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be there さいたまスーパーアリーナ 1日目に行った話

「ああ、ついにこの日が来てしまった」
5月27日は朝から落ち着かなかった。土曜日だったけれどいつもと同じ時間にちゃんと起きて、顔を洗って歯を磨いて、着替えて朝食を食べた。
土曜日は燃えるゴミの日だから、朝食を食べ終えて洗い物をした後でゴミ袋を一つ片手に外へ出た。良く晴れていて気持ちのいい朝だった。
住宅街だから通りに人はほとんどいなくて、自転車に乗った人が静かに通り過ぎていくのを横目に僕はゴミを指定されたボックスに放り込んで部屋に戻った。
チケットを取ったのがいつだったかもはや思い出せなかった。それでも頭の片隅、いや胸の奥のどこかにずっと今日のことを抱えながら多分半年くらいを過ごしてきた気がする。
ライヴに行くというのは、僕にとってけっこう色々な側面と影響を持つものだ。コロナの前は仕事の帰りに適当なライヴハウスに行ってライヴを見て帰るということが普通にできていた。東京に住んでいる特権みたいなものにさえ思えていた。
ところが周知の通り、僕たちの世界はコロナという新しい境界線が引かれた結果中々それも難しくなったし、音楽業界もコロナ前と後では大分ライヴに対する意識も変わった。自分自身も前ほどライブに行きたいという気持ちはなくなった。
もちろん日常的に、仕事で音楽に触れる機会というのが非常に多く、そのせいでもうお腹いっぱいみたいな状態になっているのかもしれないけれど、コロナ前に比べて音楽に対して情熱を持てなくなったことは事実だ。ただしそれが何か特別な意味のあることだとも別に思わない。肯定的にも否定的にも。要するに”たまたま”そういう時期なのだろうと、今は思っている。

それでもチケットをとったのはバンプだった。
今年の頭ぐらいだろうか。メールを見るとチケットの当選メールが来たのが1月14日だった。もはや9割方惰性でチケットを応募していた。
というのもすでに15年ほど、ほとんどすべてのツアーやライヴに応募して悉く抽選に漏れ続けていたからだ。
唯一、一度だけ彼らの演奏を聞いたのはHappyという楽曲のPV撮影が六本木で行われた際、観客を入れての撮影だったため、それに応募して当たった時のことだった。あれはあれで稀有な体験だったが、正式なライブではなかった。ガラスのブルースとかを演奏してくれたのは覚えているがそれでも確かHappy含めて3曲だったかな。ライヴはおまけで、それは撮影が主たる目的だった。
僕は今33歳だ。もはやいつから応募しているのかなんて覚えちゃいない。
大学生の頃から、時には都合がつかないから応募しないこともあったけどほとんど毎回、バンプがツアーを、ライヴをやるとなったら応募してきた。
(フェスはそもそも興味があんまりないから除外していた)
今回のbe thereもどうせ外れることが分かっていた。もはやAurora arkの時点で完全にあきらめていたから、とりあえず惰性で応募だけ仕様ぐらいの感覚で応募したらあたったのが、5月27日のさいたまスーパーアリーナのS席だった。当たった時の心境は、特に何にも思わなかった。水面にほんの少しだけ波がたっただけで、次の瞬間には平常心に戻っていた。それは単純に当たったことへの喜びだとかが起こした波ではなく、見慣れない当選という文字が目に飛び込んできたからだと思った。
もはや自分の中の旬が過ぎていたのを僕は自分の心の中を覗き込んでありありとその様を思い知った。33歳の僕が10代に音楽に対して、或いはバンプに対して感じていた熱はとっくにぬるくなってしまっていた。冷え切ったとも違う。まるっきりの常温、そんな言葉がふさわしかった。
自分を作ってくれた沢山のミュージシャンのひとり(ひとつ)同様に、音楽室の壁に額に入れて飾られて埃をかぶっているような、思い出すことは少ないけれどずっと心の中にいるみたいな、そんな存在になっていた。良くも悪くも。
今更バンプのライヴに行ったところで…と思わないこともなかった。
ライヴに行くことは非日常を味わうことだ。だがその時の僕は、スマホに当選のお知らせというメールを表示させた僕は、バンプのライヴに行ったからって今更非日常を味わうことができるのだろうかという疑問と真正面から相対するという事態に陥っていた。
一方で、この機会を逃す道理はないという声が頭の反対側で鳴り響いているのも感じていた。
僕はとりあえず直前で気が進まなければリセールに出せばいいやと思いながらチケット代をファミリーマートで支払った。

