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ファインダー

 母が見せてくれた2枚の写真。6歳上の兄と私の二人だけが写っている。小さく切り抜かれたその写真は、父の札入れのカードフォルダに無造作に差し込まれていたらしい。カドは折れてしわくちゃになってるし、ずいぶんと色も褪せてしまってる。こんな気持ちは初めてだな。ファインダー越しに僕らを覗き込んでる父が、そのときどんな気持ちだったんだろうって、考えてみたこと。財布の中から、この写真を取り出して眺めては、ふたりの息子を想っている父を思い浮かべたこと。

 思い出すのは電話の向こうから聞こえる穏やかな声と、まっすぐ前を向いているその横顔ばかりだ。
「部活、テニス部にしたんだ」
「そうか」
「大学、ここにするよ」
「そうか」
「3月から留学することにしたんだ」
「そうか」
「就職、決まったよ」
「そうか、よかったな」

学生生活で一人暮らしを始めた頃、電話回線をひきたくてもNTTの契約料が高かったから我慢して、アパートの近くの電話ボックスから電話をかけてるのは僕だけじゃなかったはずだと思う。
「もしもし、僕だけど」
「はい、こんばんは。お母さんにかわるか?」
こんにちは、とか、こんばんは、とか、言われるたびに可笑しくて、吹き出しそうになったよ。

 僕がすること、決めたことを真っ向から否定することはしなかった。僕が考えなしに決めることがないことを知っていたし、大抵のことは失敗したってなんとかなるということを分かっていたから。
「悩まない奴はバカだ」
 転職を考えていたとき、初めて父親と長電話した。僕の話に「うん、うん」と只々聞いていた後でひと言、ぽつっと言ったね。
「やってみたらいい。悩まない奴はバカだ。」
 それは、父の生き方そのものだったように思う。

 定年退職した後、旅行に誘ったら嬉しそうに「毎日が楽しくて忙しい」と言っていたね。あなたのファインダーの向こう側に映る世界について、その声と笑顔に、まだしばらく話を聞いていたかった。

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