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(8) 時代が変わっても、 残すべきもの。


 資源探査衛星の分析結果を元に、大西洋側の熱帯林をAIロボット10チームが展開していた。熱帯林と言っても、アマゾン川やオリノコ川流域のような手付かずの原生林ではなく、嘗ては人の手が入っていたような場所が所々にある、そんな森だった。所々で陽が射し込んでくるので鬱蒼とした感じはあまりしない。
また、理由は分からないのだが衛星の齎した情報によると、マヤの遺跡を中心にして、その周辺に様々な資源が点在している。マヤの人々が資源に関心があったのか、それとも単なる偶然なのか分からない。メキシコ・ユカタン半島とグァテマラ国境部の大西洋側のこの一帯に「遺跡」と一括りにされる建造物と、大小様々なピラミッドを作ったマヤの人々を改めてあれこれと想像してしまう。
この奇妙な符号に関心を持ったモリと櫻田は、一旦落ち着いてから隣のメキシコのマヤ遺跡群と、メキシコシティ寄りのアステカ遺跡、ペルーとボリビアに点在するインカの遺跡周辺、ナスカの地上絵、エジプトの遺跡周辺などを衛星探査して、簡易的な地質資源調査をしようではないかと2人で囁いていた。モンゴルの地も上空を飛んで、人工物を探査してみたいものだ。

遺跡を中心とした資源分布図を見たグァテマラ大統領も官僚達も、この不自然な分布は伏せて置こうと判断した。この情報を公開しようものなら、オカルト好きや、異星人フリークと言った魑魅魍魎がこの地に集結しかねないと判断した。
実際に採掘を始めると、衛星画像等で分かってしまうのかもしれないが、それでも極力分からないように作業を講じよう、という話になった。例えば石油と鉄鉱石を先行採掘を始めてから、ニッケル、銅はゆっくり時間をおいてから採掘する等の処置を取る。
周辺は人が居住しないエリアとなっているので、衛星や航空機など上空を監視しておけば当面は隠せるだろう。そんな話で一時盛り上がるも、最終的にはグァテマラ国内で利用する以外の全ての資源を、南米諸国連合として買い入れる事で合意した。イザベル湖周辺に一大ケミカル工業地帯を建設したいとベネズエラ首脳は要請し、グァテマラ政府は工場用地の確保に取り掛かると請け負った。
その検討の為の企画原案と、イメージ用CGをグァテマラ政府に提出する。石油精製から始まり、ナフサ、シリコン、エチレン、トルエン等の各ケミカル工場を作り、シリコンウェハー製造、タイヤ製造、ケミカル洗剤工場、オイル製造等と総数47の工場を建設する。あくまでも試算結果に過ぎないが、建設総額費用6000億円を有に超える見込みだ。
グァテマラ政府はこの提案を受けて、工場用地の確保に乗り出すが、物理的な問題があれば、必要に応じて隣国のホンジュラス・エルサルバドルに工場を用意する可能性も考慮する。

この会談による合意後、ベネズエラ石油公団とエクソン社はHP上で、ケミカル製造子会社 MoonStar Chemical社を設立し、各種化学素材の製造に乗り出すと発表した。先んじて設立したMoonStar Tire社の航空機用のタイヤや自動車用、トラック用のタイヤの製品発表会も追って行うと言う。会社の設立だけであれば、さして気にも止めないのだが、PB Motors社とPB Air社にタイヤを提供し、F1用ラリー用のタイヤも供給すると報じられると「何かがあったのではないか?」と騒ぎになる。実際、PB Motorsに納入していた日本のタイヤメーカー3社の株価が下がった。
PB Motorsが後日会見で明らかにしたのは、今まで3社でタイヤ納入をシェア均等割をしてきたが、3社間の品質にバラつきが生じるようになったという。安全性の保証に疑念を抱いていた頃に、ムーンスター社の商品をテストして満足したので乗り換えるとした。この発表も淡々と報じられたが、それ以上は詮索もせずに、PB Moters社の取引として記者達も追及はしなかった。とどの詰まり、自分のグループ内で部品調達力を強化しただけなのだろうと、その時は誰もが思った。

タイヤは、車には必要不可欠なものなので、プルシアンブルーグループとして製造しようと決めたのは実は唐突なものだった。その手の裏話は控えて、「MoonStar社の石油成分化合技術が画期的で優れていると判断した」と表向きの理由を述べるに留めた。実際は3社との取引に疑義を抱いたのがきっかけだ。納入されたタイヤでテスト走行すると、AIがエラー判定を下した。「仕様を満たしていない」と。3社が会合を持っている際の会談内容を盗聴し、談合に匹敵する悪事と判断。急遽タイヤメーカーを設立したというのが実情だ。

