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(8) 効率的な予算案で、 一石三鳥を実現

  標高の高い場所が紅葉真っ盛りの中、歴代の県知事が出席する式典で「黒四」の名称で親しまれた黒部ダムの水が弧を描いて放水を始めて、ダムの水がゆっくりと抜かれてゆく。以降、この冬期で川を除く湖底部だった箇所を極力乾燥させてから、来春からダムは解体され、大量のコンクリートが撤去されてゆく。 朝鮮戦争の特需により日本の製造業が生産に追われ、関西では電力不足となり、停電となった。その電力不足を補う為に建設されたのが、この黒部ダムだ。既に建設後80年を超え、当時のコンクリート性能の限界を迎えた。同時期の借款を利用して作られた東海道新幹線は既に当時の建造物も車両も残っていないが、ダムは水を蓄えるので簡単には交換が出来ない。関西の電力が太陽光発電と一部水素発電とバイオ発電で賄われるようになると、水力発電施設としての役割も既に終わっている。日本を代表するダムとして黒部では式典を開く事になり、その巨大さから解体、撤去工事にも注目が集まったが、当時の建造ラッシュで乱造された中小のダムが次々と解体されている。日本は本来ならば水力発電に向いた国土で、ダム建造は一見クリーンな発電方法のように見えるが、実際には河川が運ぶ土砂で堆積してしまうダムが大半を占める。土砂が堆積したダムは、水は直ぐに抜けてしまい、膨大な量の土砂の搬出作業がどの作業現場でも行われていた。捨て場も無いのでコンクリートの原料として使われてゆく。黒部ダムはアルプス立山連峰に接し、周囲を岩盤層が覆っているので、堆積量は60年を過ぎた今でも少ないほうだが、コンクリートの劣化の進行により、何時までも大量の水を堰き止める事はできない。冬期との寒暖差がコンクリート寿命を縮めてきた。また、高地という立地条件により難工事だった為に国威高揚も有ったのか、ドラマや映画の題材にもなり、一大観光地となった。長野側と富山側からアクセス出来、交通手段も電動のトロリーバス、ロープウェイという手段で室堂登山口まで至る。立山連峰登山の拠点にもなるので、全面的に封印する訳にもいかない。交通手段は維持しながらも、ダム撤去後は県立の避暑地・保養地に生まれ変わる。冬季は山小屋のように閉鎖するしかないだろうが。来賓としてマイクを持った2代前の県知事、金森前首相が泣きながら、幼少時の観光地黒部の思い出を語っていた。富山県民にとってもシンボル的な存在だったのだろう。惜しまれながら壊される稀有なダムとなる。石川生まれの現職の知恵知事も放水ボタンを押す際はボロボロと泣いていた。黒部は発電ダムだが、国内の水資源ダムも解体の対象となる。現在の各市の人口や今後の推移で水道事業が見直され、プランが練られていった。豊富な自然エネルギーを使って、海水浄化システムを取り入れてダムに頼らない水利も検討してゆく。エネルギー自体が変わる中で、技術の進歩で選択肢も増えている。現時点での最適解を見出しながら、国土インフラの再設計を始めていた。新たな開発事業や自然破壊は皆無となる。豪雨時の増水の可能性があれば、植林を可能な限り増やし、分水による治水対策を施す。ダムありきの治水対策からの抜本的な方向転換となる。そもそも、治水目的のダムが砂防ダムになっており、当初の目的が形骸化しているダムが殆どだ。植林も、杉や檜といった貯水には向かない木々の植樹ではなく、極力生態系に近い自然林となるように生物学者の指導を仰いで進めてゆく。一つの効果として、猿やイノシシなどが里に降りてこなくなったという報告が全国各地から寄せられるようになる。環境庁は、日本の山林、山地の回復と耕作放棄地の減少と農地化の拡大で二酸化炭素の消費量が2000年、30年前よりも1割近く上昇したとレポートを公表した。列島国土の7割が山地を占める日本だ。2040年の目標を、40年前の2割増しに設定しているが、達成は可能だろうと言う見方が大勢を占めていた。