【観劇レポ】この愛と感謝を永遠に 「キンキーブーツ」大千穐楽
ミュージカル「キンキーブーツ」。僕の人生を変えてくれた舞台が、日本で3度目の公演を迎え、2022年11月20日、大阪オリックス劇場にて大千穐楽を迎えました。
東京・大阪と今秋を駆け抜けたカンパニー。コロナ禍で公演中止が相次ぐ中で、1公演も、1人も欠けることなく、全公演をやり遂げてくれました。カンパニーの精神力と努力もあってこそですが、これは奇跡というほかないでしょう。
そして個人的な事情では、大阪初日に続いて大千穐楽もチケットを取ることができたのも奇跡。本当にありがたいとしか言えない。
今回は観劇レポ…と言いつつ、このミュージカルに対する思いもつらつらと書かせていただきます。
ちなみに初日のレポも、よければご覧ください。
大千穐楽の感想
ざっくり感想とカーテンコールの模様は、別記事にしていますのでそちらを良ければ参照ください…
なのですが、改めて。
開始前。観劇中のマナーについて、電話をしている体でアナウンスをするドン。注意事項はいつも通りで、最後に客席との自撮りを撮るのもいつもの流れですが、「最後だから」ということで写真撮影を2回するサービス。観客のことを愛してくれているのがよくわかります。アカン、もう泣く。
1幕。開始早々からなんだか音量が大きめの気がしました。初日観劇時と席が全く違うというのもあるのですが、単に音の大きさが大きいのではなく、「熱」がこもっているというのでしょうか。全キャストそれぞれ、全公演全力でやられていますが、その全力の上限値を突破したような。そして客席ももちろん最初からボルテージMAXなので、拍手の音は大きいし、各キャラの見せ場で欠かさず鳴り響く。舞台はキャストだけでなく、観客も一緒になって作るものと言われますが、まさにそれを感じました。
日本の観劇というのは諸外国に比べると、舞台と客の線引きがしっかりしていると聞きます。しかしまあ、キンキーブーツのファンは違いますよ。
ローラ登場のシーン「LAND OF LOLA」では、ご時世的に声は出せませんが、割れんばかりの拍手でローラを迎えます。前回の再演時はコロナ禍前でしたから、まあそりゃあすごい歓声が上がったものですが、今回もそれに負けじ劣らじ。ちなみにわたくし、この曲はCDで聴きすぎて、プロモーション動画も見すぎて、フルで踊って歌えます。さて誰得情報でしょうか。
2幕。印象的なのは「WHAT A WOMAN WANTS」のラストで、ドンから紙切れを受け取るローラが、うまく紙切れを受け取れずに床から拾うというプチアクシデント。それでも曲のタイミングに合わせてキレイに拾うのはさすがでした。
そして「HOLD ME IN YOUR HEART」では、多分優ローラ本当に泣いてた?のか、とても演技とは思えないすすり泣き。最後の「ありがとうパパ、愛しているわ」のセリフも、ほぼ消え入るような声で、初日のしんみりした演技とは違う、この日だけの感極まった表現だったように思います。
カーテンコールについては書きながら泣きそうになるので割愛。前記事を参照ください。挨拶はメインキャストのみですが、カンパニー全体の想いを存分に受け取りました。ここで大の大人が泣きすぎまして、会場を出たらマスクびしょびしょだったことに気付いた。
千穐楽は3階席真ん中らへんだったので、全体を俯瞰して見れました。全体を観れていいことは、各キャラクターの細かな演技などをキャッチできること。そういえば、19年の千穐楽も同じ3階席の真ん中らへんでした。
キャラクター愛
メインキャストは初日に語ったということもあるので割愛しますが、アンサンブル大好き人間として、メイン以外のキャストについても語らせてください。
みんな大好きエンジェルスは、場面場面で楽し気に何か話しているような様子があって、特に女性メンバーとは最初から親し気に、男性メンバーにはちょっとからかうような様子が見られます。セリフはほぼないのに、表情と雰囲気で伝わる。もうこれ俳優として凄い域でしょう。
初日に観れなかったカイル(風間由次郎さん)も見れて、エンジェルスコンプリート。意外と小柄に見えるのですが、お顔がすごくはっきりしていてお化粧映えするし、指先までキレイに神経が行き届いたダンスはダイナミックで美しい。衣装によって印象が結構変わるのもカイルちゃんの特徴ですかね。素敵よ…素敵よカイルちゃん…。
あと、カーテンコールではこの日出番がなかったエニシングちゃんも出て来てくれて、今回の公演で初お披露目となる、ポリス風お衣装も拝見できました。エニシングちゃんになら逮捕されてもいい。