The Nation紙が、日本のタイヤメーカー3社間で談合的な打合せが持たれ、タイヤ製造時の品質レベルダウンと、製造コストを理由にした製品の一斉値上げなど利益誘導の為の議論を重ねていたと報じた。タイヤメーカー3社は一斉に反発した。そのような事は一切無い。プルシアンブルー社との契約問題が微妙な時に誤解を招きかねない謂れなき報道だ。誤情報を意図的に流すような新聞社には訴訟も辞さない、と逆に強気に出た。The Nation紙は3社間での会合時の録音をHP上で公開した。また、同社のラジオ放送、テレビ放送でも音声の一部を公開した。日本政府はこの報道に即座に反応し、経産省が事実関係の確認に乗り出すと、3社にタイヤ生産停止を命じる行政処分を下した。日本の自動車会社は慌てて、アジアや欧州のタイヤメーカーに納入を要請した。

新会社のMoonStar Tire社は北朝鮮工場とベネズエラ工場で既に生産を始めており、PB Motors社の車のみならず、日本の自動車会社とPB Air社、航空自衛隊、陸上自衛隊等へのタイヤ納入も対応を整えていた。それ故に市場での混乱は回避できた。

日本の3社は、タイヤという車両走行に最も重要な製品の品質劣化を企てたとして、今後、経営責任が問われるだろう。企業としての存続に関わる問題となるやもしれない。いずれかの自動車会社が支援に乗り出すか分からないが、最悪の場合、3社の主力工場のみを残して工場を畳み、1社分の管理部門に整理統合してMoonStar Tire社に吸収合併という流れを取るしかない。AIも同じような予測をした。

日本経済が好調だからといって、今が変革期である事も忘れてはならない。国の政権が変われば多少の歪や変動が起こる。前政権の方針を政府が踏襲すると言っても、トップが変わり、大臣も変わる。その影響は必ず何処かで起き、「従来通り」に行かなくなる事も出て来る。自動車産業に関しては、自動車そのものを取り巻く環境が大きく変わった。各企業に監視の目が注がれるのも自然な流れだった。
そんな時に監視の対象がどこに向かうかとすれば、EV車両であっても、エンジン車であっても必要なパーツを製造している企業が注目されやすい。寡占企業であれば尚更で、常に監視対象であると考えた方がいいだろう。消費者に都合の悪い話が社内に存在すると「憂国の士」が現れる確率は高くなる。現在の与党が隠蔽体質を殊の外嫌い、各省庁の改革を断行してきたので、暴いても保護してくれるだろうという安心感もある。もしくは良心の呵責に苛まれ耐えられなくなったのかもしれない。実際に内部告発の件数は大小様々ある。今回のケースで言えば、事故や事件が起きる前で本当に良かった。
ただ、経営層による談合の為に、会社全体、全ての従業員に不都合が生じるのは、痛ましい話だ。何らかの救済策が日本政府から、もしくは日本の自動車産業からあるかもしれない。

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アラスカ・フェアバンクス、アンカレッジとモンタナ州イエローストーン国立公園でホテルとスーパーと病院の進出先を視察していた蛍を頭とする組と、テキサス、ミシシッピ、ネブラスカと病院進出先を視察していた越山・幸乃組と、グァテマラ首脳会談組の3チームがメキシコ・ユカタン半島のメリダ市へ集結し、全員で製薬・半導体・IT機器工場等の建設地を訪れ、工場建設の着工式に臨んだ。お隣のグアテマラでのケミカル・素材工場進出と合わせて、中米における製造工業団地群の素地が固まった。
政治家達は大枠のプランが完成したのでメリダ市内のレストランで乾杯して祝い、インディゴブルー社の樹里社長とあゆみと彩乃は、メリダ市と観光地カンクンに一大ショッピングセンターを2つ出店し、沖合のコスメル島にホテルを建設したいと市長に提案に出掛けた。金曜日なのでカンクンのホテルに投宿すると、翌朝土曜はイスラムヘーレス島の沖合で、ジンベイザメと並んで泳いで戯れた。そんなこんなでカリブ海の休日を堪能していたのだが、ベネズエラ残留組は面白くなかったらしい。ジンベエザメの群れはベネズエラ沖には確かに居ない。中々、貴重な体験だった。少なくともメリダ市は、南米諸国連合の重要生産拠点となるので、頻繁に訪れる事になるだろう。

