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数学と計測

訳者コメント:
 私の会社員時代には技術者として数値と制御にどっぷりと浸かっていました。エンジニアリングの営みというのはコンピューター以前から「誤差が実用上十分に小さければそれで良い」という考えで出来ていました。それが根本的に抱える文明的な誤りに、私は全く気付いていませんでした。
 仮想現実(VR)やデジタルレプリカ、IoT(モノのインターネット)にまで突き進んできた現実世界の抽象化は、元をただせば個性を無視し同じものを一括りにして「数える」ことから始まっています。数値化に必ず伴う「端数の切り捨て」が、デジタル世界が本質的に落とし込み、劣化コピーでしか無いことの裏付けです。数えることは人間に何をもたらしてきたのでしょうか。
 ぼくが小学生だった1970年代の中頃、理科に詳しい担任の先生が「ミニ・レスポンス・アナライザー」というのを自作して、教室で使う実験をしました。先生の質問に回答するため、手を挙げる代わりに手元の「○」スイッチを押す。すると先生の机にある電圧計の針が「○」の子の数を示すのです。子供のぼくはそれを見て、何か底知れぬ不気味さを感じたのを思い出します。それは顔の見える挙手ではなく、顔を取り去った電圧計の針として、自分たちが見られている不気味さだったのだと、今思い出して分かります。
(お読み下さい:訳者からのお知らせ


2.4 数学と計測

数学の最も初期の形は、間違いなく数を数えることであり、数の発明でした。名詞と同じように、数字は現実を抽象化したもので、自然の無限の多様性を標準的なものの集まりに落とし込んだものです。何かが5つあると言うことは、その対象物が2つ以上存在する可能性があることが前提であり、それによって宇宙にある個々の存在の特殊性を否定することになります。あなたの家族が夕食の席に着くとき、全員が揃っていることを確認するため人数を数える必要はありません。すべての人を個人として知っている社会、すべてのものが唯一無二のものとして直接に認識される社会でなら、数は馬鹿げたものでしょう。旧石器時代の哲学者がこんなふうに抗議するのを想像できます。「それらが3つだなどと、どうして言えるのか? それは1つと1つと1つなのであって、それぞれが世界で固有の場所を占めているのだ。」

したがって、「1」、「2」、「たくさん」以外に数を表す言葉を持たない狩猟採集社会が、人里離れた地域で数多く発見されているのは驚くに当たりません[34]。現代人の感覚では、これは子供のように単純である証拠、あるいは認知能力が発達していない証拠だと解釈するのが普通です。でも、おそらく単にその必要性がないのでしょう。彼らは具体的な世界に生きているのです。これは5と6を区別できないという意味ではありません。カラスでさえこの芸当ができると言われています。それは単に、これらの量が抽象化の対象ではなかったということです。

番号を付けることは、最も原始的な計測の形態のひとつであり、質を量に変換すること、固有で独特なものを標準的で一般的なものに変換することにほかなりません。物に番号を付けることで、私たちは暗黙のうちに抽象化を行い、幾多の固有の物体を、均一な多数の集まりに変えているのです。いま私たちは、リンゴとオレンジを足すことができないのを分かっています。以前の世界では、すべての物事や瞬間に個性があると認めていたので、リンゴとリンゴを足し算することさえもできないと知っていました。

数字は言葉にも増して、その対象を本来の相互参照の網の目から排除し、それらが個別で一様なものであることを暗示します。やがて、記号による表象的な世界が私たちをリアルで身近な世界からますます引き離すようになって、私たちが踏み出した最後の一歩は、もともと数字が抽象化したものよりもリアルな存在論的地位を、数字に与えることでした。ピタゴラスと、その後を継いだプラトンは、本来の抽象化の順序を逆転させ、抽象化そのものに最上位の実在性を与えました。アリストテレスはピタゴラス派の見方を次のように説明しています。「彼らは数という要素が万物の要素であり、全宇宙が音階であり数であると考えていた。[35]」彼の批評が浮き彫りにするのは、知識の基礎を抽象という操作に置くことの危険性です。

そして、天の属性や部分が全体の配置と一致することを示せるような数や尺度のすべての特性を収集し、彼らの計画にはめ込んだ。そして、どこかに食い違いがあれば、自分たちの理論が首尾一貫するように、すぐに追加を行った。例えば、10という数が完全であると考えられているので、天界を移動する天体は10あると言うが、実際に見える天体は9つしかないため、これに合うように10番目を考え出すのだ。

早くも紀元前6世紀に、科学者たちは自分たちの思い込みを証明するためり好みしてデータを集めたり省略したりしていたのです!