列島の自然環境を取り戻すと天然水の成分も変化してゆく。あちこちで水の採集と販売が始まり、ミネラルウォーターの販売価格は下がった。各地の水道事業でも投入する塩素の量が減ってゆく。全国で天然水のレベルが向上すると、調理も呼応するかのように上達し、飲食店や宿泊施設間の競争が激しくなっていった。農薬減で、高い栄養価の産品を提供するようになった農家と、潤沢で新鮮・安全な魚や肉が流通している環境に合わせるかのように水道の水質が向上し、自ずと日本人の味覚も戻ってゆく。食材が健康志向や自然で新鮮なものを求めるようになると、食品添加物やインスタント系の製造・食品メーカーが業績を落としてゆく。人々が日頃口にするものが良質な素材を元にした食事になればなるだけ、医療、医者が楽になってゆく。製薬会社もサプリメントなどの食品事業を始めて、薬剤の売上低下に備え始めてゆく。越山厚労大臣、幸乃副厚労大臣のコンビによる医療改革は、ゆっくりと動き始めて、効果を齎せ始めていた。世界に誇る日本の水道事業の向上と、自然環境の改善を関連付けて、日本的な食生活を取り戻す事で病にかかる可能性を少しづつ、紡ぎはじめた。更に食育、運動といったメニューを教育の柱に加えて日本人の健康に対する考え方を育ててゆく。健康・長寿国ニッポンが再び平均寿命を底上げし始める。        ー                                 古くなり、事故を起こしかねないダムやトンネルを壊し、新たな橋脚に掛け変えて、国道、県道を刷新するなど、日本が国内インフラ基盤の再整備し始めた。アメリカが始めているインフラ再生事業との決定的な違いは、工事を請け負う企業が営利を目的としない半官半民の企業だと言う点だ。作業の大半はロボットが行うので経費も抑えられる。そして建設資材は環境に配慮したものが使われ、50年を優に超える耐久性を持つ建造物へと変わる。米国は2021年に大規模公共事業を決定した。1930年代のニューディール政策に倣って、景気拡大策として当て込んだが、嘗てのような経済復興策にはならなかった。そもそも、1930年代という十分なインフラが備わっていない時代に、ダムや道路を作リ、後のストック経済を生み出す基盤となった時代とは大きく異なる。景気の回復策として位置づけるなら、全く新しいものに投資すべきだったが、結局過去のインフラの再整備で終わってしまう。そこへ「中抜き」「賄賂」が得意で、利益重視の企業が国策を担う。日本で例えるなら、辺野古のユルユル地盤を無駄な改良工事により基地建設をしようとした業者であり、アフガン、チベットで米軍がやってきた賄賂コンサル企業を咬ませて、計画自体を失敗の方向へ導く政治体制を、何ら修正しないまま、金を湯水のように使い、最先端の建設技術を使わずに作業を進める。直ぐに多額のメンテナンス費用が必要となり、古い構造と体質が再び残ってしまう。支出の無駄をカットもせずに、中抜き、賄賂費用込みの予算を確保してそれを議会で通過させる。多額のプロジェクトになればなるだけ、後で問題が発生し、国民だけが後悔する羽目となる。                 日本は米国式の公共事業や昭和平成の悪政を失敗例として学習して取り組んでいる。先ずは過剰なインフラを、少しでもダウンサイジングするプランを立てる。不要なものを再生、再建しても無駄だ。ダムや、過剰なトンネル、陸橋、道路は時流と将来性を見据えて「改良」してゆく。半官半民企業として作業に当たるRS建設は、環境省と学者の意見を聞き、ベストな工事を採り入れる。工数は安く下げても、環境再生と自然保護では手間と費用を惜しまない。長期的なスパンで捉えて、トンネルや道路のそれぞれの今後の役割を考えながら、「国土保全、自然環境の再生」の観点を優先させながらベターな選択を取る。道路建設で言えば、一直線上に道路や鉄路を作っていた従来方法から、多少の遠回りにはなっても、トンネルや橋を減らす道路や鉄道路線へと全国的に修正を図ってゆく。