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死ねないブルース

ある人に、大変さんはnoteを書き続けてどうしたいのですか?と聞かれて、咄嗟に「私これまでなぜ死ななかったのか知りたいんですよ。色んな出来事を振り返って、いくらでも辛いことがあったのに死にたいと思っても私はなぜ死ねなかったのか」と、自分でも驚くような言葉が出て(笑)それからときどき思い出して考えていた。

答えは簡単だった。
死にたい〜!と言いながらも死なないのは真意より小出しに、死にたい。と吐き出さないと不意に車道に飛び出したりしそうだからだ。ある意味防御というか。
かなり追い詰められていた時は、対向車線のヘッドライトに吸い寄せられるような感覚に陥ったことがあった。あれは正直危ない感覚だったと思う。

防御反応で知らず知らずのうちに、手前でブレーキかけてたのね。

そういえば小学3、4年頃だったかな?「死ね」が大流行りしてしまった。どのクラスの先生も神経をとがらせていたように思う。「せぇんせぇーい!〇〇くんが死ねって言ってましたぁー!」などのチクリ一つ一つを毎日しらみつぶししていくのを目の当たりにしていた。今じゃ有り得ない体罰といえるお仕置は当たり前。死ね、って言っただけなのに吹っ飛んでしまうビンタをする体育会系の学年主任を私は軽蔑していた。
どれだけひどい言葉か、軽はずみで言っても言われた人はどれだけ傷つくか。それはわかる。わかるよ?
だからって、吹っ飛ぶほどビンタしていいのか?と、小学生の私は実に冷静だった。

大人が思うほど意味なんてちゃんとわかっていない。とりあえず言いたい。という感じ。
過剰な反応に拍車をかけて、たいして収まらず今度は「殺す」なんかも流行りだした。てめー殺すかんな!なんて男子が言い合ってると、竹刀を持った先生が廊下に呼び出してピシャンピシャンと凄い音がしていた。まじ卍。

話がそれました。

エピソード内容はまだ書けないけど、かなり辛く死にたくて知恵袋に聞いてみたことがあった。ほとんどは2chのような「死ねば」「わざわざ書いてど同情をかうな」「かまってちゃん」などと書かれた。ある人が書いてくれたものが、無責任だとか、すごく乱暴な言葉を並べて最後に「死ぬなんていつでも出来るんだよ、誰のために生きるかだとしたら頼むから今あなたにコメントしている俺のために死ぬな!死なないで!」と書いてあった。しばらく呆然として涙が枯れて、咄嗟に自殺防止ダイアルに電話した。たまたま電話に出た人がポンコツで、聞き取りにくいらしく何度も同じ話をしたり、相づちが「んふぅ」という感じの熟女だったため次第に萎えてしまった。「あっ、大丈夫でーす。」と言って電話を切った。そしてまた知恵袋のあのコメントを目に焼き付けてた。

死ぬって、死なないとわからないけど、死んだら帰ってくる人が居ないのだから余程いいところなんだろう。という話は座布団に座ったカラフルな人達から度々聞く。

死ぬなんて、まともに考えようものなら気持ちからなにから落ちていってしまいそうで避けたいもの。自ら命を絶つことは誰かに後始末をさせることになる。これは申し訳なさすぎる。嫌だなぁ痛いのは…泳げないじゃん?水はダメ、薬、、中途半端になったら大変、あーやだやだと、この辺までくるとケロっとしている。そもそもまともに考えてないんだから。

島田紳助さんが昔テレビで言っていた。言葉は言霊、死ぬとかネガティヴな言葉を発していくと徐々に体に異変をきたしてそのうち本当に死んでしまうという。病は気からと言うくらいだからその逆もあるでしょう。メンタルが落ちている時は風邪も引きやすいし、高熱でうなされている時は物事が上手くいく気もしない。

私は、嗚呼おしまいだ!と思う時、表裏一体で今これは逆境に立たされている。と直ぐに変換しているのではと思う。逆境というワードが出てる時点でもう這い上がる気マンマンだよ。
あと、お気楽じいさんがそばにいてくれたことも大きいと思っている。呆れるほどの楽観、辛いことがあっても明日は来てお天道様が照らしてくれるという教えだ。
理屈じゃない、職人だからこそ身に染みていると言っていた。体、腕ひとつで仕事をする職人のじいちゃんはおばあちゃんから「じいさんは雨だと家にいて邪魔ァ!」と嫌味を言われると「好きで休んでるんじゃねぇ!雨なんだからよォ!自然には逆らえねェんだよ。」と言っていた。そうだ、自然には逆らえない。あるがままにだ。まさにケ・セラ・セラだね、じいちゃん。じいちゃん、死んじゃったじいちゃん。戻ってこないから居心地はいいのだろうね。いつまでも愛してるよじいちゃん。

またそれました。

インディーズバンドのライブを見に行った時に、曲の合間で「お前ら、殺されんなよ!!」「病気や事故はあるだろう、自分で死ぬなんてもってのほか!お前ら、殺されんなよ!!」と叫んだのを忘れられないのだ。どんな繋がりでその発言だったのかさっぱり分からなくて、その時は、あーやだはじまった!と思った。目当てのバンドじゃなかったし、いつもは熱くなったMCは興ざめしてしまうのだけど、未だにあのMCは忘れられない。いつどこで殺されてしまうかわからないこの世の中で、十数年前のMCで発せられた言葉は今ではリアリティが増している気がする。

要するに(?)私は自分が楽しいのだ。このまま何事もなく生きていけば孤独死が待っているだろうけど、いつかその時まで自分を謳歌したい。ちっぽけかつ滑稽な自分を。
不器用でみっともないけど、私は私をやめられないんだよ。

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