寝床におみやげを持っていく男。
日本列島が寝静まっている深い時間に本を読むのが好きだ。
そう、私は完全な夜型人間。静寂の夜に、雨音だけが聞こえる夜に、静かに本のページをめくる時間は至福そのものだ。
しかしそんな幸せな時間は長く続かない。少しずつ頭と視界がぼんやりしてきて、活字が頭に入らなくなってくる。自分の意志とは関係なく、体が布団に入りたがる。あともう少しだけ、と体に懇願するが、瞼がとろんとしてもうどうしようもない。
睡眠は脳をリセットすると言われている。目が覚めた時、昨日までの怒りや悲しみなどのネガティブな感情は少し和らぐ。その一方、深夜に急に湧き上がった謎のモチベーションや全能感はあっけなく消えてしまう。
だから、「今日の俺を寝させてしまうのは実に惜しい」と思う日がたびたびあったりする(笑)。そんなことないですか?私だけですかね。
ならば、せめておみやげを持たせてくれと体に訴えかける。おみやげとは、「小さな考え事」のことだ。布団の上で横になり、枕に頭を置き、掛け布団を体にかぶせた後、入眠するまでのわずかな時間にそのおみやげを開くのである。
考え事というのは、楽しいこと限定だ。悩みや苦しみなどネガティブなものをおみやげに包んでしまうと、どんどん目が冴えて眠れなくなる。だから未来が楽しみになるようなネタを包む。
「明日は渋谷で打合せが終わるのが16時頃。その後は特に予定がないから、いつものカフェで軽く仕事をしてからnoteを書こう。その後はツタヤで本をチェックして、それから、ハンズに鞄を見に行こう。そうだ。新宿までウォーキングするか。いや、そんなに時間ないわ・・・」
これは一例だけど、ご覧の通り、はっきりいって実にしょうもない内容である。そうこう考えているうちに意識はどこかに飛んでいく。気がつけば朝だ。
とにかく、布団の中で感じる“今日が終わる寂しさ”を、“明日がやってくる喜び”で覆い隠してしまうということだ。
なんてことを書いていて、ふと思い出した。
1Kのアパートで一人暮らしをしていた二十代の頃、就寝時に照明を落として真っ暗にするのが怖かった時期がある。お化けや幽霊が怖いといった話ではなく、自分の意識が何ものにも遮ぎられずに浮かび上がる暗闇が苦痛だった。精神的に辛いことが重なった時期だったと思う。14型のブラウン管テレビデオに120分のオフタイマーをセットして寝ていた。
なので、大人になってからも枕元にクマちゃんのぬいぐるみを置かないと眠れない人の気持ちがわからないこともない。
クマちゃんか、おみやげかの違いだ。
じゃあ、おやすみなさい。おみやげ持った?
読んでもらえるだけで幸せ。スキしてくれたらもっと幸せ。