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ゴースト

 たしか、君が「ゴースト観たい!」って言いだすから、あの日、大学の帰り道、レンタルビデオ屋に立ち寄ることになったんだ。 「わたし、免許証持ってないの。変わりに会員証、つくって」 「えぇ?!」  ここ、君ん家の近所なんだし、自分で作れよって言いながら、VHSのテープと一緒に免許証を差し出してる自分の姿が、ちょっと可笑しかった。 「何、食べたい? 焼きそばなら、作れるよ」って、田舎から出てきた君が一人暮らしを始めて覚えた、数少ないレパートリーのひとつを挙げてくれた。  君の部屋

    • ピエタの前で私は泣いた

      エリーさんへ  こんにちは。随分とご無沙汰をしていますが、お変わりありませんか。この前、といっても4年になりますが、お便りをしたときには、とてもお忙しそうでしたね。エリーさん、お父さんのお葬式に来てくださってありがとうございました。  あの日、小学校から帰るとひどくお祖母ちゃんが慌てていて、お祖父ちゃんは物凄い剣幕で大声を上げていました。夕方、お父さんが帰って来て、いよいよエリーさんが家を出て行った事実がハッキリすると、あんなに大騒ぎしていたのが嘘みたいに、急にみんな深刻な

      • ファインダー

         母が見せてくれた2枚の写真。6歳上の兄と私の二人だけが写っている。小さく切り抜かれたその写真は、父の札入れのカードフォルダに無造作に差し込まれていたらしい。カドは折れてしわくちゃになってるし、ずいぶんと色も褪せてしまってる。こんな気持ちは初めてだな。ファインダー越しに僕らを覗き込んでる父が、そのときどんな気持ちだったんだろうって、考えてみたこと。財布の中から、この写真を取り出して眺めては、ふたりの息子を想っている父を思い浮かべたこと。  思い出すのは電話の向こうから聞こえ

        • 花火

           実はあんまりよく覚えていないんだ。あの夏の打ち上げ花火、どんなだったか。学生生活、初めての夏。突然、コンビニで雑誌を手に取った君が「花火、見に行きたい!」って騒ぎ出して、そのままふたりで浴衣を探しに行ったんだった。事件はいつも決まって君の気まぐれから始まるんだ。少なくとも、僕の目にはそう映っていた。  少し高台にある君のアパートには小さな駐輪場しかなくって、始めのうちは、階段下の壁にもたれかけるように僕は自転車を止めていた。雨が降るとサドルまで濡れちゃうけど、我慢するほか

        ゴースト

          記憶のかけら

           例年、海の日に続く連休の初日に小学校の同窓会が開かれた。初回こそ、同級生の半分以上が集まったそうだけれど、ここ数年は10人ほどの常連組みだけ参加しているらしい。今年で7回目になるそれに初めて出席することにしたのには、ちょとした訳があった。「時間はヒトに会って一緒に過ごすために使うもの」だという想いが日に日に強くなってきていたのも、その気になった訳の一つだった。  中学を卒業して以来の再会だった。25年も時が経ったのが信じられないくらい、どいつもこいつも変わらない顔をしてい

          記憶のかけら

          海へ

           ひどい酷暑だった。冗長的だけれど、そういって差し支えないくらい不快な朝だった。ほとんど徹夜だったと思う。僕らは色んな意味でやりきれない思いを抱えたままオフィスを後にした。このまま自宅に帰るにはあまりに不条理な現実を消化しきれないと思ったから、その晩、僕らは飲み明かすことにした。  ほとんどそれは衝動的なものだった。「湘南新宿ライン」とかいう名前が良くない。赤羽駅からそれに乗り、オフィスに最寄の渋谷を乗り過ごしてしまえば、本当にあの海へと向かうのだから、この路線は。  その

          瑪瑙色の海

           瑪瑙の色の海の話を覚えているでしょ? あの海を見たくて土曜の朝早く、目が覚めるとすぐに僕は家を飛び出した。  敢えて「母」と呼びますが、「母」には「娘」のスケートのレッスンがあるから、今晩の夕飯は準備できないと聞かされているし、そもそも「そこ」までいったら日帰りはできないと思っているから「構わないで」と言って僕は駅に向かった。  母はスケートに夢中だった。娘のフィギュアの腕前は大したもので、今度の大会ではロシアのジュニア選手権で戦績を挙げている何とかいう選手とペアで臨むら

          瑪瑙色の海

          石巻

           彼女の実家へ初めて出かけた日の目的は、のちに義父となる人の葬儀に出席することだった。 義父には生前には会わず終いとなったし、声も聴けなかった。今となってはその時の自分が何を考えていたかは定かでないけれども、居てもたってもいられない気持ちで、神奈川から一路、東北を目指していた。  学生時代の最後だった。確か、お台場でのアルバイトを終えて、ゆりかもめに向かう歩道橋を上っていたときのことだった。電話の向こうから動揺した彼女が告げたその出来事は衝撃だった。  当時は相模原に住んで