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ペースメーカー制御バイクの裏話

プロローグ

大阪国際女子マラソンが終わって、はや4日。
依然として、心身のダメージが回復しません(笑)

今回のnoteでは、私が乗車したペースメーカー制御バイクの裏話について書こうと思います。

マラソンファンの方なら、馴染みがあると思いますが、私のnoteのフォロワーの方は、陸上競技関係以外の方が多いので、ペースメーカー制御バイクについて、説明させて頂こうと思います。

好記録を狙うために、ペースメーカーという存在があるのは、ご存知かと思いますが、簡潔に言うと、そのペースメーカーに対し、乗車するディレクターが1キロごとに指示を出し、ペースメーカーが、安定したペースを維持できるようにサポートするのが、ペースメーカー制御バイクの役割です。

日本では、東京マラソンレースディレクターの早野忠昭氏の存在が、あまりにも有名ですね。

大阪国際女子マラソンでは、前回から、ペースメーカー制御バイクを導入し、前回は、我々のチームから、世界陸連公認代理人資格を持つ佐藤幹寛氏が乗車しましたが、米国在住の佐藤さんが、コロナの影響で、来日できない状況もあり、私に大役が回ってきたというのが真相です。

初めて乗車するレースが、日本記録を狙うレース。
不安がないと言ったらうそになりますが、こうした機会はそうそうないので、ペースメーカー制御バイク導入が決まってから、色々と準備を始めました。

準備段階

まず、一昨年、大阪国際女子マラソンのレースディレクターの澤田さんと一緒に、早野さんのお話を伺った際のメモを読み返すことから始めました。

早野さんからは、『ペースメイキングは、ペースを守らせるだけでなく、そのコース、選手の表情から読み取るセンスと経験が必要』・・・などなど、大変貴重なアドバイスを頂きましたが、正直なところ、自分には、ちょっと無理があるな(汗)と感じました。早野さんのような輝かしいキャリア、能力がある方なら、こうした高いレベルで対応可能なんでしょうけど、今回の自分が、全部完璧にやろうとすると大失敗しそうな気がしましたので、あえて、早野さんのアドバイスは忘れることにしました(苦笑)

今回、私が実際に行った準備は、

・一山、前田選手のレース映像を100回程度視聴
・男子ペースメーカーのレース映像確認
・数えきれないほど、大阪国際女子マラソンのコースチェック(実際は周回コースになりましたが)

主にこの三点です。特に力を入れたのが、一山、前田選手のレース映像チェック。もう時間があれば、二人の映像を見ていましたので、マラソン当週は、お二人が夢の中まで、出てきてしまいました。

レース前

金曜日の招待選手の記者会見を見ていて、お二人ともに、少し不安材料があるのかな?と直感的に感じました。
武冨監督の事前のコメントで、「序盤でリズムに乗れるかどうかが鍵」というお話もあったので、前田選手が序盤で遅れることも想定していました。
でも何とか、20分切り、自己記録更新は達成して頂きたいという思いもあったので、田中飛鳥選手にフォローに回ってもらうよう、準備していたわけです。

一山選手に関しては、練習が抜けた期間があったそうですが、仕上がりは悪くない様に思いました。ただ、日本記録更新に関しては、五分五分かなと感じましたね。野口選手の全盛期のレース・練習を見ていた者としては、トレーニングが完璧ではない状態で、あの記録が破れるのだろうか?という疑問もありました。それ程までに、高橋尚子、野口みずき選手のインパクトが大きかったのが、私がマラソン選手を指導していた(1999~2007年)時代です。

こうしたことから、レース前に、想定していたプランとしては、

プランAを日本記録更新ペース
プランBを2時間20分切り
プランCを一山選手の自己記録更新
プランDを大会記録更新

上記の4パターンを考えていました。野口選手の日本記録LAPと共に、B5サイズの用紙に纏め、いつでも見れるように、首から下げていました。

レース当日

朝は、少し早めに起きて、ストレッチをした後、バイクに乗車する時の持ち物、衣類をチェック。リハーサルでは、後半、かなり下半身が冷えてしまったので、ユニクロで購入したヒートテックのインナー上下に、貼るホッカイロを、お腹用に、手が冷えた時の暖を取る用に、小さめのホッカイロを二個用意しました。

朝食は、エネルギーとなるご飯を二杯、みそ汁を頂いた以外は、ほとんど手をつけませんでした。特に繊維質関係や、冷たい飲み物、コーヒーは、厳禁!選手なみの調整で、スタート5時間前からは、少量の水分以外は、一切摂りませんでした。

当初、万が一のことも考えて、紙おむつも準備しようかと考えたのですが…
ちょっと、気恥ずかしさもあったので、やめました。

レース中

自分でも驚くほど、冷静に、落ち着いて、レースに入っていけました。

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レースの装備はこんな感じ↑↑↑

通信手段や方法については、守秘義務があるので、明かせませんが、バイクのライダーさんは、東京マラソンを担当されている〇〇さんでしたので、本当に心強かったですね。何度も助けて頂きました。

レース中の詳細に関しては、企業秘密にしておきますね。

永山監督

レース後、一番嬉しかったのが、永山監督@ワコールが、『ありがとうございました。力不足で申し訳なかったね』とわざわざ、こちらに来て下さったことです。

永山さんとの出会いは、1997年の東日本実業団陸上の時。当時、ゴールドウィンにお勤めだった永山さんに、リクルートの選手がお世話になったのが、きっかけでした。

その後、永山さんは、ワコールの監督に就任。
就任当初のボルダー合宿で一緒になりましたが、本当に苦労されて、一からチームを創ってこられました。

福士選手の活躍と共に、なかなか気安くお話できない存在になっていかれましたが、私が実業団から離れた後も、気さくに声をかけて下さり、時々冗談交じりに、いじって頂いております(笑)

ワコールというチームの監督、オリンピック選手を指導するプレッシャーは、凡人の私には、想像がつかない世界ですが、今回、ほんの少しの時間でしたが、関わらせて頂くことができ、光栄に思っております。これからも宜しくお願い致します。

エピローグ

しばらく『大阪ロス』が続きそうですが、そろそろ通常業務に戻っていかなくてはなりません。

今回、心残りだったのは、日本記録の更新ができなかったこと。
もし機会を頂ける様でしたら、再度、大阪で、ペースメーカー制御バイクに乗車させて頂き、再チャレンジしたいという思いがあります。

次回大会以降は、外国人ペーサーに指示を出さなければいけないので、英語は必須になってきますね。まずは、英会話の勉強が必要です!

拙い文章でしたが、最後までお読み頂き、ありがとうございました。




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