エンジェルスは衣装もね、ホント全部素敵なんです。ああもう、全員うちで雇うから来てほしい。初登場シーンで、もう~か~わ~い~い~っ!って、心の中で叫んでいます(※アラサー男性社会人)。ホンマにそろそろ、エンジェルスだけでワンステージやりましょう。
パットは出番も多めで見どころも多いですが、基本的にノリがよくて、ローラともすぐに仲良くなったイメージ。「IN THIS CORNER」でのはっちゃけ具合が最高です。普段お仕事で色々あるのかな…と思うくらいで、トリッシュとのマイクバトルは熱い。「WHAT A WOMAN WANTS」でのローラとのダンスではローラに翻弄されながらのダンスですが、転ばずに「翻弄されている感」をあれだけ出せるのは凄い。
トリッシュは深堀しがいのあるキャラ。離婚または死別で夫はいませんが、小学校に行く娘を育てる働くママ。パットも母性がありますが、トリッシュもチャーリーやローレンへの母性を感じる。一方で、2幕では女性メンバーで唯一反ローラに与する役。ローラの言う「女が欲しいもの」と価値観が合わないのか、ローラとその魅力に魅せられる女性メンバーに「意味わからん」みたいな顔で怪訝な表情をしています。「WHAT A WOMAN WANTS」での「私は鼻が大きい人が好き」「噛みつくのが好き」のテンポと割りきりが気持ちいい。2幕中盤のチャーリーとの喧嘩のシーンでは彼女のプライドが垣間見える。考察しがいのあるキャラやなあ…。
ハリーはチャーリーの友人として、一瞬しか出番はないのですが(その後工場メンバーとして舞台にはいる)、「失敗しても戻ればいい」「やるしかないのさ」と、中々さらっと流すには重いメッセージを、さらっと伝えてくれる役どころ。チャーリーが前に進むきっかけはローレンの「ニッチ市場」という言葉ですが、そもそものチャレンジ精神へのアクセルはハリーが踏んでくれたようなところがある。ちなみに「僕の人生に靴しかないなら~」のくだりは、「町をぼうっと眺めていることだろう」にセリフが変更されてました。
フーチやマットをはじめとする男性工場メンバーは、ドンの取り巻き…というわけでもなく、彼らは彼らで(たぶん養う家族があって)働く人たち。だからこそ、「チャラチャラした」ローラはあまり受け入れることができなかったのかもしれません。でも「SEX IN THE HEEL」で最後までヒールに見惚れていたりして、案外ローラが言う通り「家ではブラジャーをつけてTVを見ている」のかもね。
マギー、ジェンマ、マージといった女性メンバーは、ローラの魅力に惹かれていく様子がわかりやすくて見ていて飽きません。「STEP ONE」では「うちの若社長さんなにしてはんの」みたいな感じですが、「SEX IN THE HEEL」くらいからはエンジェルスとも仲良く話していて、ガールズトークに花を咲かせている感じ。みなさんパワフルな歌声をお持ちなので、ハイカロリーなキンキーブーツというミュージカルになくてはならない存在です。
リチャード・ベイリー。二コラの上司で、靴工場を宿泊施設に生まれ変わらせる案を提案するということで、ストーリー上はちょっとした悪役…というか壁役。ちなみに2幕中盤で二コラは念願の赤い靴を手に入れますが、あまりにいいタイミングで二コラを迎えに来るので、19年公演を観た時は、「え、リチャードに買うてもろたんか二コラ!」と思ってました。でも多分違いますね、二コラは自分で稼いで、自分で買ったね。ということにさせてください。
チャーリーパパも出番は冒頭だけですが、プライス&サンの社歌が流れてから、実質開幕一番の歌声を聴かせる、舞台として大事な役です。思えば、チャーリーパパの「熱」が最初から高かったから、大千穐楽は全体的にボルテージが高く感じたのかもしれない。ラストシーンで、ヤングチャーリーとヤングローラが、それぞれクロスして互いのパパの胸に飛び込むシーンは、何回見ても泣く。
サイモンパパは出番はほんの少しで歌唱シーンもありませんが、ほぼ唯一のセリフ「そんな靴など脱いで早く中に入れ、この馬鹿者!」だけでこんなにインパクト残せますか?ちなみにたぶんですが、ローラを襲う暴漢役はサイモンパパと同じ人な気がする。
ほんと、全員素敵なキャスト。
3回目の公演
今回は日本キャスト版としては2016年の初演、2019年の再演に続いての3回目の公演。2019年終了後から「また出来たら」という話はあったようですが、この3年間の間にいろんなこと、それも大きなことが、ありすぎました。
