〜たかふみ〜 TakaFumi
──古より続く詩想する魂の旅程──
恋愛や結婚について、両親を見ていて、気づいたこと。
新たなる楽郷へと
想鐘 虎鷹 歯科医の友人はおらあが、入院した時、其れは其れは豪勢なフルーツバスケットを2度もくれた。 本当に彼はいい奴なんだ。 だが、彼は、おらあに自分より幸せでいて欲しくはなく、出来得るなら、おらあに強烈な羨望の眼差しを向けられる事を望んでる、のだろう。 「ナヤに勝った」 中學最後の期末テストが終わり、とても喜んでいた彼の様子を見て、おらあ、本当に嬉しかったんだ。 でも、何十年も経て、其の事を話した時、奴は怪訝な顔をしていた。 多分、おらあに心からの悔しさを感じ
想鐘 虎鷹「そんな人をそんな様な処に配置すべきじゃないよね」 と店主は当たり前という口調で、彼の正面のカウンター席のお客に対して、同意を求めていた。 もう二昔前の、既に当時は有名店となっていた飲食店でのやり取りの様子が浮かぶ。 詳しい内容はまったく、覚えておらぬのだが、彼の其の時の信念とは [障がい者を受付などという重要なポストに置くのは間違っている]というものであったと記憶している。 何らかの不利益や滞りなどを被ったのかも知れぬが、果たして、あなたもそう感ずるであろう
想鐘 虎鷹 7年半程前、中學からの友人であった男に絶交された。 彼は中3の時、転校して来て、ハンサムな男だった。 当然、女子からも人氣はあった。 彼とは1番後ろの席で隣りで、担任の大谷律子先生の数學の授業中、教科書を立て、隠した『俺の空』を一緒に読み進め、一瞬、授業で何をやってるのか、2人共把握出来ず、先生に質問をする羽目に陥った事もあった。 彼曰く「先生はあの時、自分たちが漫画本を読んでた事に絶対気付いてた」 一昔位前、彼は「大谷先生にお会いした」と述べ、仕切りに
想鐘 虎鷹 田や人工湖に今年も又、白鳥たちが集っている。 此の七歳、ほぼ独り、又、明治天皇の誕生日を迎える。 デフォルトが独りなのだから、慣れてはいる、積もりだ。 だが、望む状況は訪れず、本年も暮れ行く、のだろう。 幸せそうな家族連れなどを眺め、鹿角を細工して作った煙管にシャグを詰め、ベンチに座り、喫し、自身を顧みる。 与えたものが与えられ、後は天に任せよ、と何度告げらても、「確かに其れはそうなのではあるが、此の飢渇を如何にせよ、と言うのか」と不満を抱き、こうして
想鐘 虎鷹 「人の不幸は蜜の味」とかいう言葉がある。 自らの人生で余程、酷い事をされたりした人物に対してなら、そう感じてしまうだろう、と自分を振り返り想う。 半世紀以上の年月を放浪して来て、出会した人の中には、憎んでしまう程の人物も何人かはいた。 幾人の人人には、此の自分自身も、其の様な存在であったのだろう、そう想像している。 人が他者に辛くあたってしまう、という事態の根抵には、其の人物が充たされぬものを抱え、不幸な状況下でも懸命に生きてる、という、そんな健氣で儚い
想鐘 虎鷹 大昔の人は大地は平らで、其の下には象や亀、其の他諸諸がいて支えてる、と此の世界を想像してた、という話がある。 世界の果てでは海が滝の様に落ちていると信じてる人が多かった時代、コロンブスが此の世界は球で、必ずインドに行き着くはずだと考え、結局アメリカ大陸の人人を蹂躙する端緒となった大航海時代は白色人種の有色人種に対する虐殺や収奪の幕開けで、誰が誰に対して後悔するのが適切なのだろう。 太陽が此の世界を周ってるのではなく、地球と言われる此の世界の方が太陽の周りを公
想鐘 虎鷹 人は生きている中で、自身の嬉しさや悲しみ等、様様な体験をしている最中、或る事に此れ以上ない幸せを感ずると其れを何者かに感謝する。 其れを運命と呼ぶか神と呼ぶか将又自身の努力の賜物と想うのかは人其其ではあるが、此れ以上もない悲しみなどに遭遇すると其の同じものを恨んだり、詰ったりもする。 斯様に人即ち其は此れを記している自身の事なのであるが、自身の事を他の人も同様であると断じ、自らを慰めているだけなのかも知れぬ。 真理なるものを提示されると人人は其れを発見した
想鐘 虎鷹 現在に至る迄の、歴史と云われるもんを教えられて来た。 史実なるものは、歪めたり、或る力により恣に想い込まされ来たものでもある、そう感ずる。 例えば、現行の覇権国家であろうメリケン國が、本邦や其の他の國から、収奪してたり、仏蘭西國の現在の豊かさは、阿弗利加の國國に巡らした通貨の仕組みによるものである事など。 其れらは是正して頂く。そう宣言する。 幾ら米国の有名大學を出て、メリケン國の中枢に誘われたが、其れを断って、日本の人人の為、真実の維新の実態を語る偉い
収奪等廃棄宣言
想鐘 虎鷹Rという者がいた。男か女か、将又、アンドロギュニュスか、人間か動物か、天使か、悪魔か、其れは読んでいるあなたの決める事だ。 或る作家曰く「ひとりの物語は皆の人生所謂物語だ」 シッダルタは彼の人生観・世界観を構築した。 現在、其れは受け入れられ、仏教と呼ばれている。 彼は其の気づきを人人に述べるのを躊躇っていたという。何故なら、多分、人人は理解しないであろう、と考えたから。 其れを梵天は宥め、拡める様に勧めた。 此の出来事を、事実と捉えるか、比喩ととらえる
想鐘 虎鷹