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(9) 担がれる人 と、 担ごうとする人達



 韓国政府は安堵し、日中両国政府に感謝していた。中国からは、工場建設費を用意して貰った。自動車会社2社がブラジルに進出。モバイル、PC、半導体メーカー1社がチリに進出が決まった。ブラジルとチリを中国が譲ってくれたのも予想外だった。
中国はパラグアイとウルグアイを選び、視察に向かった。
感謝しながらブラジル、チリ入りし、両国を視察をしながら、韓国訪問団は南米諸国連合とブラジル、チリとの技術格差に驚いた。いや、アルゼンチン、ボリビアの部品企業のレベルが抜きん出て高いと言ったほうがいいかもしれない。中国・韓国の部品会社でも到底、敵わない。その部品全てがPB Motorsに集約してゆくのだから、いい車が出来るのは極めて当然と理解した。つまり 南米諸国連合の部品メーカーに発注すれば、必然的に高品質の車が出来あがる。進出する企業は、南米諸国連合の部品メーカーから調達したいと考えるだろう。しかし、韓国政府としては国内の部品メーカーがこれ以上苦しくなるのは困る。最早、猶予している時間は潤沢に残されていない。

中国はこの採用部品の選択に関して、割り切って考えるだろうか。中韓両国がEV車製造に一本化すると決めたので、既に部品会社の多くを切り捨てた格好になっている。EV車の部品数はエンジン車と比べれば少なくなるからだ。その残ったEV社用部品会社に対して、今更EV部品の製造を止めてほしいとは言えない。ある程度の想像はしていたが、予想以上の技術力の差に直面し、悩んでいた。完成メーカーがこの部品を欲しがるのは当然だろう・・

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その頃、北韓総督府 柳井太朗外務副大臣は、エンジンやトランスミッションを製造していた韓国企業を訪問していた。「PB Motors向けのエンジンや部品を製造しませんか。工場を北朝鮮に出して、北朝鮮の労働者を雇用して欲しいのです」と説明して回っていた。
北韓総督府で工場を建て、製造ラインを用意する。その代わりに韓国の工場と敷地を貰い受ける。土地の活用方法は、北韓総督府が判断するとした。

こうして国や親会社に見放された状態になった韓国部品会社が、北朝鮮への移転を次々と決めていった。南米に進出した企業グループには加わっておらず、取引実績が無い電子部品会社や精密機器メーカーにも声を掛けた。韓国が昨年早々から中国の資本投入の支援を受けているとは言え、さすがに部品会社まで、中国の支援の手は及んでいなかった。
ただ明らかに 韓国製造業では空洞化が進もうとしていた。このまま韓国内で留まれば人員解雇に続いて倒産となっていたかもしれない。それならば、北朝鮮の企業として再出発して貰い、プルシアンブルー製品の部品会社として存続、活躍して貰う。韓国人従業員で移動可能な方々は ご家族共々、北朝鮮へお越しいただく。
北韓総督府が、韓国の部品会社を訪問していると知った韓国政府は当初は焦った。潰れるより、倒産するよりも、会社が残るのは確かに有り難い話だ。しかし韓国政府から見れば、倒産と何ら変わらない。国内に留まっても、海外企業になっても、結果的にどちらも同じなのだ。韓国内の雇用を守るためにも、韓国内で製造させてくれませんかと日本側へ尋ねると、北韓総督府通商産業省の役人は言った。
「それは企業側が判断する事ですので、各社様の意思を尊重したいと思います」とやんわりと否定された。
何故、北朝鮮に移転したのか、それは各企業の役員達に共通した考えがあった。親会社に切られたまま韓国企業であり続ければ、エンジン車を作らない国では仕事が減少し、事業としてたち行かなくなるのは目に見えている。何れ倒産、破産、事業精算を迎えるだけだ。「その後」のプランがあればとうに事業転換していた。しかし、エンジン車を作り続けると言っていたのは韓国政府だ。それを信じてここまで頑張ってきて、結局は無くなった。破産やブラックリストに載るかもしれない企業よりも、大企業傘下の新しい部品会社として、事業を継続すれば、日本、欧州と部品の供給先も増えるかもしれない。それも、成長著しい日本の北韓統治領で、居住している人々は同じ朝鮮族だ。海外と言っても同胞が暮らす国だ・・