まずはコロナ禍。誰もが予期せぬ、文字通りの未曾有のパンデミック。エンタメはもろに「自粛」「感染対策」の影響を受けました。今や感染対策を取った上で、随分復活してきたところですが、それでも公演中止や延期は相次いでいます。エンターテイメント、特に生の舞台やミュージカルにおいて、無事に客席に人を入れて公演することができるということが奇跡であるか。キャストやスタッフ、制作陣だけでなく、客側も思い知ることになりました。
そして、16年・19年の2回に亘り、日本オリジナルキャストとしてローラを演じた三浦春馬の急逝。誰もが「3度目の春馬ローラ」を熱望していたところの訃報。彼はちょうど、結果的に遺作となった自身の楽曲もリリースを控えていたところでした。
日本版キンキーブーツにおける「大黒柱」を失ったとも言える悲劇。今回の公演に当たっての各メディアでのインタビューや、大千穐楽でのカーテンコールでの挨拶を聞く限り、春馬を失ったという事実が、この作品においてどれだけ大きなことであったかは、想像に難くありません。日本版キンキーブーツは、あの時、止まってしまう可能性があった。
そんな中、キンキーブーツは新たなローラを迎えて動き始めてくれた。
そこには、初演からこの舞台に携わってきた方たちの並々ならぬ決意、新たに加わるメンバーのとてつもない覚悟がありました。このままキンキーブーツを、ある種の「過去の栄光としての伝説」にしてしまうこともできた。でもその伝説を、過去の栄光にせず、「未来へ続く、受け継がれ更新していく伝説」とするために、再び動き出してくれたのです。
これは奇跡。しかし、神や運がもたらした奇跡ではなく、カンパニーが自らの手で掴んでくれた奇跡です。
優ローラ
この3回目の新たなローラを演じたのは城田優。亡き三浦春馬のあとにローラを演じるのは誰か、それが決まった時「城田優でよかった」と思ったことを今でも覚えています。
初日のレポにも書きましたが、ゲネプロの映像で見た時は、少し緊張感が強く出ていて、正直不安に思ったのも事実でした。もう少しはっちゃけてもいいのに、と。でも、大阪で見た優ローラは、そんな不安を見事に消し去り、最高のローラを魅せてくれました。
ただでさえプレッシャーの大きい役で、最早「伝説」となってしまった前任の影に飲み込まれてしまってもおかしくないところで、城田優は見事なまでの優ローラを創り出してくれた。あの大きな体でも支えきれないほどのたくさんのモノを背負っていながら、あれだけの輝きを魅せてくれるローラは唯一無二でしょう。
春馬ローラには春馬ローラの、優ローラには優ローラのいいところがある。なんなら、16年の春馬ローラと19年の春馬ローラもそれぞれ違う魅力がある。それぞれ映える部分も違えば、伝わるメッセージも違う。こうして様々な「ローラ」が作られていき、語り継がれてこそ、キンキーブーツは、ローラというキャラクターは輝く。それを証明してくれたことの俳優・城田優の偉大さには感服すべきでしょう。
もちろん「好み」はあるかもしれません。例えば「SEX IN THE HEEL」のダンスブレイクの場面は、春馬ローラの方が良さが出ていたと思います。カリスマ的な心身の美しさ、軽くしなやかな身のこなしは春馬ローラの持ち味。
一方で、「NOT MY FATHER'S SON」での「サイモン」としての表現は、まるで子供のころに戻ったような無垢でいたいけな歌声で、繊細さのある優ローラの良さが出ていたと思います。コメディシーンのプリティな表現も含め、等身大の人間味が感じられるからこそのローラは、優ローラにしかできないでしょう。また恵まれた体格は、まさにドラァグクイーンとしての華を演出します。
春馬ローラはたおやかさとしなやかさが強みだと思うのですが、優ローラはドラァグ感が強くて、今にも観客を食ってしまいそうな、そんな勢いがある。「LAND OF LOLA」の「私に落とされた男は~最後でもないわ」というセリフも、春馬ローラは「最後でもないわぁ(フフン)」、優ローラは「最後でもないわっ!!(ペロリ)」って感じ。伝わって。とにかくそれぞれ良さがあるんです。
今後4回目、5回目と公演が続くとしても、このローラという役は誰がやってもプレッシャーの大きな役になるでしょう。でもだからこそ、色んな人がローラに挑戦してみてほしい。
そして優ローラを再び見ることができるなら、きっと(春馬ローラもそうであったように)、さらにパワーアップしたローラが帰ってくることでしょう。
