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生活習慣を布教する

神道は、日本人の暮らしの中から生まれた信仰といえます。遠い昔、私たちの祖先は、稲作をはじめとした農耕や漁業などを通じて、自然との関わりの中で生活を営んできました。そんな日本人の生活と密接に関わっていた神道。生活文化の集合体のようなものである神道も宗教というカテゴリーに区分されます。

では、宗教について考えてみましょう。宗教団体、つまり神道の場合はそれぞれの神社の目的を、宗教法人の定義から引用すると、

宗教法人は,教義をひろめ,儀式行事を行い,及び信者を教化育成することを主たる目的とする団体。

宗教法人の目的とは、布教すること。

つまり神道でも布教があるはずである。しかし、一般的には神道には教義・経典、つまり教えがないと言われているが、では我々は神社という場と空間に委ねて、何の行動も起こさないといえばそうではない。

祭りや神事を通して、日々の生活の実践によって教えは伝えられてきた。

最初に収穫されたお米をまず神様にお供えすることで、自然の恵みによって、生かされていることに感謝する気持ちを育むこと。春には豊作を、夏には風雨の害が少ないことを祈り、秋には収穫を感謝する。稲作という暮らしの実践とのかかわりがあったと言えます。

話は戻りますが、神道とは、日本人の生活実践から生まれたもの。つまり、生活と密接に結びついていることが大事であると言えます。最初はお米を育てることで、食生活を営んでいたことから、社会や経済の変化とともに、神社と人々の生活の関わり方も変化していった。

戦後、西洋化や近代化によって、社会的にも共同体から個人が重視されるようになり、さらに経済が発展することで、人々の生活が豊かになり、個人に選択肢が生まれました。その自由な選択肢とインフラの発展が人の移動を促進し、神社も社会の変化に応じて、変化を示します。

例えば、男女の素敵なご縁がありますようにという願いに応じて、「縁結び」の神社。受験ブームの到来とともに「学問」の神社。それぞれの神社が特色を示しながら、社会の変化に応じ、暮らしと結びつきを得ようとしていきました。

ただ、○○の神社というモデルは、受験、厄除け、安産などの人生におけるポイントを接点とするので、お祭り(イベント事)的要素が非常に強く、非日常化し、生活と少し乖離していってしまったように感じている。

宗教法人の目的である布教。神道における布教とは、人々の生活習慣の提供ではないか?と考えている。そもそも誰が絶対的な人が作り出した宗教形態ではなく、日本人の暮らしの中から自然と生じたものであるとすると、暮らしとの結びつきを創造することこそ、神職の役割ではないであろうか?

では、これからの神職は、布教=暮らしと結びつく生活習慣を提供すること。ここが求められているように感じております。


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