それが、日本列島の自然が持つチカラを再生へと繋がり、自然環境が齎す新たなストックに繋がり、人々は自然の恵みを享受し始めてゆく。豪雨災害の減少、農作物生産と漁業資源の回復、そして国民一人一人の健康改善、平均寿命の更なる伸びなどの「国民へのストック」へ作用してゆく。アメリカ、嘗ての日本のように、経済優先の利便性を追求する開発、自然を破壊する開発を否定し、環境に優しい公共事業計画を追及してゆく。アメリカの公共投資失敗と比較され、日本の大規模公共事業に徐々に注目が集まる。人の営み、暮らしの改善がベースの公共再事業が進むに連れて、自然環境が改善されてゆくと、海外からの観光客も年々増加傾向になってゆく。国内外の客が増えれば、海の幸、山の幸が更に向上し、料理が進化してゆく。自然と大きく関わる日本人の生活スタイルに魅了され、移住を希望する外国人が自然と増えてゆく。「食と住」に拘る日本政府の姿勢が相乗効果を生み出しながら、評価されてゆく。元々経済が好調なので公共事業で経済再建をする必要がない。金利はG7の中でも突出して高く、円預金、日本株式は勿論、株を元にした金融商品の売上も好調だった。預金口座に預けて於けば、勝手に年利・複利で増えてゆく。金融機関は高度成長期の頃のような状況だが、物価上昇は抑えられており、バブルは起きない。米、麦、大豆等の穀物類が、北朝鮮、ウクライナ、ロシア、北日本で安定的に収穫され、北朝鮮からの石油・ガス、鉱物資源が安く入ってくる。これにより製品、商品、食料、原料価格全般が抑えられている。その価格競争力が、輸出を増やしてゆく。販売量拡大、売上の伸びに応じて、企業の利潤も好調だ。医薬、医療、介護の分野は世界一になったのではないかと伝えられるようになる。。2034年の「世界一住みやすい国」は、2位との差が益々広がった。日本はこのコンセプトを北朝鮮・旧満州、ベネズエラに波及させ、経済的に繋がりの深いタイとビルマ、台湾・香港にも影響を及ぼしてゆく。良質な手本があるのだから、踏襲しない手はなかった。そこで、政権与党が各国へと進出してゆく。                       日本が経済的に突出すると、拠点として捉える企業や人々が集まってくる。研究所や大学は門戸を拡げて、有能な学者、教授を集ってゆく。日本には世界最強のITとAI、そして政府に資金力がある。研究者達にとって必要なものが日本には全て揃っている。著名な学者が集まれば、留学生も勝手に集まってくる。最先端の技術や著名な人物から教えを乞おうとやってくると研究所、大学が益々大きくなる。大学、研究所が北朝鮮、中南米へ転出する波も加速してゆく。このグランドデザインを描いたのは モリ某だ。そのモリのコンセプトを支持し、支えたのは、日本に集まってきたブレーン諸氏の存在に他ならない。北前社会党の議員達が、自分たちの出身母体となった全国の国公立大学の研究室の支援を続け、政策の一環として研究内容を各方面で取り入れてゆく。将来を担う研究の他に、実現可能な研究成果や計画を政治と行政が取り入れてゆく。当然ながら利益が大学・研究所に還元され、毎年のように環境が改善されていった。旧帝大、専門の国立・県立大学の底上げに繋がってゆくと、自然と海外の研究者・学者達も集まってくる。日本が製造、IT、医薬の分野で突出し、宇宙開発に乗り出していったのも、プルシアンブルー社や政府、自衛隊だけではなく、日本国内に逗まらない数多くの学者、研究者達のお陰とも言える。  政府が新たに掲げた「Project YAMATO」はアドバルーンの側面を持ちつつも、日本に集まってきた研究者達をその気にさせ、更に日本の学術環境に招き入れる吸引力となる、一大プロジェクトでもある。                             日本政府や首脳は今の成功を誇ろうとはしない。淡々と官房長官が日々の発表・報告をし続けるが、その足を止める素振りは見せない。この姿勢を日本人特有の「内に秘めたもの」だとは各国の記者は考えていなかった。