愛を刃に変えないで
少し余談になりますが、大事な話なので敢えて書きます。
城田優がローラに決まった際、春馬ローラを望む(叶わぬ)声も多数あり、それは時に、人に向けた言葉とは思えない形で世界に発信されていました。そこには彼のスキャンダラスな一件も関係していることでしょうが、個人的には「それはそれ」であって、どんな状況であっても人に向かって使う言葉は、選ばれるべきだと思います。(余談次いでに言うと、僕はスキャンダルやゴシップの類は基本的に好きではないし、芸能界に僕らパンピーの常識を当てはめること自体ナンセンスとすら思う)
確かに春馬ローラは素晴らしかったですが、そのすばらしさを称える言葉を刃に変える、人間という生き物の残酷さには胸が痛むどころではありません。
両者を比較することは悪いことではありません。むしろ、比較してこそ見える魅力もたくさんある。むしろ、比較することで作品の世界は広がりを見せる。
ただ僕は、根底にはそれぞれの良さ、それぞれの魅力へのリスペクトを感じずにはいられない。「違うからこそ良い」というのは、キンキーブーツのメッセージの一つでもあるように思います。
春馬ローラへの愛は、天国にいる三浦春馬に向けられてほしい。彼が演じたローラは、「愛とは何か」をその身で体現していたはずなのですから。
「愛を輝かせる」時に、その輝きは刃物の輝きであってほしくありません。
僕の人生を変えた作品
キンキーブーツは僕の人生を変えた作品、と何回か書いてますが、これはオーバーに言っているのではなく、本当にそう思っています。
初めて観たのは19年の再演時でしたが、本当に「偶然」でした。
その時僕は社会人2年目で、奨学金を返し終え、新しい趣味でも見つけようかと舞台鑑賞を始めた時期です。その時はミュージカルではなく、ストレートプレイが中心で、偶然にも三浦春馬主演の舞台「罪と罰」も観ていました。そのプロモ映像をYouTubeで見ていた時に、16年版のキンキーブーツが流れてきて、衝撃を受けました。そしてこれまた偶然チケットを入手することができ、観劇に至ります。
俳優、もとい表現者としての三浦春馬に感服したと同時に、「こんなに楽しくて、メッセージ性があって、素敵な舞台があるのか」と衝撃を受けました。元々ミュージカルは好きでしたが、このキンキーブーツ観劇をきっかけにミュージカル鑑賞にもハマっていくことになります。今、僕がミュージカルをたくさん観て心を潤せているのは、キンキーブーツと出会えたからです。
そしてこの作品の普遍的なメッセージ。「ありのままの他人を受け入れる」。僕はあまり他人に心を開かないタイプですが、心を開くのではなく、ありのままを受け入れる、というのがストンと腹落ちして、誇張ではなく世界を見る目が変わりました。ありのままを受け入れ、自分が変われば、世界も変わる。まさに第6のステップ。
そして「なりたい自分になればいい」。自分で自分を雁字搦めにしがちな僕を、救ってくれた言葉です。もしかすると、「他人」だけでなく、「ありのままの自分」も受け入れることで、なりたい自分になれるのかもしれない。意固地で、頑固で、自分の弱さを見せるのがいやだから完璧主義を振る舞う、そんな自分も受け入れる。受け入れれば、そこから変わることだってできる。
代表的なメッセージはこういう言葉になりますが、キンキーブーツという作品には「メッセージ」というのでは足りないくらい、感じさせてくれるものがたくさんある。それは今も更新され続けていて、日常のふとした時に、「あ、これってもしかして」と、キンキーブーツという作品が僕の中で生きているのを感じる。ここまでの作品に巡り合えたことは、本当に僕の人生の宝物です。
JAPAN GETS KINKY FOREVER
「観劇レポ」というにはあまりにも主観的すぎるnoteになってしまいました。その是非はともかくとして、とにかく言いたいのは、
キンキーブーツという作品を未来へつなげてくれてありがとう
という気持ちです。そしてこれからも、この作品の変わらぬ良さを永遠に輝かせてほしい。そしてもう一方で、キャストが代替わりしていきながら、変わっていく良さも創りながら、新しいキンキーブーツの世界を広げていってほしい。
キンキーブーツにかかわる全ての人と、キンキーブーツを愛する全ての人へ愛と感謝をこめて。
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