いろんな「たとえ」を知っていこう!
「土俵で大鵬を倒すくらいにむずかしい」
これは筑波大学附属中など複数の中学校に出題歴のある森絵都さんの「みかづき」に登場した表現です。この表現が登場する場面設定は昭和36年です。その年は大鵬さんが横綱に推挙される年であり、その後黄金期を作り上げる圧倒的に強い力士であることを踏まえれば理解できる表現です。
でも小学生なら「大鵬?」ってなりますよね。
例えば「リングで井上尚弥を倒すくらいに……」なら「めっちゃ難しいやん!」ってなるかも。
言いたい事柄をわかりやすく伝えるために、似ているものに置き換える表現技法を比喩と言います。たとえのことです。
古くから用いられているたとえであっても、小学生には伝わらない表現がたくさんあると思います。
ということで今回は、中学入試問題頻出作家さんの作品から見つけた「たとえに関することば」で【小学生が「何それ?」って思うことば】を紹介しますね。
まずは開成中にも出題歴のある「君たちは今が世界(朝比奈あすか)」より
「ぼたんの掛け違い」です。ボタンの掛け違いは最後のボタンで気づきます。そのことから、手順を最初の方で間違えたためにお互いの認識や考えに、その後ずっと続くようなズレが生じることを意味します。
最初はうまくいってたはずなのに徐々にうまくいかなくなってしまうという意味で「歯車が狂う」ということばもありますよ。
続きまして、「赤チンの町(ねじめ正一)」より
「桜田門に勤務」です。桜田門は江戸城内郭門のひとつですが、そこに警視庁があったことから、桜田門といえば警視庁を意味する俗語として用いられるようになりました。
同じように、永田町といえば政界、霞ヶ関といえば官公庁のこととして用いられますね。
それではその他【小学生が「何それ?」って思うことば】第46回「たとえに関することば」を紹介させてください。
腹の皮と背中の皮がひっつく
お腹が空きすぎて、胃袋がぺったんこになったような感覚を表すたとえ。空腹でひもじい様子のこと。
1960年発表の童謡「おなかのへるうた」が「みんなのうた」で放送されて広まったようです。歌詞に「かあちゃん かあちゃん おなかとせなかがくっつくぞ」という部分があります。
コウノトリが飛んでくる
赤ちゃんができるたとえ。実はコウノトリではなくシュバシコウというコウノトリの仲間の逸話から出来たそうです。中世ヨーロッパにおいては夏至の頃に結婚をし、春先に出産を迎えることが多かったそうで、それが春に繁殖期のためにシュバシコウが渡ってくる時期と重なったため「赤ちゃんを運んでくる」というイメージになったとか。
瞬間湯沸かし器
怒りっぽい人をたとえることば。キレやすい性格の人をさすことば。
一般家庭に給湯器が普及したので「瞬間湯沸かし器」も小学生には「何それ?」かもです。
石を投げれば当たるような
大勢いることのたとえ。「石を投げれば坊主に当たる」や「石を投げれば弁護士に当たる」などのように「石を投げれば〇〇に当たる」と用いることが多いです。
「五万といる」も非常にたくさんいることを表します。「〇〇な人なんか五万といる!」みたいに用います。
箸にも棒にもかからない
あまりにもひどい様子を表すことば。「箸で引っ掛けることも棒で引っ掛けることもできない状態で、結局何にも引っ掛からないどうしようもないこと」という意味。類語は「煮ても焼いても食えない」。
「どこにも引っ掛からない」
受験の場合は見込みがないことを意味しまして、うーん、辛いことばです。
今回、あらためて「おなかのへるうた」の歌詞を確認したのですが、歌詞の中で母親のことを「かあちゃん」と呼んでますね。一般の歌詞では「おかあさん」や「かあさん」の方が主流だと思うのですが、私自身が母親のことを「おかあちゃん」と呼んでいたことを思い出しました。(父のことは「おとうちゃん」でした)
思春期に入り、一度父のことを「おとん」と呼んだことがあるのですが、父が急にすごみをきかした声で「いつからそんな口がきけるようになったんじゃ」と。それ以来一回も「おとん」とは口にしていません(笑)
小学生が「何それ?」って思うことばを拾っていると、必然的に昭和時代の事柄になることが多いのですが、その際両親のことを思い出すこともあり、しみじみとした気分になります。
と、話が今回のテーマから逸れましたが、あと少しで50回到達です。ぼちぼちと頑張ります!
最後まで読んでいただきありがとうございました。
子どもたちの読書量が豊かになり、家族の会話が増えますように。
次回は「コレクション・宝物関することば」を書こうと思います。「古切手集め」「ギザ10」などなど…。
よろしければ前回の記事です。「数字がつくことば」をどうぞ!
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