以前の与党は、嘘にまみれた、部分的な成功を殊更拡大して伝える、詐欺的内閣が続いていたからだ。日本人の品格など、あの頃に既に喪失していた。差別と虚飾に塗れた、身勝手な民族であるのは世界中で認知されていた。そういう政権が続いていたからこそ、今の政権は意識して謙虚な姿勢を貫いているのだと世界に認識して貰う方を選んだ。一度世界に晒してしまった恥の文化は、簡単には払拭出来ない。時間を掛けて、結果と成果を示して、日本の尊厳を取り戻してゆくしかないと考え、淡々と臨むように心掛けてきた。政権が12年続けば、状況も少しずつ好転してゆく。現在の与党の能力は、世界でも常軌を逸した域にある、と評価されるまでになってきた。今の日本と肩を並べる国が、果たしてあるのだろうかと。正にそれこそが日本が取り組んできた道程であり、12年間だった。                   ーーーー                              ギリシャ・ヨアニナの合宿地に入った代表チーム一行は、取材陣のあまりの少なさに驚いた。サッカーに対する関心が急に薄まってしまったのではないかと心配するほどだった。このタイミングを狙っていたのか、それとも偶然だったのか、報道は、日本の宇宙開発への進出で一色となっていた。柳井官房長官が会見で公表し、既に8隻の船と24体のロボットが宇宙空間で活動しており、物資運搬用ロケットと9隻目の機体が、この10月末に打ち上げられ、全機が一丸となって火星に向かう。運搬用ロケットは種子島宇宙センターで打ち上げ、9隻目のコスモ・ゼロ打上げは阪本が譲らなかった旧厚木基地、神奈川県大和市にある今は海上自衛隊が利用し、物流空港を兼ねている大和厚木空港から出発する。1万M上空で機体を切離しする模様を、抽選で100名のメディアに同乗公開の場を提供とアナウンスされ、世界中のマスコミが騒いでいた。 各社1名がエントリー中で、抽選結果待ちの状況にある。大会がまだ始まっていないにせよ、W杯を取り上げるメディアが殆ど居なくなり、精々サッカー専門のメディアが居る程度になっていた。どの代表チームもスタッフも、想定していたメディア対策が不要となり、拍子抜けの状況にある。そんな状況下でも、日本サッカー協会とスポーツ庁が、今回のサッカー代表の合宿でタッグを組んでいた。サッカー協会の暫定理事となった岩下香澄は、千葉の合宿からギリシャ合宿まで帯同してきたが、練習試合や練習の光景は一切見なかった。岩下はRed Star Hotelの教育スタッフを代表チームのスタッフの中に散りばめ、コンシュルジュとしてスタッフの全容に目を光らせていた。トレーニングルームのトレーナー、マッサージ担当、クリーニング、室内清掃、調理担当等、どれもマネージャークラスの人材を連れてきた。更に自衛隊病院から内科と外科、メンタルヘルスの医師が帯同する。協会の従来のメンバーとどっちが優秀か、直ぐに分かる。各パートの責任者を交代して合宿所のマネージメントと体制を変更すると、香澄がここまでコンシュルジュ役を担ってきた所で、代わりのコンシュルジュを置いた。代表選手からの評判も良くなった。それはそうだろう、5つ星のホテルのサービスに変わったのだから。ギリシャの合宿地にはローマのデパートMillenniumから、日本の食材や日用品が空輸されていた。
このスタッフ体制の変革を日本サッカー協会は最初の動画でUPする。少なくとも、スタッフ体制は各国の代表チームの中では世界一だと、自画自賛できる内容になったからだ。2034年の日本代表チームの映像がAIによって常時記録されており、待機終了後Angle社で編集され、ドキュメンタリーとして放映される。これも臨時会長、山下智恵の発案だった。 いかに旧態依然とした組織だったかを晒し、協会の新体制と新監督、コーチ陣の取り組みと、日本サッカーの未来の為の記録を残そうと思い至った。更に、サッカーの支援体制が変われば、他の日本の競技にも、協会にも参考になるだろう。同時に、この合宿スタッフはバスケットボール、バレーボール、バトミントン、ハンドボール、柔道等、国際大会のある競技の合宿地に送り込もうと政府は考えていた。スポーツ庁長官、各競技の協会のスタッフもギリシャへやってきて、合宿の模様を視察をしていた。日本の代表選手に選考されれば、これだけ整った環境でトレーニングが出来て、ゲームに挑めると遍く選手達に広まれば、競技にも熱が入るだろうと、ベネズエラの幸乃厚労大臣が考案した。