バンプとの出会いは中学1年生の頃だ。
当時、まだあまり有名ではないにしろバンプの名前は地方の小都市の僕の地元にも届いていた。当時僕はまだそんなに熱心に音楽を聴くような子供じゃなかった。普通に学校へ行き、普通に部活に励み、普通に友達と遊んで過ごしていた。多少、人より本を読んだりゲームをするのが好きだったけど、
どちらかと言えば友達と外で遊ぶ方が好きだった。特に当てもなく自転車を走らせたり、海とか川とか、山に行ったりするのを好んだ。
僕が通っていた中学校は、多くの学校でそういうことがあったとは思うが、文化祭でテーマソングが毎年決められていた。そのテーマソングが毎年文化祭の時期になると放課後、完全下校時間ぐらいになると流れたりする。
その年のテーマソングが天体観測だった。
気になったのでリリース日を調べてみた
■天体観測 2001年3月14日リリース
僕が中学1年生だったのも2001年だ。文化祭は秋に毎年行われていたと記憶しているから、およそ半年前の楽曲がテーマソングになったことになる。
2001年にヒットした楽曲を見てみるとこんな感じだ。
■fragile / Every Little Thing 2001年1月1日リリース
■Can You Keep A Secret? / 宇多田ヒカル 2001年2月16日リリース
■アゲハ蝶 / ポルノグラフィティ 2001年6月27日リリース
これはもちろん一部分だけど、ほかにも有名な曲が多い。
その中で、僕の通っていた中学校の文化祭実行委員が天体観測をどうして選んだのかはほんの少し疑問に思うけれど、僕としては天体観測を推した彼、ないし彼女にお礼を言わないといけない。
今でも最初にこの曲を聴いた時のことは覚えている。
イントロのギター(これがギターという楽器、とりわけエレキギターという楽器で演奏されているということを知るのはもっと後だけど)からしてそれまでテレビや、スーパー、音楽の授業で聴いたことのある音楽とは何もかも違って聞こえた。疾走感と、わくわくが押し寄せてきて、その時たしか文化祭の準備で放課後に残っていて僕は看板か何かの色を塗っていた気がするけど、衝撃的過ぎて手が止まったのを今でもまざまざと思い出せる。
音楽的原風景、或いは原体験というのは多分人生でそのポイントが最初だったのではないだろうか。
ところがこの時、というかこの時代、耳にした音楽を調べる方法はまだ存在していなかった。いや、存在していたとしてもネットはまだ家庭に普及したてだったし携帯(ガラケー)なんかで調べる方法も分からなかった。それに僕は中学1年生の時にまだ携帯を持っていなかったから、なんとなくかっこいい曲だなあと思って聴いていただけだった。
友達に訊いてみればよかったのにと思うかもしれないが、多感な時期に
「この曲誰の曲?」なんて友達に訊く恥ずかしさを諸君らも想像に難くないはずだ。そんなことを訊くぐらいだったら、「なんだよこの曲」と悪態をつく方が中学1年生にとっては自然なのである。僕の場合は特にそんなこともせずに黙って聴くことに徹していた。おかげで作業が遅々として進まなかったことは大変申し訳なく思うが。

さてそこからどうやって僕が再びバンプに出会ったのか。単純な話である。
地元のCDショップだ。文化祭が終わってしばらくしたあと、あのイントロの強烈なエレキの音のせいで僕はすっかりバンドというものにはまっていた。
友達もそのぐらいの時期になってくると、テレビで流れる音楽だけじゃなくてあまり健全とは言えない音楽や、洋楽を好む者、ジャズを聴いたりする者と様々に音楽的な交差点で道を分かれていくこととなった。
僕の場合はバンド、主に洋楽の方へ走った。理由はなんとなくかっこいいからというのもあったが、ここで僕の音楽的原体験になっているバンドが現れる。Ellegardenだ。
詳細は省くが、世代を同じくする人なら想像に難くないはずである。
(surfrider associationをなけなしのお年玉で買ったのを今でも覚えている)
そんな風にして、Oasisとかにはまりながら日本のバンドにも少しずつ傾倒し出したタイミングで、CDショップに天体観測のCDが置かれているのが目に留まった。
文化祭の時期に飽きるほど聞いていたから歌詞も覚えていたし、周りの同級生が話したりしている内容から楽曲タイトルが天体観測、もしくはそれに準ずるタイトルであるということは把握していた。今思えば大分冒険に近いのだが、僕はそのCDを、中身が僕の知っている天体観測かどうかの確証もないまま購入し、家に帰ってCDプレイヤーにセットして聴いてみると、
あのイントロが流れた。予想は当たっていた。
ギターの音、藤原基央の歌声、増川弘明のギター(この時弾いてるんかな…)、直井由文のベース、升秀夫のドラム、こんなに心地の良い音楽がこの世界にあったのかという感動、言葉にできないほどの情報が嵐のように渦を巻いて、それは10代の少年だった自分に音楽という世界の扉を開いてくれた体験だった。要するにやられてしまったのだ。
そこから色々な音楽を聴いた。とりわけバンプの曲は当時出ていたすべてをTSUTAYAに行ってレンタルした。MDに入れてどこに行くにも聴いていた。
翌年か、翌々年にパソコンを数年分ためたお年玉で購入し、ポンツカ(彼らのラジオ番組)のインターネット配信を聞き始めた。驚くことに当時すでにインターネット放送をしていたのだった。
そんな風にして僕はバンプとは、彼らの音楽とは人生の半分以上、もう20年ぐらい一緒にいる。
高校で吹奏楽部に入って自分もプレイヤーになって、大学でギターを始めてバンドもやった。今も音楽と自分という生き物が切っても切れない縁でつながっているのを感じている。
それでも、大人になるにつれて、情熱は少しずつ熱を奪われ、荒れた土地がが整地されるように感情が均一化され、いつしか新しい音楽を掘ることも少なくなっていた。ゼロではないがやはり10代ほどじゃない。
それについては寂しく思うと同時に、それが当たり前でもあるとも思う。
新しい音楽を聴くこともまだ多い。その点についてはああ、やっぱり自分の中で音楽は死んでいないのかなとも思う反面、昨今の音楽業界に心底反吐が出る思いを抱えているのもまた一面の真実として自分が感じていることでもある。