驚くべきことに、ピタゴラスが抽象化を高めたのは、ギリシア人が数字を使い始めるより前のことらしいのです[36]。ピタゴラスの数学は、純粋に幾何学と比率に基づいており、それゆえ今でも具体的な小石や土に描かれた線と目に見える形で結びついています。数学が新しく進歩するたびに抽象化は拡大し、私たちの考え方はますます記号に基づいたものになり、記号が写し取った現実から、さらに遠ざけられてしまいました。そのような進歩のひとつが数字の概念であり、10進数とゼロの発明もそのひとつです。ゼロによって、無を表すものが初めて登場しましたが、それが的確に言い表すのは、記号とそれが表しているはずの現実との乖離かいりが一般化したことです。

数字は具体的な現実に枠をはめ変動範囲を小さくしてしまうので、無視された変数が再び忍び寄り、測定の及ぶ範囲を広げることで世界をコントロールしようとする私たちの試みを打ち壊すのも、不思議ではありません。ガリレオの時代から、科学の目標と方法は本質的に、観察された現象の世界全体を数字に変換することでした。測定は物事を数値に変換し、次には急成長する抽象化の塔の中で、科学の方程式がこれらの数字を他の数字に変換します。そこに見える前提は、いつか私たちが全てを測定できるようになれば、完璧な理解、ひいては完璧なコントロールが可能になるというものです。実際、現在では自然科学や社会科学さえも、観察可能なあらゆる現象を包括するという「データ」、つまり数字を提供しています。しかし、「すごーい未来」という約束の破綻が示すように、世界をどれだけ数値化しても、完璧なコントロールは相変わらず困難です。数学と、ひいてはその足場の上に築かれた科学とテクノロジーには、抽象化という性質のため必ず見落とすものがあることを、私たちは忘れてしまったようです。今のところ私たちの対応は技術的対策にとどまっています。計測をもっと押し広げ、除外されていたものを取り込む、つまり失敗を是正するため同じことをもっとやるというわけです。概念的なレベルでは、20世紀に量子力学とカオス理論が発展し、この計画は行き止まりになりました。現実的なレベルでは、現実を数字に還元することでよりよく管理しようとする計画が何度も失敗したという教訓を、これまで私たちは理解することができていません。その代わりに、私たちはより多くの数字を、より多くのデータを求めます。

数学と計測が客観的だというのは、観察者と被観察者の相互作用の中に存在する特殊性を対象から排除するという意味で客観的なのです。それは、対象物が「向こう」に、つまり私たちの主観の外部に、個別に存在するという観念と一致していて、「存在」は2者からなる述語であり相互作用であるという、古代の神秘主義と現代物理学に共通する原則を否定しています。現在、客観性という概念は、私たち自身を個別ばらばらの個人として含む世界観の中心をなしています。それは古典物理学と〈科学的方法〉の根底をなすものでもあり、「科学的」という形容詞が何を意味するかを教えてくれます。それが私たちの知覚にどれほど深い影響を及ぼしているかを知るには、ただ「存在する」ものをイメージしてみましょう。あなたが思い描いたのは、何かがひとつだけ浮いているようなイメージですか? ならば私たち自身が孤独を感じるのも無理はありません。存在するとは、別々であるということです。本書で私は革命を呼びかけますが、それは可能な限り深い革命です。それは、存在の概念を、「存在イコール関係」という新しい方程式に置き換えることです。

言語と同じように、数の中にある現実の抽象化は恐ろしい結果をもたらします。デリック・ジェンセンが言うように、「個人を殺すより数を殺す方が簡単だ。何トンの魚でも、何立米りゅうべいの木材でも、貨車何両分の劣等人種でも。[37]」機械の論理とプロセスは、数値化され測定できるものであれば、何でも同じように投入物として受け入れます。数字に現実を落とし込んで取り残された部分は、それが誰かの家や生業なりわい、命そのものであったとしても、計算に入ることはありません。それゆえ繰り返されるのは、「私は犠牲者数ではない、人間なんだ」という言葉です。今の世界の残酷さは、言語と計測のもつ引き離しの効果なしには存在できなかったと思います。赤ちゃんに危害を加えられるような人はほとんどいませんが、国策決定の統計やデータによって現実から遠ざかった指導者たちは、ほとんど何も考えず、膨大な規模で、命を奪います。