コーチ陣と選手は、没頭出来る環境になった。杜圭吾を除くエスパルスOB6人が加わった練習は、戦術に特化した密度の高いものに変わった。紅白戦が練習の主体となり、ギリシャの1部リーグとの非公開の練習試合が3日置きに3試合設定された。ギリシャクラブチームの強化のために、杜火垂、杜 歩、杉本 勇の3人のバックアップメンバーがギリシャ側に加わり、仮想の予選の対戦相手の中心選手の役割を演じながら、日本代表チームを蹴散らしてゆく。選手の特徴をよく掴んでおり、誰もが関心していた。3人が様々なポジションを担えるというのもあるが、AIにより、選手の特徴的な動きが学習出来るようになっているのが功を奏した。スコットランドリーグに居る杉本には、ギリシャのトップチームからオファーが出た程だった。      欧州からJリーグに戻った選手たちは明らかにパワーで勝てなくなっているのを痛感していた。Jリーグではパスを回し、切り崩すタイミングを伺う、バックパスが多いのも日本の特徴だ。欧州ではチャレンジが優先される。後退は緊急時のみだ。また、日本では相手よりも高く飛ぶ身の軽さ、瞬発力が求められる。Jリーグの各チームがそれで競い合うので成立するが、エスパルスだけが違う。パスの精度の高さとボールの貰い手のコントロール能力と体幹の強さが求められる。高く飛ぶ前に、相手選手が抜き去る前にぶつかり合い、削る。体を寄せられても突破してゆく強さを要求される。それが世界の基準でもある。日本人選手で欧州で成功している選手は、パワーとボールコントロール能力の何れかが備わっている選手に限られる。両方備えていたら、武器となる。周囲の選手から劣るとベンチ入りすら出来ないし、試合にも出れないままとなる。稼ぐために仕方がなく日本に戻って来る。そんな選手が何人も居る。代表チームの練習の場でも、バックアップメンバーに削られ、抜かれて、力の差を思い知る。アジアの予選を勝ち抜いた意味が、W杯やオリンピックの場では薄れてしまう。サッカーの質と基準が、そもそも違うところにあるのは、代表選手達は骨身に沁みて理解している。そのギャップを、フィールドの外に居る欧州のサッカーを体験しなかったコーチ陣には解らないので、今まではなんとかなった。新しいコーチ陣は違う。短期間でも、スペインのクラブで陣頭指揮している人達に変わった。実態を直ぐに見抜かれ、その上、AIにダメ出しされる。選手が肌で薄々感じている感覚を、AIが実際のデータとして提示し、チーム内で情報共有し合う。誰と誰が必要で、誰がチームに不要なのかが直ぐに分かる。千葉の合宿では、その差を何とか補おうと練習に食らいつく。元々のポテンシャルは高い代表に選ばれる選手達だ、出足はいい。しかし、ギリシャへ移動して地元のクラブチームとの練習試合を重ねるにつれ、次第に機能しなくなる。原因は、体力が付いていかなくなる。急に欧州流の練習メニューに変わったのと、加齢により回復しないまま練習にのぞみ、疲弊が蓄積されてゆく。スタッフも必死に栄養やマッサージと選手の回復に努めるが、練習内容の違いに対応できず、コンディションを落としてゆく。選手達は何度も打合せの場を持った。杜兄弟とエスパルスOBの6人は「極力黙っていろ」と監督から言われていた。問われたら、当たり障りなく答えるよう心掛けた。本戦の直前でこんな場を持っているようでは、到底上には行けないだろうと、6人もコーチ陣も察していた。個々の選手達が悪いわけではない。日本サッカー界の縮図が、この直前のタイミングで露呈して噴出しているに過ぎなかった。