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エッセイ

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人生の話、フリーランスの話、広告コピーの話まで。TAGOの日々のできごとや考えを綴った文章。
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#毎日note

一度途切れると、再開のハードルが異常に高くなる話。

あれ、どうやって書いてたっけ? 「書く」という行為は、少しでも時間をあけてしまうと、最初の一行すら遠くなる。1000文字なんてそんなに構えなくても書けていたはずのに、なぜか500文字ですら高い山に思えてくる。 文章をnoteに書くのは五日ぶりである。この五日間、書く気が一切起こらなかった。炭酸のぬけたサイダーみたいに、いやサイダーではなくコーラでもラムネでもいいが、とにかく脱力していた。プラスチックの蓋を回すと、シュワシュワーと炭酸の泡が力強く騒ぎ出す。その小さな泡たちが

連続投稿なんて、あっけなく終わる。

“連続投稿の呪い”にかかって4ヶ月が経とうとしていた。 暇さえあれば小説やエッセイのネタを考える。ギリギリまで文章を書き続けて23時50分過ぎに投稿ボタンを押す。noteが生活にリズム感を与えてくれていたのは間違いなかった。 連続投稿117日目、同じように23時台の追い込みをしていた。このままでは間に合わないと思い、執筆途中の記事を投稿。23時57分だった。その後すぐに記事を「下書きに戻す」にして、記事の続きに取りかかった。 24時30分くらいに記事を再投稿する。出てき

誰かのために生きるな、自分のために生きろ。(映画『トイ・ストーリー4』レビュー)

(途中からネタバレあります) 言葉で直接言われたわけではないのに 自分が実は必要とされていないという 事実を悟ったことはないだろうか。 自分はそこにいてもいなくても 同じだと気づいて、 落ち込んだことはないだろうか。 必要とされたいと思って、 自分がほんの少しでも 役に立てる狭い足場を必死に 探そうとしたことはないだろうか。 自分がそこにいる価値のある 人間だと思いたくて、変に力みすぎて 失敗したことはないだろうか。 多くの人たちが、これまでに、帰りの電車や深夜の布

「七つまでは神のうち」という言葉が、気づかせてくれること。

「ねえ、お父さん」。今日だけで三十回以上は聞いたこの台詞。小学生になってから二回目の夏休みを迎えている息子は、自宅を仕事場にしている父親に、ことあるごとに構ってほしいと近づいてくる。 この前買ったばかりのTシャツがもう入らないという。信じられないような速度で、子どもは大きくなっている。それこそ、襟の丸いシャツを着て幼稚園に通っていたのが昨日のような気さえする。最近では、一人でできることも増えてきていて、「ああ、もうこんなこともできるんだなあ」と日に日に成長する姿を目の当たり

note愛を、すごく偉そうに語る。

noteの一番の魅力は、noterたちとの触れあいである、なんて綺麗事は言わないと、この文章を書く前から決めている。だから、今回の記事では、皆さんとの触れあいが楽しい、スキやコメントのやりとりが大きなモチベになっている、いつもありがとう、みんなの記事も楽しみにしてるよ、なんてことは絶対に言わない。 そもそも、ユーザー同士の触れあいは、ブログやFacebookやインスタでもできる。その点に関してはnoteだけが特別なわけではない。じゃあ、noteに惹かれるのはなぜなのか。他の

この世界は、そんなに美しくない。

先日、新海誠監督の『天気の子』を観た。 イケメンと美少女が世界を変える、いわゆる“セカイ系”と呼ばれる映画だ。 まだ観ていない人にはネタバレになるので詳細は書かないが、新海作品の「映像美」がこれでもかというほど詰め込まれていた。『君の名は』もそうだったが、人の表情も、街も、空も、全てがキラキラ輝いている。スクリーンを見上げる観客たちはその眩い世界に圧倒されていた。 あっという間の約2時間。エンドロールが流れ出しても誰も席を立たない。RADWINPSの曲に身を委ねてみんな

遠くからキミを見守っている。

noteをはじめて約4ヶ月が経った。 毎回のことだが、記事を投稿する瞬間は、わが子の旅立ちを見守るような心境になる。 旅立った後は、荷物を全部持たせたかな、何か言い忘れてないかな、なんて心配する。この広い世界に飛び出したわが子に恥ずかしい思いをさせたくない。旅先でたくさんの素敵な出会いを経験してほしい。心からそう思う。 時には、わが子が旅立った後、走って追いついて新しいものを持たせることもある。「やっぱりこれも持っていきなさい」と。自分のことながら、まったく過保護な親だ

