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100段のぼった踊り場で、何が見えたか。


昨日の投稿でちょうど100日連続になった。上記表示によればnoteチームも驚いているらしい(絶対驚いてない)。最初は30日続けばいい方だと思っていたのが、3ケタに到達。noteではありふれた通過点ではあるけれど、自分の継続力にちょっと驚いている。100日目でつくづく感じているのは、以前からは想像できないくらい「発信体質」になったこと。今や、書くことが日常の一部になった(仕事以外で)。

100記事のうち、短編小説の数は70。一編一編が違う小説なので、70種類の物語を書いた。読んでくれている人たちがいるからここまで続けてこられたんだなあ。結構本気でそう思っている。

■シャア専用ザクをめざした日々。

以前の記事でも触れたのだけど、数はあっても、一編一編の精度や完成度は高くない。スキルがまだまだだし、とにかく推敲する時間がない。ガンダムで例えるなら量産型ザクだ(例えがわからない人ごめんなさい)と謙遜してみたけれど、毎回、記事を公開する瞬間は「ふははは!最高のモビルスーツが完成したぞ!noteにお見舞いしてやる!」くらいの気持ちに高ぶっていたりする。そしてあとから冷静になる。

これだけ書くと、ごくたまにシャア専用ザク(あくまで自分の70編の中での話です)みたいなのが生まれる以下の2編はnote編集部のおすすめに選ばれた。一週間で続けざまに似たテイストの2編がピックアップされたので選者は同じ人かもしれない。

その後、脳内で勝手に分析がはじまり、自分の場合は、“純粋無垢な女の子の世界観”が編集部のおすすめに選ばれやすいのかと思い込み(笑)、以下のような短編小説を投稿する。

「かなでの宇宙」
「マチと女の子さん」

両方とも純粋無垢な女の子が主人公。tagoは明らかに“狙い”にいっている(笑)。まあ、そういう策略を立てると大概うまくいかないもので。そこで学んだのは、無欲に作品を生み出し続けることの大切さ。狙って選ばれるほどの力はない。主人公の女の子たちみたいなピュアな気持ちで書かないとダメだ。

■短編小説を70回書いて思ったこと。

他の人の作品を読ませていただいていて痛感するのは、自分の語彙力の弱さ。みなさん、ホントに言葉をよく知っている。

自分の本業は、コピーライター。広告の言葉は、読みやすさ・わかりやすさ・インパクトを優先することが多い。難解な言葉や酔いしれたポエム調の言葉を書いても、伝わらなければ、届かなければ、その言葉は存在しないのと同じ。そういう世界なので、小説を書く時も、無意識に読みやすく平たい言葉や表現を目指してしまう。短編を読んでいただいた方から「読みやすい」というコメントをいただくことがたびたびあるのも、そういうことなのだと思っている。

小説は広告コピーとは別物。すらすら読めない文章の味わいも小説の楽しさの一つだ。作家界隈ではさらっと読めてしまう小説(文体)はよくないという意見もあるようだ。自分ごときがその名前を出すのもはばかられるが、開高健さん、石田衣良さん、林真理子さん、荻原浩さん(※他にも沢山いる)は、コピーライター出身の作家。デビュー当時の小説の文体がどうなっているのか再度確かめてみようと思う。

■エッセイは、過去を変える魔法である。

100記事の中にはエッセイがいくつか混ざっている。エッセイは虚構ではなくリアル。自分の過去や現在や頭の中の考えをさらけ出さなくてはならないので、ちょっとした覚悟がいる。個人的な感覚では短編小説よりエッセイの方が時間がかかる気がする。だって教訓めいたこと(ためになること)を言ったりしないと文章が締まらないから。でも、書いていて楽しいし、読み返しても楽しい。無駄・無意味だと思っていた過去の経験がエッセイになることで、意味のあるものに変わる(これについては別記事で書く予定)誰かに読んでもらえれば、スキをもらえれば、暗かった過去に光が射し込む。ある意味、過去は変えることができる。エッセイをまともに書いていない自分が言うのもアレだけど、エッセイを書くことは心の健康に役立つかもしれない。


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