〜たかふみ〜 TakaFumi

1962.11.3青森下北生。父の仕事の転勤で岩手と青森の各地に移住し、現在は岩手雫石に45年以上居住。趣味サイクリングとグラウンドゴルフ。哲学的著作を長年続け、ここ3年程物語にも取り組み、最近はトリカラー・ドローイング・プレイ-インファントとして始動「永遠の5歳児」にして革世者

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1962.11.3青森下北生。父の仕事の転勤で岩手と青森の各地に移住し、現在は岩手雫石に45年以上居住。趣味サイクリングとグラウンドゴルフ。哲学的著作を長年続け、ここ3年程物語にも取り組み、最近はトリカラー・ドローイング・プレイ-インファントとして始動「永遠の5歳児」にして革世者

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    まるく・写ガール『三色鳥と微睡む二角の偶蹄類』

      • それでも見上げれば虹があり希望で溢れてる

        物心ついたら、言葉の砲弾のもと、戦場にいた 父と母はとてもシリアスな喧嘩をひっきりなしにしていた。 2人の妹たちとその中で、肩よせ合って、なんとか生きていた。 隣の県の母の兄である家庭の従兄弟の夫婦仲は睦まじく感じられた。 吾ら一家の住んでいる県の生まれ故郷の北方の県の家庭も様様だった。 母は10人兄弟の末娘だった。 類稀なる言語センスを持っていた彼女は、夫である吾ら3人兄妹の父の悪口を言って、自分の味方にしようと意識しているか否かはわからぬが、寂しさを紛らわせて

        • それでも見上げれば虹があり希望で溢れてる

          プロローグ これは何処にでもいる唯一の男の物語 もし、あなたが女性で、自分とは無関係の話だと、感じたとしても、ちょっとだけ、読み進めてみて欲しい。 多分、幼少期の不仕合わせは、誰もが体験してるに違いない。 人は自身の両親の轍を踏むまい、と想いつつ、同じ過ちを犯してしまいがちな存在であるらしい。 「親父みたいなよ〜、酒呑みなどには──」 という歌のフレーズがあるが、幸いにして、自分は酒がなくても、生きていけるタイプの人間でいられている。 おらあの父は次男坊で、結構複雑

          • 今を生きる糧に過去を振り返る

            今やることに集中して、前に進むことのみをしていた。 しかし、自身は枯渇している。 人には「愛されている」という実感が最も大切である、という。 確かに、様様な人によくしていただいて、とても嬉しく幸せではある。 だが、自分には所謂「自らの家族」というものがない。 父母、二人の妹など、いろいろな人との繋がりとか、今まで沢山の「愛」に巡り逢い生きることが出来てきた。 しかし、恋人と呼べる関係は皆無に近い。 家庭というものを体験してみたい。 こんなにも長い間、孤りでいる

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          • 碌でもねえ神による人類隷属計画
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          • 『アルクトゥルス人より地球人へ』要解
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          • 『地球人が知らないお金の話』のお話
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          • 『新・ハトホルの書』解釈
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          • 「note」癒える日本
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            18の時の永劫の夜

            18の夏、古都に独りで旅をした。 三十三間堂も法隆寺も歩いて回った。 新幹線などには乗らずに急行とかで、旧南部の壬生義士伝の田舎から。 夏休みも終わり、前期試験があった。 入院時に知った結果は、「心理学」「哲学」が良し。他はすべて悠々誘惑の摩天楼だった。 入院前に永劫の夜を生きたか、死んだか、わからない程、兎に角、明けないのではないかというのが実感だった。 自分は狂を生きていた。 パラレルワールドは現実だった。 友人の行動の意味と自分の理解があった。 世界は

            過程と結果             ──自ら設定した虚構を生き遂げる──

            様々な概念、名称がこの世界にはある。 例えば、救世主なら、人々を救い、幸せな世界を創り行く過程と結果によって判断されるであろう。 圧政者、偽善をなし実は人々を虐殺し続けた存在であるならば、その内容によって計られるであろう。 しかしながら、その圧政者が人々の数を減らした後、これまでで最高の皆が幸せに生きている世界を創り上げたら、その者はなんと呼ぶのが適切なのであろう。 悪魔にして神、それがすべての人間存在に当て嵌る定義なのやもしれぬ。 だが、その者に虐殺された者たちか

            Go beyond everything

            自身に限界なんか、設定すんな ! 凡ゆるもんを超えていけ❗️ 生きるっちゅうのはそういうこった。 神でも仏でも、行手を阻むもんは、ぶっ飛ばせ。 他者に勝つことより、己に克て。 彼岸も此岸も関係ねえ。 どこだろうと、いるとこを自身の楽園にしろ。 どういうことが幸せか、わかんねえなら、色々やってみい。 好きも嫌いもおめえの自由だ。 身の安全ばっか考えててはほんとにやりてえことは多分できねえ。 かといって、危険なことに突っ込むことが、賢明ではねえ。でも、すんげえ