欧州クラブでのスターティングメンバー、レギュラー選手は選ばれた者でしか勤まらないのかもしれない、杜兄弟は客観的に、冷静さを持ちながら参加していた。歩は自分が弄って来たAIが、代表チームに齎している影響を痛感していた。同じデータで選手達が共有しあい、建設的な意見を述べている。個々の能力が劣っているなら、グループで対応するというプランは、一昔前の代表チームが延々と採用し続けてきた策でもある。しかしグループ化すると、どうしても手薄な箇所が出来る。しかし、フィールドには10人しかいない、組織で奪えば、弱いところが必然的に現れる。現代のサッカーは、その僅かな「箇所」を狙ってくる。その箇所を穴埋めする為にその周囲も連動しなければならない。その穴埋め策で選手達が様々なパターンを考えて、明日の練習に望もうとしていた。しかし、エスパルスOBの6人は安々と突破してしまう。日本代表選手に「敵」は居なかった。それを周囲が認識し始めてゆく。ここに居ない杜 圭吾を含めた7人がチームの中心となり、そこに3人のフィールドプレーヤーの誰が加わるのが最適か、という方向へと変わり、バックアップメンバーとエントリー選手との交代が前提となって話が進んでいく。ドイツ、ナイジェリア、ブラジルとのプレマッチに挑むのだが、最初のドイツ戦が近づいていた。監督はスターティングメンバーを発表する。それが最終テストを兼ねているのは全員が認識していた。バックアップメンバーの名前はリストには無かったからだ。極めてハードルの高い、ラストチャンスとも言える。4人はドイツ・ブンデスリーガで通用せず、日本に帰ってきた。そんな彼らが、ドイツ代表の選手に挑むのは無謀とも言えるのだが。
ーーーー
                                  首相官邸に関係者が集まり、火星へと至る経緯も含めて、記者会見が開かれていた。「今回のプロジェクトが12年というスパンで実現できたのは、日本でなければ出来なかった。それは間違いありません・・」言い出しっぺであり、プロジェクト全体を引っ張ってきたサミアは落ち着き払っていた。既に計画はスタートしており、地球からの出発と言う点では大きな不安要素は無くなっていた。何しろ、片道切符の計画だ。地球に帰還する必要がない分、プロジェクトは楽なものになった。
「社長が仰る、日本でなければ出来なかった、という箇所を具体的にお話いただけませんでしょうか?」頭にショールを纏った女性記者が質問し、サミアと智恵会長が目配せして、会長がマイクに向かった。
「計画がスタートしたのは、日本が政権交代をして全方位に渡って動き出した頃です。  外交、経済、行政改革に国会運営、地方自治に至るまで一斉に動き出しました。当時の政府、政権は本当に休む間が無かったのです。当然ながら、未来を語り、多額の先行投資をする訳にはいきません。とにかく国が抱えているありとあらゆる負債の精算が優先されました。それでも、火星へ向かうプロジェクトはスタート出来たのです。この発想の転換は当時のモリ幹事長の発案によるものでした。彼が、新政府の経済再建策の最優先事項として掲げたのが、AIの開発でした。純日本的なAIを、学習能力のあるAIを、決して暴走しないAIを作ろう。それを産業、防衛、医療・介護、教育と裾野を拡げて、日本の骨格を作ると新政府がプランを立てました。取り分け、産業と防衛の分野でAIが使われ始めると、技術が飛躍的に成長していきました。AIロボットの開発の段階で、これで宇宙へ行けるとサミアが言い始めたのが、12年前でした。尤も、彼女は以前から火星に行こうと我々を焚き付けていたのですが」山下会長が社長のサミアの肩に手を置いた。    ー
「与党の組織のようにプルシアンブルー社が作られ、そこに皆さんが集合されて経営がスタートしましたが、その当時から宇宙や火星が視野に入っていたということでしょうか」