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南米のメディアは、ベネズエラとグァテマラの首脳会談の後の南米諸国連合の動きに、注目していた。グァテマラと国境を挟んだメキシコ・メリダ市に一大工業地帯も近々誕生する。それに合わせるかのように、アルゼンチンのSouthAmerican Steel社はニカラグアに製鉄工場を建設し、自動車用用鋼板を製造すると報じた。ボリビアのSouthAmerican Battery社はホンジュラスに固体電池工場を建設し、電気自動車向け電池の製造を行うと発表する。PB Motors社はエルサルバドルにエンジン・トランスミッション製造工場を建設すると報じた。明らかに中米諸国を巻き込んだ製造シフトが始まろうとしていると、各メディアは書いた。

週明け、誰もが納得の後追い情報が飛び込んでくる。
PureBlue Motors社が、ネブラスカ州リンカーン市の本社で新車の発表会に臨んでいた。エンジン車、9車種を一斉に発表した。4車種は中身こそ最新だが、往年の名車のリバイバルモデルで先のストラトスと同じ手法だ。残りの5車種は新型車で、PB Motorsの各ブランドのテイストが残る車となった。9台の車を一気に発表するのは、PB Motorsとしても初めてで、そんなことをした自動車会社も記憶に無かった。
これらの車に搭載されるエンジンはハイブリッドの選択肢はなく、2500,3000CCのガソリンエンジン、2500CCのクリーンディーゼルエンジンの3種だ。ストラトスは2000CCのガソリンエンジンを積んでいる。PB Motorsはこの4つの新型エンジンを提案してきた。
どれもハイブリッド程ではないが燃費が良く、排ガス規制もクリアーした高性能・高出力エンジンだ。PB Motorsがエンジンの開発の為に投資を惜しまず、EV車両全盛期に一石を投じるエンジンとなる。「エンジン車の魅力を今一度、再確認して下さい」とゴードン社長は時折涙ながらに力説していた。
エンジン開発を決して諦めなかったメーカーの意地であり、根性と努力が実った日となった。現時点における世界最高峰のエンジンであり、従来モデルや過去のエンジンとは別物だった。この新エンジン構造で1600CCのFI用ターボユニットエンジンも完成している。
SUV、高級車、スポーツカーが3車種づつ並び、「デザインは一切妥協しないプルシアンブルー」という伝統は、今回も引き継がれていた。デザインは久々にヴェロニカ専務が関与し、デザインチームを指揮していた。ハワイや北朝鮮と遠隔地に居ても、首を突っ込んできたらしい。

何れにしても自動車各社は、PB Motorsの姿勢に度肝を抜かれた。純粋なエンジン車を9車種、ストラトスも加えて10車種を2035年の欧州でのエンジン車販売停止前に、世界同時発売してみせた。
排ガスレベルは日本の最も厳しい基準を大幅に下回るもので、他のどの企業も完成仕様まで至っていない。プルシアンブルー社は狡猾で「低燃費、過去最高のCO2排出量低減エンジン」と一面にしか触れていないが、実際は革命的な高出力、高トルクエンジンであり、その完成度は驚異的なのだが、そこには触れていない。このPB Motorsのエンジンを分解してコピー製造しても、恐らく製品化まで最低で2年はかかるだろう。それだけ革命的とも言えるエンジンだった。
PB Motorsは技術レベルの違いを分かっているからこそ、ストラトスも含めて10車種を市場に投入してきたに違いなかった。また、開発者達はこのエンジンをベースにして、ハイブリッドモデルの開発に既に着手したとゴードン社長がサラッと触れた。2年どころでは済まないかもしれない。ハイブリッドユニットまで、物凄いレベルの製品を出されたら、キャッチアップするまで3,4年では済まないかもしれない。

これから数年はPB Motorsの独壇場になるだろうと、各マスコミは報じた。EV車もPB Motorsに勝る車種があるとも言えず、PB Motors社は独走状態に入ろうとしていた。
今後のPB Motorsの生産拠点はアジアは北朝鮮、アメリカはベネズエラが中心となり、周辺国の部品会社を巻き込んで製造拡充体制作りを始めていた。中米に工場を展開しようとしているのも、その一環だった。
南米では、南米諸国連合が中米諸国を包括する形を示し始めた、と報じた。

