セカンドハーフ通信 第4話 働くということの意味

第4話 働くということの意味

サラリーマンを辞めて、自由の身になって、はじめて働くことの意味がみえてきたように思う。都心の道ですれ違う人の多くはスーツ姿で、無言で俺は働いているんだと主張しているように見える。

会社を辞めて一番わかりやすい変化は服装である。今までは、背広といういわば戦闘服に身を包んでいたように思う。これが自分が働いていることの証明にもなっていた。一方で背広は会社という鎖の象徴でもあった。今はその鎖から開放されたことを謳歌すべきなのだろうが、まだそういう気持ちにはなれない。

自分は自由の身だと言ったところで、それがどうしたんだと返されるような気がする。確かに1ヶ月も自由でいればそれだけでは満足しないことに気づく。人間はなにかはっきりした目的を持って、それに携わることが必要だ。そこにやりがい、生きがいが生まれてくる。

目的を持ってそれに継続して携わることが「仕事」になっていくのだろう。ただ、いままでのように会社に勤めることだけを仕事をしていると考える必要はないと思う。もっと広義で自由な形であってもよい。

これからの私の仕事はいわば「自由業」になるだろう。場合によっては収入を得られないかもしれない。毎日おこなうこととも限らない。また、いくつかの種類の仕事を同時並行的にやってみたいと思っている。

これからの仕事はなんらかの社会貢献的意味合いを持てたらと思っている。理想論として私が目指す仕事は「やりがい=社会貢献」の上に成り立つものだ。

翻って、いままでの仕事は楽しかったか?お金を稼ぐために自分の時間をささげていたのではないか?と自問自答している。私にとっての理想の「仕事」を確立することが今最大のテーマになっている。

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