学に在学していた大学生の時に、国内のレースで初めて2時間30分を切るタイムで優勝されました。アイドルのような愛くるしい笑顔は、「アイルランドの妖精」と呼ばれ、当時の関西地区のテレビ視聴率は38.9%に達したそうです!

おぼろげな記憶ではありますが、前傾で柔らかいフォームを武器に、中盤あたりから独走されていたイメージがあります。

↓↓↓Twitterでメイ選手に関するツイートを発見しました‼︎

メイ選手は、1959年アイルランドのダブリンで生まれました。
陸上競技のスタートは、400m、800m、400mハードルを走られ、400mハードルは、ダブリン選手権で63秒の記録があるそうです。

主要大会のマラソンは、1982年ヨーロッパ選手権(18位)、1983年ヘルシンキ世界陸上(13位)、1984年ロサンゼルス五輪(28位)という成績のメイ選手ですが、大阪では二勝と、部類の強さを誇りました。(マラソン成績は20戦8勝)

現在は、米国・カリフォルニア州在住で、ウルトラマラソンや山岳レースを走られているメイさん。現在のアスリートに対してのメッセージで、心に残る言葉がありましたので、ご紹介させて頂きます。

自分に失望しないでください。 悪いレース/トレーニングセッションがあったと思ったら、後でもっと頑張ってみたかどうかを自問してください。 答えが「いいえ」の場合、その時点で100%を与えており、それ以上のことはできません。 あなたの100%の努力は、いつの日か成功に変わるでしょう。常に自分を誇りに思ってください。
※多少、翻訳が間違っているかもしれませんが、大枠は、ずれていないと思います。

第1回目いかがでしたか?2021年大会までの期間、月イチペースで、ご紹介できればと思います🎶

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?