「仰る通りです。当時の筆頭エンジニアだったサミアは、AIを宇宙空間で利用するのを視野に入れて、開発スケジュールを組んでいきました。ロボットが作業を担えば、宇宙空間で酸素と食糧を考慮する必要が無くなります。これだけで大きく時間が短縮できました。ロボットの電源を確保し、AIを宇宙空間でどう繋げるかが決まれば、良いだけですからね。それに、ロボットですので地球への帰還を今回は全く考慮しておりません。今もそうですが、2020年代の世界の宇宙開発の主流が、人を載せて宇宙空間に出ようとしていた頃です。高度1万メートルを宇宙への旅と称して、多額の費用を払って参加者と出資者を集い、それで宇宙開発資金を集めていました。その頃、我々はAIとロボットを開発していれば良かったのです。それが自動車であり、陸海空の自衛隊の乗り物の自動運転であり、教育、介護でのAI利用でした。ゴールは宇宙でしたが、それぞれの分野でAIを昇華させていきました。それ故に宇宙に特化した資金や予算は用意せずに済みました。日本が米軍と袂を分けたのも大きな分岐点となりました。自主防衛への道は、航空機、艦船、自動車へのAI搭載と無人運転の重要事項となり、ロボットが運転し、調理をするだけの手先の器用さが実現した事で、宇宙への道が一気に現実的なものとなりました。11年前、あれが画期的な転換点だったと考えております」

「プルシアンブルー社の開発部隊、研究所が常に宇宙空間を視野に入れて、取り組んできたということでしょうか?」

「まず、ロボットありきで考えてきたのです。地球上と宇宙空間の差は、さして生じませんでした。それ故に個々の担当者は宇宙まで視野に入れず、それぞれの分野に集中して開発してゆきました。宇宙向け仕様の部分は、専門チームを敢えて置きませんでした。それぞれの完成後に「この完成品を宇宙に持って行ったら、どうなるだろう」と事後的に検討していた程度でした。当然ながら、私達プルシアンブルー社の単独事業ではありません。政府と与党も加わって頂き、各議員先生方の出身母体である、JAXA,各大学、研究所と共同研究を進めて参りました。海外の研究者が日本に集まってくる時期に遭遇する幸運にも支えられました。そもそも、サミア社長も私も、宇宙に関する知識は、アニメに毛が生えたレベルに過ぎません。ただ「宇宙に行こうね」って、みんなで何の根拠もなく事あるごとに言ってました。それで実現したので、本当に驚いているのです」

「政府としても、防衛産業の強化を掲げるのと同時に、その先に宇宙開発があると捉えれば、そこで防衛への投資が平和利用へと変わります。それ故に、日本の兵器の輸出は限定してきましたし、各国の軍事バランスには影響は及ぼさなかったと自負しております。結果的に自衛隊は無人化を実現し、強大な防衛力を持つに至ったのですが、自衛隊の拡大については、国連との連携に特化し続けてきました。そして、この防衛技術がそのまま宇宙開発に使われてゆくのです。そういう意味では、各国の宇宙開発とは大きく路線が異なります。防衛費が宇宙開発に繋がっているとも言えるのですから」

「自衛隊の人件費とミサイルや砲弾以外は全て、宇宙向けに関わっていると言えるかもしれないわね」 首相が息子の官房長官に助け舟を出す。宇宙開発と防衛産業と製造業で同じAIを使う。このコンセプトを考えた人物は一体誰なのか、誰の頭の中にも一人の男の姿がよぎる。世界のどの国も行っていない発案と実現してみせる采配を振るった。日本を世界一の経済国、世界一の防衛国家へ導いていったのだから・・。
                                  首相が続けて言う。「半年後、火星に第二陣の部隊を送り込みます。今回の第一陣の半数は第二陣の到着を待たずして、土星の惑星探査へ向います。第三陣はその半年後に出発と、我が国は各国の研究機関と行き先を決めて、惑星探査活動の範囲を拡げて参ります」
また、会見場がどよめいていた。                   (つづく) 

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