            美醜は糾える縄の如し

            美しい・醜いとは、ただの好嫌つまり、好みによるのであって、それぞれの人々が抱いている嗜好によるものでしかない。 「醜い」と言われ、別に落ち込む必要なんてない。 何が醜くて、何が美しいのか ? 例えば、「欲情は醜い」と感ずる人が、結構いそうであるが、そのような自然に備わっている本能と言われるものに、おらあ、なんで醜い感ずるか、まったくわかんねえ。 例えば、すんげえ美人と皆に言われてる女優さんがおられるけど、おらあ、まったく欲情を感じねえ。 つまり、好みやない、というこ

            碌でもねえ神による人類隷属計画

            実を言えば‥‥ 聖書はその内容の暗さ、即ち、一見深そうではあるが、重苦しいものを纏った内容に感じられ、違和感を持っていた。 その重哀感は何処から、齎されているのか。 それは吾等人間が、「原罪」なるものを負っている、という教義である。 それは、自分には、呪いとしか感じられぬ。 何故、「神」なる存在が、吾吾に呪詛を与うるや。 「神」は己が子を呪縛する存在なのか。 で、あるならば、吾は彼を愛すること・信ずることなど断固拒否する。 彼の呪文を寿文に更ることが、吾が存在

            訣別・決心・デパーチャー

            グラウンド・ゴルフなるものをはじめて、まる2年が過ぎ、この7月も過ぎて、3年目に突入した。 そして、今、此処でキッパリと決断した。 今年度いっぱいで、当町のグラウンドゴルフ協会から、デパーチャーする。 皆さんには、本当によくしていただいた。 優しく指導してくださったり、道具をくださったり。 アドバイス通りに打ったら、ホールインワンしたことも結構あった。 クラブやボール、バッグなどをいただいたり、とても感謝している。 だが、此処にいては、自分は上達するのが、とても

            萬自遊怖い

            未だ得てもいないのに 先廻りして失った時の事を想像し その恐怖に怖じけ怯えるのは やめにしよう !  明日は明日の風が吹く その得られたものは失われることはないのかも 例え己が死んだとしても 死は世界の消失・無意味化である そういう世界観を自分は持ち合わせはしない だからこうして後世の人々に 言葉を紡ぎ残そうとしている 言葉は友 愛は言葉 心に愛を 唇に愛たる言の葉を──

            生きて来て──

            おらあ、生きて来て本当によかった。 まだ、60年も生きてないけど、何事かを成したわけでもねえけど、心からそう想う。 自ら死のうと実行したことも数度あった。 でも、こうして生きてる。 10年近く前には、2階の自室の屋根から、前転して重力に身を任せたけど、腰部脊髄を折って、一生チタンプレート入ったままらしいけど、これといった後遺症もなく、2017年の夏にはcross bikeを片道600km漕いで、東京にも行って来た。 借金なんかもあるけど、すべて返済するし、ネット上に

            シガーズ

            100億光年の孤独 昔或る哲学者の息子の詩集の中の言葉 自分は一体どの位孤りで居続けて来たのだろう 孤り在り続けるのだろうか 空を見る街を見る ショッピングモールの中 沢山の歩く人々とすれ違う 孤り歩き考え感じそして── 100億光年の孤独 そう言った詩人も 多分 一生 孤りではなかったのだろう それとも誰かといても孤りだったのか 自分は今日も黒いcross bike漕ぎ こうして 夜のスーパーの外のベンチ 駱駝のロゴのシガーを喫している

            原初の神判

            ヤハウェことエホバその罪状 汝の行い来しことは時の初めから、偽証・大量殺害(ジェノサイド)・人類の分断であった。 まず、自身を全知全能と偽証したることがその第一。 要らぬ讒言を重ね、人々・人類を分断し続け来しことが第二。 その中には、「選民」なるものを設定し、邪な策略をせしことも含まれる。 自身に顔や体があるにも拘わらず、偶像崇拝なるものを禁じ、己を隠匿し、人々を恐怖により支配し続け来しことが第三。 そして、様々なる生物を殺害し続くること数多が、最も由由しき罪。

            碌でもねえ神による人類隷属計画

            意識の本源なる神と生物としての人類を改作した自称神 ここで混同してしまっては、あなたを悩ましてしまう大事なことがある。 この宇宙の本源である意識としての神はあらゆる存在の幸せを願っているだけで、本来、何者かをエコ贔屓したりする訳なんてない。 ルネ・デカルトが「吾想う、故に吾あり(cogito ergo sum)」言うた、その当の「想う」存在、それが意識としての吾吾であって、ホモ・サピエンスいう生物としての存在の吾吾は様々なる宇宙存在に品種改変されて今に至る、つまり、二重