こうして韓国の製造業が、北朝鮮内の38度線の韓国寄りの地帯に建設した工場団地に、移転してくることになる。この38度戦の北朝鮮側は国境地帯だったからか、作物も育てられない荒れた土地で利用用途も無く、手付かずの土地として余っていた。勿体無いので工業団地にしようと考えた。
柳井太朗の近い将来の構想は以下となる。来年以降アメリカ、日本、欧州の一部で、プルシアンブルー社製のエンジンだけが、排ガス規制をクリアーしているのでエンジン車が販売可能となる。米国メーカーでスランティスに所属する旧クライスラー社だけが、プルシアンブルー社のエンジンの搭載が可能だが、プルシアンブルーグループ以外のメーカーはまだ対応できていない。ford/gmの部品メーカーに、排ガス規制に対応できる余力は無い。そこで韓国部品メーカーを北朝鮮のグループ会社とした上で、集団で中米へ進出してford/gmに新部品を採用してもらい、車体自体のレベルを底上げする。その上でエンジン・トランスミッションをford/gmに提供し、ちゃんとした自動車として販売してもらう。要はプルシアンブルー社のロングライフ保証に対応できるレベルに、アメ車の品質力を上げるという話だ。アメリカの現行の緩い品質レベルは到底、プルシアンブルー社として容認できない。今回、北韓統治領として支援をするので北朝鮮企業へと変わる。つまり、北朝鮮のGDPの対象となる。そして現行のアメ車の部品メーカーを駆逐する。結果的に、韓国とアメリカのGDPがこの企業の参入により下がる事になる。仮に30社が北朝鮮企業となって、アメリカの自動車の採用部品となれば、北朝鮮企業に敗れた既存の部品会社はそれなりの減益となる。

北朝鮮へ移転してきた企業に勤める従業員にしてみれば、同じ朝鮮族なので障害となるものは少ない。お子さんが名門校に就業中とか、家族の誰かが韓国を離れることに反対している、という方々まで 無理強いはしない。

メキシコの日本の自動車会社・部品会社が撤退した跡地でも、再び工場の建設が始まった。建設主は北韓総督府だった。

韓国の自動車部品メーカーが、北朝鮮の資本増資の提案を受けているという話を韓国政府経由で中国が知った。中国が韓国へ資本投入したのは、財閥であり大企業なので、それ以外の企業は手付かずのままだ。それにエンジン車製造を諦めた以上、エンジン車系の部品会社は産業構造上、手の出しようがない。中国は共産国家なので、会社ごと、事業ごとに精算してしまえるが、韓国は民間企業なのでそうもいかない。それならば北韓総督府の動きは渡りに船ではないか。日本も、北朝鮮も、エンジン車の販売ができるのだから。
中国の判断も予想できた。粛々と韓国内での事業停止、北朝鮮での事業登録、操業開始という流れで取り掛かってゆく。北韓の経済産業省の役人が担当者として対応していった。

車の部品メーカーに留まらなかった。電子部品メーカー、中堅のゼネコン会社、菓子メーカー、キムチ製造の食品会社、韓国料理のチェーン店等等を、資金投入をチラつかせて、北朝鮮企業への業種移転を提案してゆく。資本だけに留まらなかった。新しい商品の提案が幾つも用意され、CMのイメージまで作られていた。
当然、韓国へも輸出出来るので、今までの商圏を保ったまま業績が好調であれば、アメリカへ売って出ようと諭される。
「これが、今の日本政府なのか」と各社の役員は驚いた。感激のあまり泣いた社長も居た。閉塞した韓国に留まっていても先行きは不安だ。北朝鮮企業に転じて未来を切り開きましょう、と誘うと 話に乗ってきた。

