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それでも見上げれば虹があり希望で溢れてる

物心ついたら、言葉の砲弾のもと、戦場にいた


父と母はとてもシリアスな喧嘩をひっきりなしにしていた。

2人の妹たちとその中で、肩よせ合って、なんとか生きていた。

隣の県の母の兄である家庭の従兄弟の夫婦仲は睦まじく感じられた。

吾ら一家の住んでいる県の生まれ故郷の北方の県の家庭も様様だった。

母は10人兄弟の末娘だった。

類稀なる言語センスを持っていた彼女は、夫である吾ら3人兄妹の父の悪口を言って、自分の味方にしようと意識しているか否かはわからぬが、寂しさを紛らわせていた。

自分は、そんな両親と妹たちの橋渡しであろうと、何時も行動していた。

母の姉たちは
「ターボは本当に親想いなのに、可哀想だ」
と、甥である自分をいつも気遣ってくれていた。

受験勉強をしていた時も、酒を呑んで、心情を吐露する父の言葉に耳を傾けたりしていた。

両親の修羅場を3人はいつも体験し、
「結婚とは啀み合うためするもの」
という認識を抱いていた。

上の妹は、20代の終わり頃、結婚をして、都会で2人の男の子を儲け、今も元気に暮らしていてくれてることを自分は祈っている。

下の妹は、自宅近くの県都で、独身でアパート住まいをしてるはずだ。

567などで、喧しい現在、どの様に暮らしているか、気がかりではある。

自分は、1番若い地元のプロ野球球団が日本一になった時、大怪我を負い、2人の妹や離婚して、遠方にいる父ともコミュニケーションを密にとり、幸せな時間を過ごした。

父も母も現在はそれぞれ老人施設にお世話になっている。

2人が元気な内に、また、兄妹3人で、それぞれと長閑な時間を過ごせたら、と望んでいる。

「お母さんが、本当に愛しているのはお父さん」
と、上の妹は言っていた。

3人で、施設の父を数年前、見舞ったとき、初めて麗かな時間が流れていた。

父の直ぐ下の叔父の奥さん、つまり、義理の叔母さんに、父母が若い頃から何度も大きな喧嘩を繰り返した大恋愛であった、と教えてくださった時、3人は驚いて
「大恋愛は大迷惑」と語り合った。

心が幼過ぎた2人はつまり、全力で綱引きをしていた、のだ。

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