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小説の「地の文」が面白い

こんにちは。ロボット劇作家の尾崎です。

最近、ひさびさに小説を読んでいます。

劇作家と名乗りながら恥ずかしいのですが、近年、活字に疎いのです。
この頃、戯曲を読むことや、学ぶための読書の機会は増えたものの、「小説」というジャンルからは、やはり縁遠くなっています。

そんな中で買った小説が、田辺聖子 作『ジョゼと虎と魚たち』。
現在上映中のアニメ映画版を見て、原作が気になったので電子書籍を。

恋愛小説を読むのも久しぶり。
しかも予想外なことに、短編集だったので驚いたのですが……
(ジョゼはいつ出てくるのかと思っていたら、まったく別の短編でした。)

なにより新鮮だったのは、"地の文"です。

地の文(読み)ジノブン
文章や語り物などで、会話以外の説明や叙述の部分をいう。
――デジタル大辞泉 より引用。

劇作家が書く「戯曲」では、会話とアクションで物語が進行します。
戯曲にも地の文(ト書き、といいます)がありますが、小説のそれに比べると少なく簡潔で、お芝居に直接表れることはありません。

対して、小説には多くの"地の文"が登場します。
状況説明、心理描写……
書き込まれれば書き込まれるほど、世界が細かく表現されていきます。

先に挙げた『ジョゼと虎と魚たち』では、その"地の文"が極めて文語的に見えるのが、驚きでした。

会話(つまり口語表現)で構成される戯曲にはめったにないような、私にとって初めて触れる言葉や表現が、山のようにあるのです。

「あの子」というのもいかにも雑駁心安だてだが、そこにはずいぶん親しげなひびきもある。
――「うすうす知ってた」より引用、太字は編集
堀サンと私、冗談にして、なしくずし、「土仏の水遊び」式に、抵抗感を薄めているのかもしれません。
――「それだけのこと」より引用、太字は編集

ちなみに、それぞれこのような意味だそうです。

雑駁(ざっぱく)
 雑然として統一がないこと。また、そのさま。

心安だて(こころやすだて)
親しいのをいいことにして遠慮しないこと。

土仏の水遊び(つちぼとけのみずあそび)
身の破滅を招くようなことをみずからすることのたとえ。

――いずれも、デジタル大辞泉より引用。

言葉そのものにも、そういう言葉を用いた描写にも、知識欲を次々掻き立てられるという初体験。
Kindleでマーカー引きまくり、Googleで調べまくりです。

こうした言葉遣いや表現が小説では当たり前なのか、恋愛小説だからなのか、作者特有の表現なのか、発表された年代(80年代)を反映したものなのかは、私にはわかりません。
どうか、若輩者の単なる不勉強であるという前提には目を瞑ってください。

しかし、日常会話では使わない表現だらけ。
戯曲のト書きにも出ないであろう言葉。
小説の地の文だからこそ使える、質素なようで豊かな表現手法ではないでしょうか。

思ってもみない角度から、小説の面白さを再発見できたのでした。
これからはもう少し、彼らとも仲良くしてみようかな。

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