一度途切れると、再開のハードルが異常に高くなる話。


あれ、どうやって書いてたっけ?

「書く」という行為は、少しでも時間をあけてしまうと、最初の一行すら遠くなる。1000文字なんてそんなに構えなくても書けていたはずのに、なぜか500文字ですら高い山に思えてくる。

文章をnoteに書くのは五日ぶりである。この五日間、書く気が一切起こらなかった。炭酸のぬけたサイダーみたいに、いやサイダーではなくコーラでもラムネでもいいが、とにかく脱力していた。プラスチックの蓋を回すと、シュワシュワーと炭酸の泡が力強く騒ぎ出す。その小さな泡たちが書く意欲だと仮定すると、そのほとんどがはじけて消えてしまったような気がしていた。

noterさんの記事を眺めながら、遠い過去を見るような気分になっていた。あの連続投稿の日々は何だったのかと、短編小説を毎日必死に続けていたあいつはいったい誰だったのかと。連続投稿は、書く感覚を忘れないための優れた手段であるのと同時に、途切れたときの脱力感がその分大きくなる副作用を含んでいると思った。

SNSでもブログでも一度離れて戻ってこなくなった人を何人も見てきた。それは、ジム通いでもジョギングでも日記でも何にでも言えることだが、一度離れるとその次が億劫になる。元のリズムに戻すには時間がかかるし、相当なエネルギーがいる。

以前、ジョギングを毎日していた時。10日目くらいに大雨が降って走ることができず、「毎日」という縛りが崩れてしまった。翌日雨は止んだのだが、急きょ仕事の対応があってジョギングできなかった。その翌日も走る気になれず、結局次に走ったのは一週間後。一週間ぶりに走ると、体がものすごく重くてきつかった。

一週間ぶりでこれなら、一ヶ月ぶりや半年ぶりならもっと体が悲鳴を上げるだろう。そう感じたのを覚えている。今はもう毎日走っていないが、走る感覚を忘れないように二週間に一度は走っている(少なっ)。まあ、何もやらないよりはマシだと思っている。関係ないが、裸足のままランニングシューズを履いて走ると、耐えられないくらい臭くなるので気をつけよう。

再開の一歩はとても重くてしんどい。だから、何かを始めてある程度続いているのなら、ムリしてでも期間を空けすぎないように続けた方がいいと思う。苦労してせっかく手に入れた感覚は、いとも簡単にどこかに消えてしまう。もったいない。

今日、パソコンに向かって仕事をしていた時、不意に仕事以外の文章を書く意欲が湧いてきてnoteのエディター画面を開いた。脱力感がしばらく続きそうな気配がしていたので自分でも意外だった。そうだった、自分もnoterの一人だったのだと思い出した。

まあ、自分の場合は、普段から仕事で広告コピーを考えたり、企業の理念を導き出したり、CMを企画したり、何かしらの「書く」行為をすることで生きているので、noteで「書く」行為を再開するハードルはそんなに高くなかったかもしれない。

ところで話は変わるけど、真夜中になると無償に炭酸が飲みたくなることはないだろうか。自分はこれを書いていて、冷たいジンジャーエールが飲みたくなってきた。シュワシュワー。



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