その最も極端な応用として、”one”が「私」を意味するという客観化と抽象化の究極の表現において、数と言語は結合します。ここに個別性の無効化は自己にまで及び、自己は一般化され、非人格化され、交換可能にされ、その個性は否定されます。また、この”one”の使い方の普遍性は、他のすべての人々を、広大な機械世界の多くの交換可能な規格部品のような、同じ”one”の集まりへと変えてしまいます。

そもそも最初から、数の概念は宇宙を客体化・物扱いし、世界を人間の操作に服従させることを意味していました。じつは、”number”(数)という言葉の語源には、「つかむ」、「取る」、「捕らえる」という意味があり[38]、”digit”(数字の桁、デジタル)が指を意味するのと同じです。したがって、数の概念が生まれたのは、この章で説明したような他の力、つまりテクノロジー、言語、分業、そして最も重要な農業が、世界を操作の対象に変えてからだったと思われます。数と商品は強く相互依存した概念で、共有されていたものを交換、商取引、貨幣に置き換える一因となりました。「この牛」は「一頭の牛」になり、数は特定の対象から抽象化されたものになりました。「数字と商品は永遠に切り離され、その結果、最も重要なことは、世の中のあらゆる物事を数値化するために数字を適用できるようになったことである。世界を穀物や羊のように、リスト化し、管理し、再分配できるものと考えることが可能になったのだ。[39]」

科学が暗示する(そしてガリレオ、ライプニッツ、カントが明確に打ち出した)全世界の数字への変換は、世界を完全にコントロールするという計画と不可分のものです。啓蒙思想の科学者たちが自然を数に変換する計画を高らかに宣言した直後、改革者たちが尺度の客観化をも目指し、重さ、長さ、体積の古い単位を新しい「合理的」単位に作り変えたのは、偶然ではありません。メートル法は人間の尺度を観測可能な宇宙の客観的特徴に基づく尺度に置き換えたものです。古い華氏温度(℉)は人間の自然な経験と関連したもので、ゼロは最も寒いとき、百は最も暑いときの気温に相当しますが、摂氏温度(℃)はある気圧における水の融点と沸点に基づいています。またフィートとメートルを比較してみましょう。[1フィートは足のサイズに相当する一方、]メートルは、もともと地球の円周の4千万分の1として「客観的」に定義されていましたが、現在はある特定周波数の光の波長に基づいて定義されます[40]。尺度は人体や日常経験という本来の源から切り離されてしまいました。

前世紀に、世界を数字に落とし込む動きは加速する一方で、特にコンピューター時代において顕著でした。音楽はその典型です。音楽を楽譜に表すことはそのずっと前から土台作りが進んでいましたが、音楽の数学化はバッハによって加速しました。バッハによって「個々の声は独立を失い、音はもはや歌われるものではなく、機械的な観念として理解されるようになった。バッハは音楽を一種の数学として扱い、多声の声楽という段階から器楽合奏の段階へと移行させたが、その基準になったのは楽器によって常に固定された独立の単一音で、あやふやな人間の声ではなかった。[41]」現在、音楽はデジタル化され、膨大なビットデータへの変換が完了しました。もはや音楽は他の「デジタル・コンテンツ」と同様、数字の羅列にすぎません。ここに数量化がもたらす落とし込みの良い例があります。一般に信じられていることに反して、標準的なCDオーディオ・フォーマットは、特に高い周波数においてアナログとは明らかに異なっています。本来の豊かさの一部が永遠に失われ、音楽愛好家はデジタル・サウンドの冷たさに比較したレコードの「暖かさ」を語ることがあります。もちろんテクノロジーによる解決策は、失われるデータが人間の聴覚的識別力を下回る程度までサンプリングレートを上げることです。それでも無限を有限で表現し、連続的なものを不連続にしなければならないことに変わりなく、ただ少なくともこの現実の似姿が「十分に良い」ことを望むのです。

デジタル化は画像にも適用され、「分析」できるもの全てに適用することが可能です。たとえば、人体の運動は3次元空間の数値座標に変換することができますし、人間の話し声は非常に多くのサイン波に変換できます。世界はもともと数字に還元可能[つまり落とし込み、単純化が可能]だという仮定(そして気付いてほしいのは「落とし込み」という言葉の自然さなのですが)、十分多くの数字を使いさえすれば、重要なものは何も失われず、あるいは何が失われたか気づくことはないだろうという仮定は、現実から究極的に人間を切り離すテクノロジーの動機となり、それは「仮想現実」(VR)と呼ばれます。VRは作られた現実で自然な現実を置き換える最終段階です。VRによって、切り離された人間の領域は最後の一歩を残して完成します。もしも科学が暗示するように、宇宙全体が数字に還元可能であるならば、私たちもまた還元可能なのであり、そのためSFのシナリオでは、いつの日か私たちの意識をコンピューターにアップロードして不老不死を達成し、そこで最も良く最も快い人工体験を永遠に楽しむことができるようになるのです[42]。これで私たちが体験する世界を完全にコントロールする〈テクノロジーの計画〉が完了するのだ、と、妄想するわけです。

