見出し画像

35年後の答え合わせ


“たった一つの景色”だけを覚えていた。

私がまだ小学生低学年だった頃。親に連れられて和歌山県の白浜温泉に行った。初めての家族旅行だったと思う。もう35年近く前の話で、旅先のことはほとんど記憶にない。断片的に、一つの景色だけがずっと消えずに残っていた。

それは、ホテルのロビーの景色だった。

ホテルの名前も外観も全く覚えていない。ホテルのロビーにいた記憶の前と後がバッサリ切られている。どれだけ脳内に潜っても真っ暗で何も見えてこなかった。

ずいぶん前のことだし、その微かな記憶でさえ本物なのか疑わしかった。その後の人生で似たような記憶を重ねると脳内で上書きのようなことが起こって、古い方の記憶が消失することだってありうるだろう。

記憶は扱いが難しい。ピンポイントで一つの景色だけが残っているこのモヤモヤをどう処理すればいいのかわからなかった。本当に実在するのかもはっきりしないホテルのロビーは、私の記憶の中でこのまま浮遊し続けるのだろうか。

曖昧な記憶のかけらは、答えのない問いのようなものだ。誰でも、こういう霞がかった記憶の一つや二つを持っているだろう。十代の頃、想いを寄せていたあのコのあの意味深な態度は何だったのだろうか、ひょっとして僕のことを・・・みたいなのもそうだ。

無理に答えを出す必要なんてない。そんなふうに自分に言い聞かせ、これまでその記憶のかけらを適当に泳がせてきた。

しかしその後、私は全身に鳥肌が立つような体験をすることになる。




二十代で関西を離れた私は、この先の人生で白浜を訪れることはもうないかもしれないと思っていたのだけど、何の因果か、昨年の春頃、仕事の出張で数十年ぶりに白浜を訪れることになった。

これは千載一遇のチャンスだ、運が良ければ記憶の中のあの景色に再会できるかもしれない。そんな淡い期待とともに、私は新幹線に乗りこんだ。


現地では、取材のため、人と会ったり周辺の観光地に訪れたりと車で忙しく動き回っていた。その取材の流れで、白浜でも歴史のある某ホテルに立ち寄った。「可能性はある」と思いながら駐車場のある裏口から館内に入った。

古い建物ではあるけれど、改装されて間もないであろう館内には洗練されたモダンな空間が広がっていた。私は広いロビーをぶらぶらと歩き回った。記憶の景色に合致するアングルを追い求めて。

ふと足が止まる。

えっ、まさか。こんなすぐに再会できるわけがないと思いつつ、半信半疑でロビーを再度見渡す。

間違いない、ここだ。


ガラス自動ドアの佇まい、窓越しに見える海の感じ、建物と海へと続く道の位置関係・・・。もちろん壁の色や内装はあの頃とは違うだろう。でも私は確信した。景色の細部が変わっていても、景色の輪郭は変わっていないのだ。

私は今、本当にあるのかすらわからなかった記憶の断片の中に立っている。それはとても奇妙な感覚だった。

確かこのあたりに熱帯魚の水槽があった。あの日、自分は青い浮き輪を抱えていた。妹はピンク色の浮き輪だった。そうだ、夏だったのだ。海水浴をしたのだ。忘れていたあの日の断片が押し寄せる。記憶の中にあった景色に色が付いていく。

場所が持つ力を目の当たりにした私は全身に鳥肌が立ち、目には少し涙が浮かんだ。

幼少期の記憶は曖昧で頼りなくて不確かで、いつ上書きされて消えてしまうかわからないくらい脆い。でも現場に行くことで、記憶の奥に眠っていた何かが呼び起こされる。脳は三十五年前のことですら、ちゃんと覚えているのだ。

人は誰もが思い出せない記憶の断片を持っていると思う。

今回、私の場合は白浜という地名もたまたまセットで覚えていたけれど、人によってはその記憶の景色がどこの土地なのかすら覚えていないこともあるだろう。その場合は両親や兄弟に訊いてみてもいいかもしれない。


後日、実家の母に電話で聞いた。

母の記憶も頼りない感じだったが、どうやら35年前に泊まったホテルに間違いなさそうだった。白浜での出来事の一部始終を話すと、私が35年前の家族旅行を覚えていたことに、母は嬉しそうだった。

現在では親として子供を旅行に連れて行く立場になった。今の自分みたいに、息子はいつか家族旅行のことを思い出してくれるだろうか。期待して待っていよう。


#エッセイ #旅 #旅行 #家族旅行 #南紀白浜 #毎日note #毎日更新

読んでもらえるだけで幸せ。スキしてくれたらもっと幸せ。