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記憶のかけら

 例年、海の日に続く連休の初日に小学校の同窓会が開かれた。初回こそ、同級生の半分以上が集まったそうだけれど、ここ数年は10人ほどの常連組みだけ参加しているらしい。今年で7回目になるそれに初めて出席することにしたのには、ちょとした訳があった。「時間はヒトに会って一緒に過ごすために使うもの」だという想いが日に日に強くなってきていたのも、その気になった訳の一つだった。

 中学を卒業して以来の再会だった。25年も時が経ったのが信じられないくらい、どいつもこいつも変わらない顔をしていやがる。赤ら顔した中学生が仕事と子供の世話話をする様子は、どこか滑稽で素敵で幸せそうな光景だった。

 夏休みの朝といえば、公民館の広場でラジオ体操して始まるのが日課だった。小学生の僕らからほとばしるエネジーは無限大だ。ラジオ体操が終わるが早いか遊具に駆け上がり、あるいは神社の境内や林の中を夢中で走り回った。帰り道の用水路に笹舟を浮かべ、どっちが速い流れに乗るか競い合った。近所の、もう随分と前につぶれてしまったスーパーには屋外に搬入用の階段があって、
上ったり降りたり、 声を張り上げて屋根に登ったりもした。息急ききって、互いの名前を呼び合った。
「それじゃまたね」と言って、プールの約束をしてから自宅に帰って朝ご飯を食べる。

 この同窓会で会えたら、君が忘れてしまっていても、僕が持っている僅かな、きっと懐かしい目をして君が愉しんでくれそうな「記憶のかけら」を渡してあげるつもりだった。のに、それは永遠に叶わなくなってしまった。
 この6月に、あまりにも突然に若い姿のまま、逝ってしまった盟友。僕はいつまでも君を忘れない。

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