日本政府は、エンジン車の生産と石油価格の相関関係に注目していた。予想した通りに中東が価格を上げてきた。北半球が季節が暖かくなる頃に、需要増に合わせて夏のピークまでゆっくりと上げてくるのが恒例だが、今年は少々上げ幅が高く打ち出してきていた。
4月から昇格したエネルギー省は、イランの日本油田の産油量を1.3倍増加するよう指示を出した。同時に北朝鮮で発見された油田の試掘指示を出した。

北韓総督府とベネズエラにも、エネルギー省の指示の概要が伝えられた。
そのレポートを受けて閣議後、蛍経産大臣は、PB enegy社にオリノコ川の旧油田の稼働要請を出した。

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 アジア各国が驚いたのが、北朝鮮の新工場が既に製品出荷を始めていた。自動車、家電品、半導体、製薬、日常生活用品、食料品から衣料品に至るまで、北朝鮮の輸出量が従来の倍近い規模になった。主に日本向けに次々と出荷してゆくので、直ぐ様 影響はなかったが、アジアの人々にすれば最新の製品や商品を手に取ってみたいのは同じなので、何れ周辺国への出荷が始まるだろうと見ていた。

やがて、今まで見たことのないプルシアンブルーグループやレッドスターグループのTV CMが各国で流れるようになる。CMからして、レベルの違いを感じる内容だった。「商品を手に取ってみたくなる。一目見たくなる」そんな品を感じさせるCMが流れていた。

両グループがスポンサーとなった番組は、夜のニュース番組と深夜に近いハワイの情報番組だった。後者はプルシアンブルーグループの単独枠で、23時以降の番組としては視聴率を稼いでいくことになる。

また、日曜の早朝の番組が話題となる。スーパーのインディゴブルー社がスポンサーになった番組で、仕入先の農家や酪農家を訪問する番組だった。番組名は「Before After」と銘打たれていた。この日の放映は北朝鮮国境に近い、ロシアの牧場を訪れていた。この牧場はロシアと北韓総督府が共同出資で始めた牧場だった。労働者はロシアの朝鮮族の人達で、朝鮮語で会話している。牧場は10年前に始まった。牛は牧場で育て、豚と鶏は厩舎を建設して育てている。
ロシアの畜産技術指導者の元で経営されていた同社とインディゴブルー社(当時はPB Mart社)は当初は取引をしていなかった。北朝鮮向けに肉を提供していたが、そこへウラジオストック市へスーパー、商業施設の進出が
決まり、周辺の農家や酪農家に契約農家を探して回りだした。この農場も大規模な牧場だったので、インディゴブルー社は早い段階から視察に来たのだが、契約には至らなかった。その当時は、何故不採用になるのか、誰も理由が分からなかったという。インディゴブルー社の食肉の仕入れ担当者による、当時の状況の回想シーンが流れる。

「生き物がモノのように扱かわれていました。農場ではよくある光景なのですが、当社の基準では受け入れられませんでした。しかし日本とロシアの共同出資会社でもあったので、何とかしたかった。そこで提案を纏めて、持っていったのです」

牧場側はインディゴブルー社の提案を受け入れ、日本の牧場で活躍し始めていたAIロボットを飼育担当として配置していった。AIには牛、豚、ニワトリの種類に応じて、特性情報が既に備わっている。飼育指導を従業員に行いながら、24時間体制でロボットが飼育環境を見てゆく。飼料に海藻を混ぜるなど栄養面の改善を行い、牛と豚は放牧時間を24時間体制に変更、鶏は厩舎の環境を少しだけ広くして雄鶏を一定数、毎日短時間だけ投入した。人間の作業では四六時中動物に向き合う訳にはいかない所を、ロボットが補った。

牧草管理と飼料となる大豆、トウモロコシ等の栽培まで着手し、牧場の経費の改善も行う。3種の肉質がブランド品に該当するレベルに至ると、収益増に繋がってゆく。スーパーでの店頭販売は勿論、インディゴブルー社の経営する飲食店へ肉を提供してゆく。
ステーキ店では「和牛4A以上相当」の肉として、部位によって分けて、バーガーショップと、蕎麦屋の牛丼と余す所なく使われていく。
豚と鶏肉もスーパー店頭販売の他にトンカツ・唐揚げ店、蕎麦屋で採用されていった。
ロボット利用経費を上回る収益となり、経営自体も大きく改善した・・
そんな番組が、農家ごとに放映されてゆく。インディゴブルー社にしてみれば、契約農場の採用基準を番組で公開するので、どれだけ取り扱い商品に拘っているかが、消費者にも理解される。

