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シングル・アルバム・ストリーミング

レコードなどをあえて「アナログ」と呼ぶようになったのは、「デジタル」が出てきた後からだ。「デジタル」によって「アナログ」という言葉の意味は再定義され、「デジタル」との関係性の中で「アナログ」は常に意識されるようになった。まだ、CDもネットも普及していなかった遠い昔に「レコードの時代」があったとして、当時、レコードをかけたり音楽を聴いたりするときに、自分の聴いている音源が「アナログ」だなんていう特別な意識はなかったはずだ。誰もがそんなこと考えずに音楽を鑑賞していたと思う。

シングルとアルバム

アナログ・レコードには主にシングル盤(EP)とアルバム盤(LP)のふたつがあった。シングル盤というのは表裏の両面に1曲ずつ曲が入っているのが普通だった。A面・B面合わせて2曲。

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「シングル・ヒット」というのは、シングル盤のA面に入っている曲が「売れた」ということだった。それは当時のラジオやテレビの歌番組などでチャートを昇るような曲を意味していた。シングル盤とは「ヒット曲」用のレコードだったけど、それはレコードの大きさとか回転速度というメディアの形態の差異としても現れていた。というのも、同じレコードでもアルバム盤(LP)は明らかにシングル盤よりも大きい。ヒット曲用のレコードは小さい。そういったレコードの外形に関わる大きさの違いは、ヒット曲とアルバム収録曲は違うというように、その中身や内容の違いも示していた。

レコードの表面には溝があって伸ばすと一本の線になる。その溝はでこぼこしていて音の波形と同じ形になっている。ここに針を落とすと波形のとおりに針が振動するから、増幅させると音楽が聴こえる。とにかく波形が刻まれているのが塩化ビニールという物質の上なので、回転速度が同じなら録音時間の長さがレコードの大きさに関わってくることになる。片面に1曲だけでいいシングル盤が多くの曲を収録しているアルバムよりも小さかったのはそういう物理的な必然があったためで、また、そういう必然があるからこそ、レコードの大きさの違いというのは何となく納得がいくものでもあったのかもしれない。

CDの時代

レコードからCDになって音楽はデジタル化されたわけだけど、でもまだCDの時代ではレコードのやり方をかなり残していた。かつてレコードから出ていた音源はCD化されて、1枚のCDが1枚のアルバムに対応していたから、CDには「新しい技術のレコード」的なわかりやすさがあったと思う。A面・B面というのはなくなったけど、「アルバム」という考えは消えずに残ったのだろうと。

1990年代から2000年代の半ば頃がCD全盛の時期といわれ、ミリオンセラーが多く生まれた。90年代には普通のCDより小さなシングルCDが一般的で、これが従来のシングル・レコードに対応していた。しかし徐々にアルバムと大きさの変わらないシングルCD(マキシシングル)が普及してきて、大きさの違いということがシングル/アルバムを決める決定的な要因ではなくなってしまう。

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アナログだとたとえばレコードとテープで同じ内容の音楽が記録されていても音質の違いなどが出てくるし、さらに劣化することにより音質も変わってしまう。しかし「音が情報化されたもの」であるデジタル・データであれば全く同じコピーができるから、記録媒体の物質的な条件を超えてしまう。その点でCDにはレコードのような必然性というものがない。

データとして流通する音楽

「音が情報化されたもの」を簡単に「データ」と呼ぶとすれば、パソコンやインターネットの時代になると、音楽は「データ」として流通しはじめる。レコードには物理的な条件からもシングル/アルバムという違いがあったわけだけど、音が「データ」となった現在では、音楽をいれる入れ物の形態は問われなくなった。すると何が問われのかと考えれば、とりあえずデータそのものの形式や量だろうか?「WAV」「MP3」といったデータの形式的な基準や、「10MB」「127Kbps」などといった量的な単位などだ。