リストアップした計46社の企業を経産省と外務省で手分けして訪問を終えると、ソウル市にある東京ドーム30個分の土地が北韓総督府の手に入る可能性があるのが分かった。韓国は、北朝鮮統治領の土地を日本へ手放した事で、北朝鮮で目論んでいた不動産投資や住宅移転計画がご破算となり、韓国内の土地が慢性的に不足して地価が高騰していた。
土地活用となると、柳井太郎とヴェロニカ夫婦の出番となる。東南アジアと南アジアでは数々の都市計画、再事業を担当し、建物空間デザイナーのヴェロニカと共に「アジアの建設大臣夫婦」と呼ばれた。ソウル市のちょっとした面積の再開発事業なので、2人の腕の見せ所となる。
開発に適さない土地は売却するなり、自家発電するマンションを建てて販売し、立地条件の良いところは商業施設やオフィスビルにする。ドーム30個分もの面積があれば、プランを立てる時間も暫く掛かるだろう。阪本北韓総督府長官は笑った。しかし、まさかソウル市の再開発事業を手掛けるとは、全く考えていなかった。第二弾、第三弾の北朝鮮への企業移転を進めていけば、ひょっとするとソウル市の大半の土地所有者が、日本政府になるかもしれない。ソウル市は北朝鮮寄りの都市でもある。トチ狂った支配者がいた頃は「ソウルを火の海にしてやる」が有名なウリ文句だった。モリが「やっちゃえ、総督!」と笑いながら言っていた意味が段々分かってきた。

日本の不動産会社がソウル市を頻繁に訪れて、特定のビルや工場の周辺の情報をリサーチしているという情報が、KCIAから韓国政府に齎される。また移転を検討する企業が出たか、とため息をつくしかない。
これも考え方なのだが、今の韓国経済の状況下で倒産するよりも、企業が存続され、成長に転ずれば、ありがたい話だと納得するしかなのだろう。北朝鮮資本に転ずれば転落する確率は低くなる。従業員の大半は北朝鮮へ転ずると聞くし、雇用も守られる。韓国経済から見れば、倒産と同じなのだが、移転企業分の失業者は増えない。しかも跡地の再開発を、北韓総督府・日本側で考えているようなので、決してマイナスばかりではない。そういう意味では日本政府に感謝するしかないのだろう。

そのソウル市の一角に、プルシアンブルー社がグループ企業と共に入居するビルを建設する。満を持して、韓国へ初上陸してゆく事になる。

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カザフスタン・バイコヌール宇宙基地で極秘フライトを済ませると、首都ヌルスルタンではなく、南部のアルマトイ市内での各国と内緒の会談を済ませてベネズエラに戻っていたモリは、今度はパナマに向かった。コロン市の再開発が始まるので、その着工式に立ち会うためだ。

一旦、パナマ運河の対岸にあるパナマシティのホテルに入り、中南米・カリブ海諸国各国の外相などの閣僚達と会議に入る。都市のコンセプト上、財務大臣、功労大臣、総務大臣と一緒に来ている国もあった。

議長国のボリビア大統領から、中南米諸国連合の拠点としてコロン市が選ばれた経緯説明があり、パナマ大統領から、コロン市の再開発計画の説明がされ、CGとCMの動画が流れた。コロン市に決めたのはモリで、再開発計画を纏めたのはヴェロニカで、CGとCMを作ったのは杏が社長をしているAngle社なのだが、黙っていた。

通常、都市の再開発となると日本では大プロジェクトで、コンサルタント会社やゼネコンがジョイントベンチャーで何社も入って、不動産会社が提案内容を纏めたりして、それなりのカネがかかるのだろうが、全部身内で作ったので、確か200万円も掛かっていない。それぞれの会社に100万づつ振り込んだ記憶がある。2人にそれ以上の小遣いを与えた記憶も薄っすらと残っているが・・忘れてしまった・・とにかく、2人に任せればこんな内容のものが出来てしまう。コンサルタント会社とかJVとか、要らないだろうと思っていた。同じ内容を日本で頼んだら、一体いくら掛かるんだろう?と考えていた。都市開発なんて初めての経験なので、その辺の金額がよく分からない。ベネズエラで全て用意したものなのに、ボリビア、パナマの大統領が「自分が考えた」みたいに得意げに説明しているのも不思議だった。2人が自分のものにしているのも凄かった。それだけ内容が良かったのだろう。説明を聞いている各国の大臣の反応も良かった。