「無謀」なんて言葉で片付けるな。たどり着いた「生き方」なんだ。

「もう3週間くらい前になるかなあ。ここに泊まってた人なんだけどさ、その人さあ、日本での生活を全て捨ててやってきたらしくて。白人の彼女を連れてこれから最南端に行くって言っててさー、かっこよかったなあ。今頃どこにいるのかなあ」 その日、バラナシには澄んだ空が広がっていた。南インドケララ州の空みたいに広くて青かった。ガンジス川のほとりにある小さなゲストハウスに泊まっていた僕は、宿のたまり場のようなスペースで、そこに“沈没”している日本人バックパッカーたちの話を聞いていた。(

目を背けたかった過去を、全肯定する。

“弱い大人”が好きだ。 人は誰もが弱い部分を持っているけれど、多くの人がその弱さを見せずに生きている。でもたまに、弱さ(繊細さ)が自然と滲み出ている人がいる。そういう人は、簡単に消化できないような過去を持っていることが多い。そして人一倍、他の誰かの痛みにも敏感だったりする。 noteで文章を書くようになったせいか、最近は過去を振り返ることが多くなった。生きてきた日々を見渡してみると、ところどころで自分の弱さが顔を出している。目を覆いたくなる瞬間もある。 あの頃の自分は何

100段のぼった踊り場で、何が見えたか。

昨日の投稿でちょうど100日連続になった。上記表示によればnoteチームも驚いているらしい(絶対驚いてない)。最初は30日続けばいい方だと思っていたのが、3ケタに到達。noteではありふれた通過点ではあるけれど、自分の継続力にちょっと驚いている。100日目でつくづく感じているのは、以前からは想像できないくらい「発信体質」になったこと。今や、書くことが日常の一部になった(仕事以外で)。 100記事のうち、短編小説の数は70。一編一編が違う小説なので、70種類の物語を書いた。読

35年後の答え合わせ

“たった一つの景色”だけを覚えていた。 私がまだ小学生低学年だった頃。親に連れられて和歌山県の白浜温泉に行った。初めての家族旅行だったと思う。もう35年近く前の話で、旅先のことはほとんど記憶にない。断片的に、一つの景色だけがずっと消えずに残っていた。 それは、ホテルのロビーの景色だった。 ホテルの名前も外観も全く覚えていない。ホテルのロビーにいた記憶の前と後がバッサリ切られている。どれだけ脳内に潜っても真っ暗で何も見えてこなかった。 ずいぶん前のことだし、その微かな記

書いていると、読みたくなる。

文章を日常的に書くようになると、「読む」ことへの視点や姿勢が変わったりすることはないだろうか。 自分は、ここ最近、小説に対する視点が少し変わった。どう変わったのかと言えば、読み手視点から書き手視点になった。自分なりに“小説的なもの”を書き始めてみて、物語を紡ぐ難しさと奥深さを身をもって感じているだけでなく、読み手として誰かの作品を眺めていた時とは違う感覚がいろいろと押し寄せてきている。 まず、以前より小説を読むようになった。これは単純に、みんながどんなものを書いているのか

たった2年で何ができる?

高校在学中にデビューした小説家、綿矢りささん。 今さらながら、そのすごさを感じている。作品はもちろんなのだけど、私は「デビューまでの時間」の方に着目する。 綿矢りささんは、高校二年生(17歳)の時に文藝賞を受賞した。 生まれてから約17年。文字を初めて書いたのが幼稚園だと仮定すると、4歳くらいで文字に触れてから文藝賞受賞まで約13年ほどである。その2年後には芥川賞を受賞することになる。 小説を書き始めたのは高校生になってからだそうだ。きっかけは太宰治の小説だったという

サハラで出会った一番美しいもの

午前5時30分、腕時計のアラームが鳴った。 暗闇の中、“砂漠の民”ベルベル人のガイドがテントにやってきて出発を告げる。これからサハラ砂漠の日の出をみるために、高い砂丘を登るのだ。 ひんやりした空気の中、僕を含めたキャラバン参加者たちは、ガイドの後を追って足元が見えない砂丘をズボズボ登る。頂上に到着すると、みんなで横一列に並んで砂の上に座った。後はただひたすら待つのみ。 舞台の緞帳が上がるかのように、暗闇に隠れていた世界が少しずつ輪郭を見せ始める。空の色は、数分ごとに、赤