冒頭に戻る。
「ああ、ついにこの日が来てしまった」
僕はこの日が近づくにつれ自分の中にちっぽけな恐怖心が芽生えているのを感じていた。それは、期待外れだったらどうしようというものだった。
Happyの撮影が行われたのは2010年の4月10日だ。あれから13年も経過している。当時僕は大学生だった。今はもう社会人でおじさんの仲間入りをする年齢にさしかかっている。
感情が揺れ動くことは日々の生活で少なくなり、仕事に追われ、多くの悩める俗人の中のひとりだ。
思ったよりもすごくなかったら、念願叶うけれどもあのままチケットが当たらないまま、憧れのままにしておいたほうがいいのではないかと、まるで恋する中高生みたいな気持ちを抱きながら、それでもさいたま新都心行きの電車に揺られていると、たくさんのツアーTシャツやグッズを身に着けた人と同じ空間にいることに気が付いた。
一方僕の方は完全に私服だ。ライヴに行ったことがないから、当然ツアーグッズなんて持っていない。事前通販も、行くかどうか決めあぐねていたからスルーした。他のミュージシャンのライヴでもそうだが僕はあまりグッズを買う方ではない。けれども到着したさいたま新都心を歩く人たちのほとんどがツアーTや、いつかのライヴT、グッズを身に着けていた。
少しだけ羨ましくなった。ライヴだけ見てさっさと帰ろうと思っていたから、グッズを買う時間を考慮しておらず、自分のチケットに記載された席についたのが開演2分前だった。PIXMOBを腕につけて、その時を待った。
席はアリーナDブロックだった。メインステージははるか彼方だったけど、中央のせり出しは比較的近かった。
アカシアのイントロが鳴り始めた。歓声と拍手が大きくなって、会場の温度が一気にあがった。さいたまスーパーアリーナは僕にとって初めての会場だった。遠く、メインステージに4人が現れたかと思ったら、せり出しの方に来てくれたおかげで結構近い距離で彼らの演奏を見ることができた。
そこからは本当にあっという間だった。
中学1年生の時に僕の世界をひっくり返してくれた天体観測のギターが聞こえてきたり、耳なじみのある楽曲の数々、新しい曲の窓の中から、いつもの彼らのラジオみたいなMC、そして個人的にものすごくうれしかったホリデイ。おもちゃ箱をひっくり返したみたいなライヴがあっという間に終わっていった。

期待外れだったらどうしようと、もし僕のように思っている人がいたら、
安心してほしい。これだけ長い間、彼らのライヴに憧れ続けた僕が行って、寸分の後悔も抱かないほど彼らのライヴは行く価値がある。楽しいとか、すごいとか、まあそんな言葉に直す必要がないくらい、彼らのパフォーマンスには魔法のような力がある。
たぶん、自分と似たような体験を持っている人も本当にたくさんいるのだろうと、ライヴに来ていた人の顔を見て感じた。PIXMOBの明かりのひとつひとつに自分と同じような気持ちの人がいると思うと、あの明かりのひとつひとつがとても愛おしいものに感じられたし、それはバンプにとってもそうなのだろうと思う。
やっと来れた人にも、何度も来ている人にも、バンプは一対一で音楽を届けてくれる。
そういうミュージシャンの音楽が自分の音楽の原体験となっていることに対して僕はようやく素直に誇りに思うことができるようになってきたのかもしれない。
「ああ、ついにこの日がきてしまった」から始まった一日はすさまじい速度で終わりを迎えた。
帰りの電車や乗り換えの駅で一人また一人、別れていくTシャツやタオルを身に着けた人を眺めながら、事後通販でグッズを買うことを心に誓い、自分もまた変わらぬ日常へと帰ることに少しだけ寂しさを覚えたけど、結論としては行けて良かったと、心の底から思えたライヴだった。







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