「最適なタイミングで収穫されるブロッコリー」「早朝に収穫された新鮮なレタスが店頭に並ぶまで」「こだわりの栽培で育まれたコメ」「カフェのコーヒーかす、茶殻かすを堆肥に加えて果樹園栽培」「ロボットが育てる乳牛」等次々と放映される。インディゴブルーで買えば安心だし、美味い理由が分かる番組だった。スーパー、ネットスーパー、コンビニ、各飲食店の人気が高まるのも無理はない。競合と圧倒的なまでの生鮮食品の違いは、契約農家との緊密なまでの生産管理体制だった。これを「全体量」で維持することで、価格を下げる企業努力をしている。番組を見れば一目瞭然だった。競合他社が勝てるわけがなかった。

このアジアで始めた「Before After」という番組のアメリカ農場編の撮影が始まる。また世の中が少し変わってゆく。それが決して悪い方向には進んではいないと、そう信じていた。

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ほっくりっく社の香澄社長は、中高とクラスメイトだった杏とコンビニ事業に関してアイディアを出し合い議論していた。こうして30歳を過ぎても、あの頃と全く変わっていない事に2人で笑いだしてしまう。
10年前、学生のクセにカフェのオーナーになって、それぞれ自分が出資した店舗で店長をやっていた。当時、撮影担当でもあった杏の技量に何の違和感も抱かずに、新作のパンやデザートの撮影をしていたのを思い出す。今こうして不特定多数の商品を撮っている杏を見て、改めて思う。この子の才能だったんだな、と。
実際、コンビニ店舗内を撮っているAngle社のカメラマンは半信半疑のまま撮影しているように見えた。しかし、撮った映像を再生すれば、もはや手直しは要らない位の映像が撮れている。当時と何も変わらない。でも「杏だから」出来るのだ、誰にも出来るものではないと今更ながらに思う。

今となってはインディゴブルー社の系列になったが、杏がベネズエラで始めた衣料店「An」に関しては、杏の手元を離れた途端、売上が下がってしまった。AIの予測が外れた初の事例となった。プルシアンブルー社がその理由の解析をして、意外な事実が分かった。
Anの商品開発は、杏の判断に頼る箇所が多く、AIへの依存率が実際はそれほどでもなかった。そこにAIへの全面負担となり、杏のジャッジが無くなってAIが少々混乱したのは間違いないと断定された。

杏がラフスケッチした絵を、AIがデザインし、最後に杏が手直しする。と言ったプロセスを取っていた。つまり事実上、杏のイメージに依存していたのだ。Rby,Rs,AconcaguaのようにAIにデザインしたものから、人が選択しているのでは無かった。映像もそうだ。杏がイメージしたものを、AIに伝え、AIが作ったものを杏が手直しする。つまり、杏のイメージしたものが作られる。杏にとってAIは助手でしかなかった。
これは10年間、AIを使い続けている者同士で「違い」に全く気付いていなかった。AIに対峙するスタンスや、AIに求めるものが普通とは違った。それ故に、AIだけで作ったCMよりも、杏が手掛けたCMの方が効果がでるのではないかと推察された。サミア社長とサチ、あゆみ、彩乃は気がついていた。もう一人、AIに頼らずに操作する人物が居る。それがモリだった。杏はモリのAIの使い方を一瞬の映像のような観察力で見て取って、真似ていたのだ。杏が何故、AIの使い方が異なるのかまでは、香澄も分かってはいなかった。ただ、漠然と杏は違う領域に居ると感じていただけだった。

姉妹なのに杏の方が芸術肌で、樹里は創造性に劣る分、リアリスト、分析力を磨いてきたフシがある。モデルとして大成したのも樹里で、後年になって、杏は撮影する側で頭角を表してきた。「この姉妹を先生が手離す訳が無い」香澄が漠然と感じていた理由が分かった。杏が先生を撮り続け、鮎先生の映像を編集し続けて、モリ家のイメージ戦略で知らず知らずのうちに役割を果たしてきたのだろう。妹の樹里がコーディネートして、姉の杏が撮る。モリ家だけでなく、北前・社会党も、プルシアンブルー社も、はっくりっく社も、全て杏が撮った映像や媒体によって紹介されてきた歴史がある。
頭の中のイメージをただ撮るだけ、これを天才と言わずなんと言おう・・。プルシアンブルー社サミア社長が、杏の才能を欲したのはこれだったのだ。