ラテンアメリカ財団(Latain America Foundation)を、南米諸国連合改め、中南米諸国連合として設立し、ラテンアメリカ諸国の福祉、医療、文化向上を担うと発表した。財団の暫定代表としてカナモリ・ベネズエラ首相が就任し、専務理事をショウコ・モリ官房長官が兼務して就任すると、ボリビア大統領が述べた。財団はコロン市に本部が置かれる。

新生・中南米諸国連合として、共通の証券市場を作り、中南米の大手企業が参加できる市場システムを提供するとした。ベネズエラ大統領が代表代行となってパナマのコロン市に証券取引所を建設する。また、諸国間の交通機関を統合運営するにあたり、各国のキャリアフラッグの航空会社の海外路線を統合し、LatainAmerica Airlinesを設立すると述べた。いずれ、高速鉄道も中南米諸国連合の共通インフラとして扱う。LatainAmerica Airlinesの会長は、ベネズエラのサトコ・モリ 国土交通大臣が兼任して就任し、合わせてベネズエラ国営鉄道の総裁に就任すると発表した。

ラテンアメリカ財団の福祉政策第一弾が、ベネズエラの高原地帯サンクリストバル近郊に独居老人用の介護都市を建設し、5年間で200万人の居住者を集めるというものだ。
世界最大規模の自衛隊病院と商業施設を中央に置いて、周囲に低層階マンションが立ち並ぶ巨大都市が出現する。同様の介護都市を、あと4都市分建設する計画だと言うので騒ぎになり、しかも居住者は、中南米カリブ海諸国の高齢者が全て対象で、各自をベネズエラへの移民として受け入れるというのだから大騒ぎになった。

そのイメージをCGで作成されたものを見ると、老人一人一人に介助用ロボットが付きそい、24時間体制で監視対応にあたる。実際に日本の富山に完成した病院とマンションと、周辺施設の動画紹介がされる。まず6月から1000名のベネズエラ人から受入れて、テスト運用を始める。中南米各国には福祉介護政策のようなものはなく、家族単位で親兄弟の面倒を見るのが通例だ。その環境に一石を投じる事になる。少なくとも、各家庭が高齢者介護を請け負わずに済む。介護負担から解放され、安定した暮らしを実現しよう。家族が離れ離れに暮らす事になっても、ネットで何時でも無料通話が出来、年に一度の家族の訪問滞在費も、財団から支給される。

以前カナモリ首相が打ち出した構想が、拠点都市の建設着工と共に少しづつ具体性を帯びてきた。そんな両大統領のプレゼンが動画で拡散し、ニュースや記事となって世界を駆け巡る。インドネシアで衝撃的な発表をしたかとおもえば、足元の中南米の国を固めてゆく。2つのニュースに共通するのは、その地域に居住する人々への「想い」だった。

杏が監修したという中南米諸国連合のプロモーションムービーには、胸をえぐられた。
あの子は人の頭の中が見えてるんじゃないか と思った。僅か十数分の映像だが、才能には脱帽するしかない。今やCM製作マーケティング会社として、日米でも必要不可欠の存在となりつつある。AIがノウハウを吸収して一層レベルアップを遂げた事で請け負う仕事を増やせるようになった。必ずしも全ての案件で杏が携わる必要が無くなっていた。
このコロンでもテレビ局、ラジオ局を新設して、中南米、カリブ海諸国に配信して行く。いずれは北米にも打って出る。日本で開局した放送局もパナマに移してしまう。衛星で配信するので、拠点はどこにあろうと構わない。人件費が安く、地代が安い所で十分だ。

その翌日、建設現場を視察していて、チベットの会見の話題を知る。
困ったことになったな、と暫く上の空になって頭を悩ませていた。
視察を終えてホテルに戻ろうとすると、記者達に囲まれる。他の大臣の所に行けばいいのに・・

「ベネゼエラ政府として、初めての都市開発ですが、今回のプランに際してどれだけ費用を掛けたのですが。日本では数億円を越える内容だと思うのですが」

「あー、それほど掛けていません。確か200万円位、2万ベネゼエラペソだったと思います。設計と企画書作ったのは義理の娘ですし、CGも養女の会社でチャチャッと作って貰いました。それに北朝鮮の再開発事業の一環としたんです。安くするために。何となく新浦港や、横浜に似てるでしょう?」