かつて「3分間のヒット曲」という言い方があったけど、この「3分」という時間は、シングル・レコードに入れるのに適した長さだった。それはレコードの「大きさ」とも関係するもので、メディアの物理的な条件が音楽の時間を決めていたことにもなる。デジタルだと、3分ならWAVファイルで35MBくらい、MP3(160K)ならその10分の1くらいだろう。しかしこのことは、「音楽がデータとなったいまもレコードと同じ」であることを意味しない。というのも、デジタル・データの形式や量をそのまま規格化しても、レコードのようにパッケージ化することには適さないからだ。デジタル・データはレコードのような大量生産された商品とは性質が違うのだ。

「商品」と名のつくものの多くは大量生産品だといえる。ボールペンを1本買ってきて、家に持ち帰ってからその買ってきたボールペンを大量に複製することはできない。なぜできないのかといえば、大量生産品というのは工場でつくられていて、その工場を所有していない購買者がこれと全く同じものを複製することは技術的にムリだからだ。大量生産というのは工場が生み出してきたもので、音楽に絡めていえば、それは「ロックの時代」だったのだろう。マンチェスター、デトロイトといった工場地帯から大きなムーブメントが沸き起こったこともあった。かつて、レコードは大量生産された商品であると同時にアートだったのだ…という。

やがてCDが出てくると、そこに記録されたデータが劣化なく複製できることから「1枚のCD=1個の商品」という前提がアヤしくなってくる。CDは大量生産品だけど、パソコンなどがあればデータをいくらでも簡単に複製できてしまう。CDという商品に固定されているはずの情報が商品から離脱してしまうのだ。現在ではネットから音楽を直接ダウンロードできるようになり、CDという大量生産された媒体もついに必要とされなくなってきた。音楽の流通は、パソコンやスマホのなかだけで行えるストリーミングという在り方が一般化している。

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ネット時代のアルバム(応用編)

そんなふうになった今でもまだ、レコード時代から続いているシングル/アルバムという区分けはあるけれども、両者の違いにメディアの物理的な枠組からくる必然性がなくなっているとも感じられる。ネットでは「1トラック=1曲」というのが一般的だろうけど、これを基準にすると、アルバムでたとえば10トラックあったとして、その10のトラックを包括する入れ物の枠組に、レコードやCDにはあった形態の変わらなさみたいなものがないわけで、つまりその10曲は非常にバラバラになりやすいというか。もちろんそのことはデジタルの自由さというか、利点でもあるけれど。

プログレなどのアルバムで、往年のレコードだと曲の順番や曲間の空白部分の秒数まで計算して考えられていたものが、デジタルだと1曲ごとにバラバラ感が出てきてしまうといった…。過去に作られたものはある程度加味できると思うけど、仮にこれからネット流通を前提としてプログレのようなアルバムを作るとすれば、トータル・アルバムのようなものを作って1曲ごとにトラック分けするよりも、逆に一つのトラックをアルバムとして提示してしまったほうが、全体がバラバラにならないのだから意図が崩れずに済むんじゃないのか。

「1トラック=1曲」ではなくて、一つのトラックに複数曲分が入っているような楽曲というのを考えてみれば、例えば「1トラックで12曲で74分」という在り方も可能だろう。でも、少し長すぎると感じられそうな時間だ。アルバム全体がたった1トラックだけというスタイルもアリだと思うが、デジタルの世界は従来より物理的な制約から自由になっているのだから、もう少し工夫したこともできるはずで、たとえば以下のような応用編なども考えられそうだ。

トラック1:シングル的な1曲(4分)
トラック2:プログレ的な4曲(20分)
トラック3:3章からなる1曲(10分)
トラック4:いろいろミックステープ(15分)

ここでは、従来のシングル/アルバムといった区分けは入れ子状に存在している。そして、この4つのトラックをひとまとまりのものとしてタイトルをつけ、流通させれば、それはやはり「アルバム」と呼ばれることになるのだろうと思う。

(了)

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[補記] この文章は、以前はてなブログ「シングル/アルバム」(2014年04月30日)に書いたものに、加筆・修正したものです。(2020年05月18日)

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