番組「before after」で言えば、「以前とAI適用後」という違いを単純に撮れば一応は完成してしまう。結果が分かっているから、それだけでも説得力のある作品となる。しかし、杏のこだわりはそこではない。インタビューの段階で「ITやロボットを使って、生産性を高めると聞いたときに、あなたはどう思いましたか?」と必ず聞いて、その表情をアップで撮った。相手はプロの生産者として長年取り組んできた人達だ。自分の仕事に誇りも自信もある人達。人によっては自分の仕事に生きがいも感じていたはずだ。しかし、その道のプロの気付かなかった手段をAIが提示してくる。「こんな方法もあります」「こういったツールが存在します」「この手順を変えてしまいましょう」と行った感じで。その時、自分はプロだと自負していた人が否定されてしまう瞬間がやって来る。「その時の印象を覚えていらっしゃいますか?」と、杏は必ず聞きながら、カメラでその人の表情を撮った。その表情の変化を捉えた映像を実際に使うことはないのだが、淡々とAIの能力に関心をしたり、未だに信じきれていない箇所があったり、人によって反応は様々だ。その様を確認してから、撮影するイメージを膨らましているように見えた。
杏は「この番組における肝であって、同時にタブーでもあるもの」を認識してから、映像のイメージを作り上げていった。

人は残酷な生き物だ。プロが伸びきった鼻をへし折られる様を見たがるし、知りたがる。Before Afterという番組が、AIがプロのやり方を変えてしまう番組だけに、そこは少なからずはっきりと出てしまう。しかし、やり込められてしまったはずのプロ達は、映像によって評価され、尊重されているものになっている。その加減が絶妙だった。その為なのか、日曜の朝でも清々しく、エグさのようなものはあまり感じない。映像を撮られた側も、宝物のようにこの放映を保管する。自分史の大事な1ページとして。

確かにプルシアンブルー社のAIやツールを使えば、今まで出来なかった事が出来、ある程度の予測が可能になってしまう。今はまだ、万人に対して提供されるものではないが「この農家さん、この酪農家さん、この漁師さん」だったら是が非でも成功していただこうと、スーパーの仕入れ担当者や、資材担当が「判断した方々」に対して、ツールとして提供されてゆく。

今迄無かった考え方が、想定してもいなかった方向から提示されるのだから、面食らうのも当然だった。それを提示された時の表情、反応を杏は知りたがった。恐らく、テレビを見ている同業者の人達も、同じように面食らっているはずだろうと推測しながら、映像を撮ってゆく。きっと、最新のテクノロジーや技術に抵抗すら感じて、嫉妬のようなものを感じたのだろうと。

インディゴブルー社の仕入れ能力、商品企画力、素材の美味しさ、鮮度への拘り、そういったものが理解できてしまう番組なので、日曜の買い物率、来店者数は1週間で最高となる。日本にあった全国型スーパー2社のうち1社を傘下に収め、今では全てインディゴブルーの店舗に統合した。社員は概ね、この買収を成功だったと歓迎している。
方や、買収対象から外れてしまった企業は、インディゴブルー社との間で広がり続ける格差に苦慮している。AIも資金提供も出来なければ、契約農家、契約漁港との提携にはとても至らないからだ。商品力もそれなりになると、客足は遠のいてしまう。

この状況をいつまでも放置していて良いわけではなく、同じ輪の中に組み込む必要があると日本法人社長の香澄は考えていた。あの時は買収せずとも、単独で切り拓く実力はまだあると判定した企業だったのだが。
それならば、今のブランドをそのまま残して、傘下に入って頂き、同じ商品を取り扱って貰うのはどうだろうという話で両者間で提携の検討が始まっていた。そう、全てがインディゴブルーになる必要は必ずしもないのだ。
経営からは一旦退いていただくが、会社とブランドは残すだけの価値がある。日本の流通業を牽引してきた先駆者に敬意の念を抱いていた。横浜市民だからこそ、余計にそう感じるのかもしれない。

「セブ・ンプレミアム」「ミレニアム・グループ」

先駆者として、日本の流通業を牽引してきた。そう言ったブランドは敬意を表して残すのが筋だと思う、香澄はそう言うと、隣りにいる杏と、アメリカでネット参加した樹里の姉妹は笑顔で分かってくれた。

(つづく)

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