「あんな凄い内容が200万ですか!」日本人記者が日本語で言うので、笑って聞き流した。

「横浜をイメージしたのですか。山下公園と、神戸のようなタワーがありましたね」。

「ええ、マリンタワーには負の歴史がありますからね。神戸のポートタワーにするか、秋田のセリオンリスタにするか、悩みましたが、神戸にしました。あと、大航海時代のコロンブスの帆船を再現して氷川丸か、ドッグガーデンの日本丸のように展示しようと思っています。海外の記者さんは、横浜港、神戸港、秋田港を検索してみてください。横浜港には古い客船と帆船が停留していますので」

「話は変わりますが、チベット政府の首相が、大統領の助けを求めていますがご存知でしょうか?」 顔色が変わったのを悟られたかもしれない。

「亡命政府と呼ぶのが適切でしょう。チベットの話は今、初めて知りました。どんな内容だったのか、確認をしてみます」

「インドネシアとベネズエラを首相は引き合いに出されました。チベットも助けて欲しいと。それも首相からではなく、故ダライ・ラマ14世の遺言との事です。モリに頼れ、と」

グッとくるが、辛うじて堪える。卑怯な手を使う記者だなと思ったら、ネーション紙だった。

「そうですか・・猊下のご遺言であれば無下には出来ませんね。国連に相談してみます。私の一存では決められませんので」

そう言って、頭を下げると、その場を去った。

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アメリカは困惑していた。亡命政権の首相の会見での発言は想定していなかった。インドネシアでの電力改革にモリが絡んでいるのが明らかになり、そこへ中南米諸国連合の中核となる新都市建設だ。民衆優先の市政を打ち出している日本とベネズエラに視線が注がれている中でのチベット問題なので、モリは登板せざるを得ないだろう。ここで、断るのは難しいだろう。
しかし、モリの登板は我が国の思惑とは合致しない。アメリカに他国統治の成功した実績がないのが露呈してしまう。アメリカには「能力がない」と判断したからこそ、チベットはモリを求めたのだと解釈されかねない。
とは言え、アメリカはチベット案件から外れる訳にはいかない。チベットの保護者としての立場を何としても維持し、中国との交渉で隣の新疆ウイグル自治区も開放へ導けるよう、働きかけていきたい。

その頃、日本の柳井首相がカタールで開催されているアラブ諸国連合のサミットにゲストとして招待されて、参加していた。各国首脳に招待してくれたお礼とばかりに、某社のジュエリーセットとペアウォッチを堂々と手渡し、喜ばれていた。その時はカメラが無い場なのでいいのだが、値札の合算値は10億円を超える。しかし、内緒だが製造価格は数百万円だ。

日本の関わる話として、プルシアンブルー社の拠点がサウジアラビアに設立されたことを受け、湾岸諸国で建物の太陽光発電を積極的に採用し、自然エネルギーを効果的に使うという趣旨だった。
首相に同席していたプルシアンブルー・ミドルイースト社の志木副社長が、各国・各地域に建設された電力蓄電ステーションを元に、様々な用途が可能になるとプレゼンテーションとCGをそれぞれ紹介した。 
膨大な電力を使って海水を浄水化しつ続け、その水をプールして、工業用水と農業用水として利用する。大規模工業団地、工業農地を砂漠上に展開し、工場内で半導体、テレビパネル、太陽光パネルの生産を行う。別の工場では野菜栽培を行い、家畜の厩舎にもなる。工業団地までパイプラインを引き、潤沢な浄化された水を供給する。サウジアラビアが小麦自給率100%を達成したが、同じように利用しても勿論構わない。「有り余る陽光で発電して、100%自然エネルギーで稼働する国家へとシフトして参りましょう」
志木さんがそう締めると、各国から賞賛を受けた。

またカタール大統領から、チベットに日本が協力するのなら湾岸諸国は日本を支援したいとの発言が飛び出た。チベット・ラサの標高は3000mを越える。冬場の朝晩は寒いが、乾季のために晴天が続き、太陽の日差しは標高が高いが故に強烈だ。夏は雨季だが、夕方にザッと降る程度で日差しは強い。「中東諸国と同タイミングで太陽光発電で電力改革を実現しては如何でしょうか。チベットの皆さんの人口が300万人、家屋数100万戸と仮定して、バックアップ用の水素発電所数基と水素ステーション・蓄電ステーションの建設費、送電網の整備を一切を湾岸諸国として融資しましょう」と驚くべき提案がされると、各国が拍手して賛同の意を表した。
引っ込みがつかない事態になったと思いながらも、柳井純子はただ嬉しくて、泣いた。

