(小説)#6 「Re, Life 〜青大将の空の旅」
第1章 とみ爺の家の青大将⑤
止夫父さんの帰還
止夫父さんは戦後1年ばかりして戦地からひょっこり、とみ爺の家に帰ってきたよ。シベリアに抑留されることもなく、ケガもなく、兵隊さんの格好で背嚢を背負って、とみ爺の家の玄関先に現れたネ。
「ただいま帰りました」とモミ母さんに向かって、軍隊式の敬礼をした。
志津ちゃんは、久しぶりに見る止夫父さんがまぶしく、何だか恥ずかしかった。
モミ母さんの後ろに廻ってエプロンのヒモを掴み、腰ところから顔を出して、止夫父さんの顔を盗み見たよ。
モミ母さんは、「お疲れ様でした」と、止夫父さんの復員を喜び、頭を下げた。
志津ちゃんにも、「お帰りなさい」と言うように促した。が、志津ちゃんは訳の分からない声を出してモミ母さんの後ろに隠れていたネ。
止夫父さんはすぐ会社に復職できた。
しかし、一家の住まいは見つからない。
長崎市は、原爆で焼け野が原になり “向こう7年は草木も生えない” と言われて、人の住むところではなかったンだよ。
疎開先から戻ってくる家族や外地からの引上げ者も多く、市の人口は膨れ上がって住まいが追いつかない状態だったネ。
モミ母さんと子供達はしばらくとみ爺の家に暮らすことになった。
止夫父さんはすぐ造船所に復職して社員寮に入ったネ。
社員寮は爆心地から離れた丘陵の麓に建っていたため建物自体は残っていた。
爆風でやられた窓ガラスなどを補修して、すぐに使用開始となったものである。
止夫父さんの会社の勤務時間は、午前8時00分から午後4時00分。
土曜日も休みではないよ。半ドンでもないよ。休業日は日曜と祝祭日だけネ。
土曜日の午後4時に仕事から上がると、社員寮に帰り、用意の背嚢を背負って、椿の里を目指して出発することになる。
社員寮の下に長崎バスの停留所がある。稲佐橋停留所で乗り換えて、滑石峠の起点まで行く。そこから滑石峠ヘと続く坂道となる。
止夫父さんは、長崎土産が詰まった背嚢(リュックだよ)を背負い滑石峠を超えて行ったよ。最後のエッキー峠は午後10時頃に越えたと思うな。とみ爺の家に一晩泊まって翌日、日曜日の朝の船便で長崎市に戻っていったよ。
止夫父さんは若くて元気だったよ。1年、頑張ったね。毎週、2つの峠を越えて7里の道をテクテク歩いてくるンだよ。
志津ちゃんが小学校3年生に上がった時、次男が生れたね。政夫と命名されたよ。
色白の愛嬌のある児でグルリの皆から可愛がられたネ。
政夫のことは、後で又、話すことにするネ。
あるとき、止夫父さんは滑石峠の山中で迷い、同じ処をぐるぐる回っていたことがある。会社の寮を出た時、陽は赤々と照っていたが、滑石峠のてっぺんに到達する頃には黄昏が忍び寄っていた。山道の日没は早いよ、アッという間に陽が落ちる。
止夫父さんは何時も灯りを持たないで山道を歩いていたんだ。
灯りといえば、ずっと以前は提灯、その後は懐中電灯、となるが、戦後の物資不足でどちらも手に入らない。
万が一に備えて、止夫父さんはマッチとろうそくは持っていたネ。
そのようなトロイものなど山歩きには役に立たない。
人や牛が通る山道では、道の幅に樹木がくっきりと切れていて、仄明るい空が見える。
止夫父さんは上を向いて空を見ながら山道を歩いていった。
ところが、いくら歩いても道は下りにならない。
(さっきから、同じ処をぐるぐる回っているようだ)
止夫父さんは山で道に迷うと同じ処を回ってしまい、方向が分からなくなるものだ聞いたことがあり知っていた。それで、背嚢を下ろし地べたに座って一服した。
ずっと以前、とみ爺が牛と共に川平まで交易に出かけた折には、食べ物目当ての動物が付きまとう気配がしたという。
止夫父さんは椿の里行きでは動物に出会ったことはない。
周囲は、なんの音もない。
“やれやれ” と歩き出すと程なく、いつもの谷底にある集落への道に出た。
( どうしたのかって? 知らないよ。止夫父さん、疲れていたのかネ )
モミ母さんは、そりゃあ心配したさ。
時計を何度も見て、玄関の大戸の開くのを待った。
12時近くに止夫父さんはとみ爺の家にたどり着いたよ。
志津ちゃんは、待ちくたびれて眠ってしまっていたけどな。
翌朝、早起きして長崎土産を貰い、色紙セットや出始めの珍品のビニールの切れはしを広げながら、止夫父さんの迷った話を聞いた。
「狐にだまされたと?」と、志津ちゃん。
「わからんと」と、止夫父さん。
モミ母さんは無言である。
止夫父さんの山道迷いがきっかけになって、何としても長崎市内に戻ろうということにとなった。
志津ちゃんは、小学3年生の夏休みに元気よく長崎市に移っていったよ。
稲田家の子供は、志津ちゃん、美千惠ちゃん、赤ん坊の政夫の3人。希望に満ち溢れた家族だったね。
おいらは、これで、とみ爺の家の裏山に引っ込んでいいと思ったよ。
けどね、おいらの出番はこれで終り、とはならなかったネ。
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