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究極のアウトプットとは【随想】

 古典が好きで、中学生や高校生に古典を教えるべく国語の先生を目指して大学の教育学部に入学した私は、大学3年生の時に「厳しい」と評判だった古典の国語学のゼミに入りました。

東への旅で富士山を通過する在原業平
(歌川広重/シカゴ美術館所蔵)

 確かに厳しいゼミでした。ゼミでは中古の歌物語である「大和物語」を1段1段読み解いていく演習をしましたが、演習の度に先生・先輩方から様々な質問、意見が飛び交い、終了時刻を過ぎても喧々諤々と星が出るまで続けられるということで、ついたあだ名が「星空ゼミ」。その時答えられなかったもの・結論が出なかったものは「補足」として次回のゼミで補足資料を提出。そこから更に「補足」が出て1回の演習に3回資料を提出することも珍しくないくらいでした。
 
 そのゼミでご指導いただいた先生が常々仰っていたことは
「教壇に立ったら、自身の学びの中から自然と『教えること』が出てくるから、今は一生懸命とにかく勉強しなさい。」
ということでした。

 最終的に教壇に立つことがなかった期待外れの生徒であった私ですが、今にして思えば、先生が仰っていたことこそ究極のアウトプットのように思います。

 上辺だけの勉強、薄っぺらい知識だけでは人に教えることはできない。
 教えても、すぐにぼろが出る、見抜かれる。
 腹に落ちていないことは、人に伝わらない。

 かくて、人に何かを教える、伝える時には、その内容の何倍もの準備をするようになりました。

 思うに、何倍もの知識や経験をもとにその人の中で思考を張り巡らし、時に助言という試薬を入れ化学反応を起こし、人格や品格というスパイスを振りかけて、言葉という記号に乗せて発するもの・・究極のアウトプットとはそういうものかもしれませんね。

富嶽三十六景(富嶽三十六景)シリーズ「大波」とも呼ばれる神奈川沖の波の下
(葛飾北斎/シカゴ美術館所蔵)


*文中挿絵はシカゴ美術館のパブリックドメインから借用しました。
リンクは以下です。

*「大和物語」学生の時使っていたのは岩波書店の「日本古典文学大系」でしたが、小学館から出た全集本も使いやすいと思います。

 


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