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神道とランニング

走ることは自然の一部になること

地球温暖化や気候変動の中、環境問題は人類の生存をかけた切実な課題になってきております。しかし、日本は環境問題以前に自然と共生する在り方を心得ていたといえます。日本最古の歴史書である古事記では、人間を青人草と表現しています。

青人草とは、「青草のように繁茂し生きている人々」という意味を表しています。この言葉を見ると、人間も自然の一部であり、人間と自然は共生してきたことを感じさせられます。人間は自然の恵みによって、生かされていたのです。古来より、自然とともに生活してきた日本人には、人間と自然が対立している感覚ではなく、自然から人間が生きていく上で貴重な恵みをいただいていたという感覚だと思います。

最近、服部天神宮が足の神様としてご崇敬をいただいているので、たくさんのランナーが参拝しています。そんなランナーと神社の関係をもっと知りたいという想いから、ランニングを始めました。

そのような神道の考え方が、ランニングする際の感覚とクロスすることが非常に興味深いです。

走る経験を積むうちに、“走ること”は自然と一体になり、自らが自然の一部になることだと思った。走りながら風や光、音、匂い、心臓の鼓動や血流によって生きていることを実感する、それこそがランニングの醍醐味だ。そのためには自分自身が自然と同化することが必要で、雨が降り、風が吹くことでますます自然に近づくことができるのだ。
「人は、なぜ走るのか」-合理的に説明できない価値の魅力(2)

走ることを続けていくことで、自らが自然の一部であると感じられる。都会で暮らしていても、走ることで自然を感じ、自然と一体になることで、人間らしさを取り戻しているのかもしれないと推測しています。そして、そのような感覚こそ、神道とリンクすることがあって、これから一見違うようにみえるものが、重なり合う可能性を探求してみたいと思っています。

走ることでお祓いする

神道ではお祓いが大切にされています。人間も、草、木、花と同じように、知らず知らずのうちに、生気が弱まり、気が枯れてしまう。それは、ストレスが溜まり、心が疲れ切った状態です。お祓いを行うことで、人間の本来の活力ある状態に戻っていき、素直で清らかな状態へ回帰するのです。

情報が溢れ、複雑化した現代社会。メモリが限られている人間に、さらに情報を足すことによって、感情や思考に囚われてしまい、心と体が疲弊します。お祓いによって、感情や思考をリセットし、フラットな自分に立ち戻っていくのです。

このお祓いと似た感覚が生まれていると感じるのが、ランニング。すごくわかりやすい説明があったので、引用しました。

古代の壁画に人が両手を挙げて走る姿が描かれている。人は“走ること”で生きる喜びを表し、嬉しいときに本能的に走る習性があるのかもしれない。複雑化した現代社会において、人間はあまりに多くのモノを身に付け過ぎた。人は“走ること”によって心と体の老廃物を体外へ排出し、“原初状態”に戻ることができるのではないか。                    「人は、なぜ走るのか」-合理的に説明できない価値の魅力(2)

特に『走る』の効果の一つはホルモンの分泌が促されるところ。心の状態は間違いなくホルモンに影響を受けます。走る時間は雑念が取り払われやすいので、感情や思考が自然とリセットされ、まっさらな心の状態に戻っていくようです。

まさに、ランニングすることで、思考や感情が整理され、心が整っていく。そんな気づきを感じながら、走ってみると、充実した感覚が得られるでしょう。

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