ニール・スティーブンソンやヴァーナー・ヴィンジといったSF作家は、人々がデジタル表現された現実の中でほとんどの時間を過ごしたり、完全に構築された現実の中で生活したりするような未来を描いてきました。このようなシナリオはすでに実現しつつあり、販売されるすべての製品に一つ一つ無線識別タグが貼られ、インターネットが地球全体の仮想コピーとなる段階のお膳立てをしているのです。

現在のIP(インターネット・プロトコル)は32ビットのデータ・ラベルを使い、生きている全ての人間に固有のオンライン・アドレスを提供することができるが、直接アクセスは約100億のウェブページやコンピューターに制限される。一方、IPv6では128ビットが使われる。これにより、海面から山頂まで地球上のあらゆる場所に1センチ単位で仮想タグを付け、地球上に多次元データの仮想世界を覆い被せることが可能になる。あなたの腕時計から、近くの街灯、自動販売機、ゴミ箱、さらにはゴミ箱の中に捨てられた物の大半に至るまで、無線タグの付いたあらゆる人工物が取り込まれるだろう[43]。

名付けと数字に見られるように、私たちが世界中のあらゆる物や人をデータセットに変換しよう企てる可能性はあります。

音楽のデジタル化であれ、VRの中にある現実のビット化であれ、本物とほとんど変わらない現実を作り出そうとする私たちの猛烈な努力が狂気の沙汰であるのは明らかでしょう。私たちは、自由に利用できるオリジナル世界の、劣ったバージョンを作るために多大な努力を払っているのであり、「労働」という概念がまだなかった原初の時代の豊かさを、より効率的な省力化装置によって再現しようとする私たちの熱狂的な試みと同じです。作られた現実が本物より劣っているのは、どんどん強烈さを増していくシミュレーションがその証で、テクノロジーに媒介されない直接体験から奪われた豊かさと激しさを補おうとするからです。私たちが現実を表現するためどんなに多くの数字の束を作り出しても、その無限性の中の何かが失われてしまいます。その代わりに、私たちは「十分近い」、つまり分断の時代を生きる劣った生活で、我慢しなければなりません。数、言語、イメージなど、私たちが自分自身と現実の間に挟み込む表象のシステムは、表象しようとするものの劣化コピーであるのが常です。宇宙を完全に数学化するという〈科学の計画〉は、有限の手段で無限に到達しようとする、もうひとつのバベルの塔なのです。


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注:
[34] リュシアン・レヴィ=ブリュール [Levy-Bruhl, Lucien,] How natives think, New York: Humanities Press, 1926. p. 181
[35] アリストテレス [Aristotle,] Metaphysics. Cited by J.B. Wilbur and H.J. Allen, The Worlds of the Early Greek Philosophers, p. 86.
[36] J.B・ウィルバーとH.J・アレン [Wilbur, J.B. and H.J. Allen,] The Worlds of the Early Greek Philosophers, p. 87.
[37] デリック・ジェンセン [Jensen, Derrick,] A Language Older than Words, Context Books, 2000. p. 41
[38] ザーザン [Zerzan,] p. 48
[39] バークとオーンスタイン [Burke and Ornstein], p. 45.
[40] メートルの当初の定義は、地球の円周が絶対的で不変のものではないとわかったときに放棄された。今、私たちは宇宙の物理的な「定数」についても同じことが言えるのではないかと疑い始めている。これもまた、第3章で述べるような確実性の追求に望みがないことの一例かもしれない。
[41] ザーザン [Zerzan,] p. 57
[42]デイヴィッド・ドイッチュは、古典的(非量子)コンピュータ上での完全な現実シミュレーションの不可能性を説得力を持って実証しているが、量子コンピューターでは、制御不能な現実の不確実性が微妙な形で忍び寄る。
[43] デイヴィッド・ブリン [Brin, David,] “Three Cheers for the Surveillance Society!” Salon , 8/4/2004.


原文リンク:https://ascentofhumanity.com/text/chapter-2-04/


2008 Charles Eisenstein



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