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未来を、“見える化”する能力者たち。

監督、ディレクター、演出、呼称は様々だが映像製作を業とする彼らには、共通点がある。彼らは社会とは異なる世界をいきる、特殊能力者だ。

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太一(映画家):アーティスト業界情報局
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 監督、ディレクター、演出家の違い 』

先ずは、「監督」「ディレクター」「演出家」、
この違いを知っておいて頂こう。
映像業界人でもなかなか、判断しにくい部分だ。

呼称の区別のみならず、違いがある。
作業内容や立場ではなく、業界ごとに区分されている場合が多い。

 映画では、「監督」
 テレビやCM業界では、「ディレクター」
 舞台は、「演出」だ。

『 監督と演出が、両方いる 』

一部の例外だけ、説明しておこう。

アニメーション業界のように「監督」と「演出」が両立している場合がある。より具体的な作業内容に手をつけるのが演出で、その進行を総括しているのが監督だ。演出は実質的に、アニメーションの膨大すぎる監督の作業を整理する役割だと言えるだろう。

一方、
「舞台監督」という役職がある。これは、舞台の演出家の元で、その意向を実現するスタッフだ。演出家の方が強い総括権を持っていると言える。

『 ※ 読むなり、忘れるべき項目。 』

誰の地位の方が上、ということはない。

と美しくまとめたいが、そうではない。
監督とディレクターと演出家は、相容れないのだ。
さて、怒られる準備で、言ってみよう。

映画の監督は、ディレクターを舐めている。チャラいエンタメ屋だと判断しているためだ。一方ディレクターは、演出家に興味がない。マイナー業界の話だと判断している。演出家は、ディレクターを嘲笑する。ハイテク依存の技術屋だと想っているからだ。ディレクターは監督を、芸術家気取りの旧世代だとみて距離を置いている。全員、仲が悪い。

まぁ、違うだろう。
ただし、100%の認識間違いではないことを断言する。

なお、主要国際マーケットに、この区別は無い。
誰もが「テレビ」業界でキャリアを積み、
憧れの「映画」に行き着き、
キャリアの最期には「舞台」に向かう。どれも、同じなのだ。

『 特殊能力者たち 』

さて、本題。

それぞれに特徴の異なる“彼らだが共通に、まだ存在しない未来を“みえる化”できる能力者たちだ。映像や演目、番組の製作に没頭している彼らだが実のところ、企業に、社会に、国家に、多大な貢献が可能な技術を有する。

・コンテンツのプロフェッショナルである

“彼ら”は、物語のエキスパートだ。
企業人の「Who・What・How・Why」などは基礎の基礎。“彼ら”は緻密な上にも逆転すら内包可能な、「ストーリー開発」が得意だ。彼らにとって制約と難題は、ストーリーを輝かせるためのラッキーアイテムだ。

映画人なら、映像製作のプロフェッショナルだ。
企業内部ランディングで顧客を魅了するなど、広報やデザインコンサルの教育係が務まるレベルで、精通している。

テレビマンなら、B to Bの課題を紐解く、シナジーのスペシャリストだ。
ビッグデータから明確なターゲット層の思想を読み解き、先手先手の飴をまき更に、報道との親和性から、“ニュース化”をも実現する。

演劇人なら、B to Cの達人。小規模のターゲットを狙い撃つプランニング力に加えて、予算規模自在のコミュニティ運営を得意としている。彼らの手にかかれば学生から老齢まで、情報を届けられない層は無い。

『 ブランドとの親和性 』

“彼ら”は、芸能界に精通している。
日本の芸能界は横のつながりが強く、上下層は深くない。そのため、日常的に芸能界を出入りしている彼らは全容を理解しており、対応力がある。

SNS主導の現代においてもまだメディアが力を持っているこの社会において、芸能人の威光は健在。企業、社会レベルのブランディングにも、芸能界を駆使できる“彼ら”の強さは抜きん出ている。

『 武器は情報 』

“彼ら”は、情報収集と整理のスペシャリストだ。

日々の取材に限らず、全方位に張り巡らせたアンテナは、万物を捉えて放さない。さらに重要なのは、その整理力だ。どんなに優秀な百科事典の編成部においても、“彼ら”の情報検索力、“逆引き力”にはおよばない。