「ありがとうございます。皆さんと共に支援する側に立てるよう、国連、アメリカ関連各国と至急協議いたします。本当にありがとうごさいます。なんか、背中を押していただいたような、とても暖かな気分です。首相になった時より嬉しいかもしれません」
英語でそう言うと、即座の反応が半数、同時通訳後で半数がちょっとした時間差で笑ってくれた。そう、これが日本国。日本が出来る事を確実に遂行して、世界に貢献していく。
前任者はこういう高揚感と感動をずっと体験し続けたのだろう、モリに感謝しながら。柳井首相はヘジャブで顔を隠して、ハンカチで涙を拭いた。

この計画を誰がほじくり返したのかは明白だった。その御仁は、決して表に出ようとしない。アラブ諸国にはカタールというアルジャジーラという放送局を抱えるフロントマンが居る。ちゃんと役割分担が出来ているのだ、アラブ圏は。イランの近隣国にシーア派のチームとなる国家があれば、また違った国になっただろうに、とヤナイは思った。このアイディア自体を作ったのはサウジの皇太子とモリだ。皇太子と目を合わせて、ゆっくりと頭を下げて感謝の意を伝えた。

この会議の内容がまた拡散する。中東での太陽光発電計画に合わせて、チベットのエネルギー計画の支援に、日本とアラブ諸国が協力して乗り出す用意があると手を上げたからだ。

そんな情報が飛び込んで来ると、そもそもアメリカは一体何ができるのか?
具体的な統治内容であり、計画を打ち出さないと、日本と湾岸諸国連合に取って変わったほうがいいのではないか?と国際世論が騒ぎ出しかねない。海外統治にまるでいい実績の無いアメリカが、次第に矢面に立ち始めていた。

世界各国は「実働作戦を決行してしまおうじゃないか」と、忖度行為に打って出た。日本政府にも完全な不意打ちとなる。フランスとイタリア政府が口火を切った。
「日本が中東の支援を得て、チベットの経済支援に乗り出すのなら、フランスとイタリアはEV車の製造工場建設資金を出す用意がある」と、Renault/Citroen/FIAT/LANCIAの共同工場を建てると言い出した。
スウェーデン政府が続く「日本の五十鈴と協力してマイクロバスの工場をVo/vo社が建設する」
インド政府は「旧Chrysler社の賛同を得て、Jeep/LandRoverとしてAWD車の工場をの建設資金を融資する。また、太陽光パネル工場建設も行う用意がある」とした。
するとタイ政府が「ビルマ政府、ネパール政府と協力して、チベット仏教寺院のメンテナンス要員を、チベットに派遣する。倒壊した寺院の建設を含めて、3か国の寺院建設チームが担当する。タイとビルマは、太陽光パネルの設置要員の派遣も請け負う」と続いた。

用意していたかのような発表が、各国からその日の内に立て続けに起こった。アメリカは一気に立場を失い、中国は怯えた。
「その電気自動車はどこに売りつけるつもりなのだろう?」と。
当然、中国に決まっている。中国の電気自動車には「走行距離、乗り心地、ドライビングフィール、そしてAIナビ」あらゆる項目で負けないからだ。

米中にとって、この多勢に無勢の攻勢にノーとは言える状況ではなくなってしまった。寧ろ、両国はチベットと連名で謝意を表する必要があるだろう。後で皆気付く、この車は全部、プルシアンブルーグループの車ではないかと。ひょっとして、この為の自動車会社資本投入だったのではないか?と アメリカと中国は訝しんだ。

インド政府はカシミール地方に工場のような建屋の建設を始めた。あとはモリだけが決断すればいい、とお膳立てしたようなものだった。

「ここで逃げたら、男が廃るぜよ」とインドの某州での名言を吐いて、インドの首相が笑った。

(つづく)

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