Googleでも知恵袋でもなく、本当に尋ねなきゃいけないのは自分の心だと思うの。
この言葉は自分のスマホのメモ帳に書いてあった言葉だ。小さい頃から自分の気に入った言葉や名言、歌詞を書き記すことが好きだった。学生の頃に書いたであろうこの言葉。検索しても出てこないから、多分自分で考えたのだろう。ふと見返すと面白い自分のメモ帳。
20代に差し掛かろうとしていた時期の私の心境
これを書いたのは多分、初めて1人暮らしをし始めた短大のどこかだと思う。初めて家族と離れての暮らし。初めての街に友達に、生活に、楽しさしかなくてきゃっきゃしていた。慣れてきて、だんだんと家族との距離感や過去の出来事などを思い出すようになった。ホームシック的なものと混じって暗い考えが押し寄せてきたのだ。心配もかけたくないからその時は家族にも素直に相談出来なくて、友達にも空気を壊したくなくて相談しにくい自分がいた。
そんなの時にネットに頼る自分がいた。縋るように検索していたように思う。例えば「片思い、叶う確率」とか。(笑)なんという可愛さ、幼なさ。こんな事検索するなんて今、思うと恥ずかしい。そして、当時は幼児にかかわる発達心理学の授業が増えていた事もあり、自分の幼少期の気持ちを思い出したり、震災によるトラウマ的なものが自分にもあるんじゃないかという考えもよぎった。アダルトチルドレンやHSPについても、 その頃から資料を読んだりしていた。友だちとの学校生活は楽しい反面、ふと1人になるととにかく不安な時期だった。そんな不安を検索してみると、同じような境遇や状況、悩みを抱えた人が多いことに気がついた。安心する反面、違和感も覚える自分がいた。
違和感
言葉では似通っていても、知恵袋やGoogleで相談している人と自分は全然違う生い立ちで、感じ方もまるきり一緒ではない。抱えている悩みは本当に同じなんだろうか。その解決策は同じなんでいいんだろうか。回答している人もそうだ。知識と共に解決策を提示してくれているから間違いではないのも確かだけれど、なんだか腑に落ちない。何が正解なのか、自分はどうしたらいいのか。ギリギリ10代の私は、検索すればするほど余計に頭が混乱し、抜け出せない状態になったように思う。
悩みに悩んだ私。ちょっと落ち着いて、その悩みから離れて冷静になった時に出てきたのが、題名のこの言葉だったような気がする。人の意見はひとつの意見。大事なのは"自分がどうしたいか"という自分の気持ち。結局尋ねなきゃいけないのは、ネットの向こう側の見ず知らずの人に対してではなく、今ここにいる自分だということだった。それは、家族にも友だちにも当てはまる。信頼できる人たちの意見を参考にしつつも、それが全て正解ではない。
これからも
当時の私は、自分と向き合うのが下手くそだった。人を頼るのも苦手だった。弱みを見せたくなかったのだ。今でも自分の気持ちがわからなくなる時もある。それは人の目を気にし過ぎたり、周りの人の気持ちを考え過ぎたりしてしまう自分がいるから。今はそれに気がついているだけ成長している。自分の気持ちを優先するか、それとも他に何か優先させなければいけないことがあるのか。そういう判断基準があるから、自分の気持ちにも戻ってこれやすくなったように思う。これからも気持ちがわからなくなったり人に頼り辛い事もあると思うけれど、それは悪いことではなくて、扱い方を知れば良いという事。心軽く、自分の気持ちに耳を傾けて、より一層自分の思いを応援し続けていきたいと思う。
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