雑学王とも形容できる彼らの膨大な情報を管理している“OS”は、「感性」だ。感性は柔軟で、あらゆるビッグデータをも、ストーリー化することができる。

またその完成度を高めるためのUpdate頻度が高く、それまでの労を捨て去る技術にも長けている。そのため、日々変化し続ける社会情勢を先読みし、世間の文脈を読み抜き、問題の解像度を上げて分解する機能を有している。

『 悲劇、というターニングポイント 』

企業、社会、国家は、ネガティヴな出来事を恐れ、目を背け、輝く成功を求める。そのために、「悲劇耐性」に弱い。“彼ら”は、違う。

これは、人類と“彼ら”の決定的な違いだ。
彼らは日常的に、“ネガティヴと悲劇を求めて”いる。
貴方の周囲にあるコンテンツを、静観してみて欲しい。

そこから、
トラブル、災い、落胆、困難、事件、事故、失望、裏切り、怒り、妬み、争い、不遇、これら全てを取り除いてみるといい。何も残らないだろう。

「ドラマ」とは、
日常や幸運という「ポジティヴな要素」と「ネガティヴとの差」を利用した、視聴者の感情操作である。プラスからマイナスに進行すれば涙やスリル、逆なら感動や興奮に作用する。

“彼ら”にとって、悲劇は日常の想定内。

企業、社会、国家にとって「監督」「ディレクター」「演出家」は最良の、コンテンジェンシー プランニング(リスク管理)必須要員であり、BCP(事業継続計画)に最適なシミュレーターだ。

『 不可能をこえることが責務 』

“彼ら”は自ら悲劇を用意し、順調なストーリーをぶち壊し、膨大な観客たちの思考の裏をかいて伏線を回収し、ハッピーエンドへと導く特殊能力者だ。

社会の悲劇に誰よりも冷静沈着に対応できるだけでなく、そこから脱するための最短道程そして、最良な策を生み出す熟練者だ。

民衆の常軌を統率するために誕生した“宗教”はやがて、“科学”に主導権を移した。人類総“科学教信者”である現代、学者、博士たちは口を揃える。
「検証に先立つのは、発想だ。」

“彼ら”は、万物に精通する情報の鬼。そこから物語を導く彼らこそ、科学の先陣を切るために存在している特殊能力者、「ビジョナリー」だ。
「監督」「ディレクター」「演出家」が、社会、企業、国家のためにできる貢献は、計り知れない。

そして、
ここまでは、“日本国内”に限定したシミュレーション。

現在“彼ら”は国境をこえて自在に、ネットワークを構築している。
都市開発から宇宙事業、教育2.0から人類補完計画まで、彼らはなにも不可能だとは感じていない。すべては、想定内なのだから。

あぁ、ところで。

まだ日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際News:カンヌとヴェネチア国際映画祭で受賞の中国人映画監督、自国の映画人育成のために、学校を設立

中国人監督の賈樟柯(ジャ ジャンクー)は出身地の山西省に、Ning HaoやBi Ganなど、中国映画界のトップレベルの人材を集めた映画製作アカデミーを設立し、新しい事業を正式に開始した。ジャ ジャンクー監督は自身が創設した映画祭を、突然退任。アカデミーの始動を印象づけるための試みだろう。しかし、中国では政治的な後押しがなければ、事業の成功は無い。「わたしたちは映画監督として、映画のためにさらに多くのことができる。中国にまだ不足している人材を育成します。」ジャ ジャンクー監督は4年前、元ヴェネチア国際映画祭代表のマルコ ミュラーと共に設立したPingyao International Film Festivalを成功させている。アカデミーの発表には、6社の協力企業、知事そして、中国映画監督協会の会長も出席。調印式が行われた。 - APRIL 21, 2021 VARIETY -

『 編集後記:』

映画人が精通するのは、芸術やエンターテインメントの領域だけでは無い。社会の出来事はどれもが、彼らの想定内。またそのための情報収集と検証を怠らない映画人ができる貢献は、大きい。世界にスーパーヒーローが存在するならそこには、生みの親がいる。

世界を救うか淡い恋を実らせるか、すべてをシミュレーションしつつ備える映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記