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瑪瑙色の海

 瑪瑙の色の海の話を覚えているでしょ? あの海を見たくて土曜の朝早く、目が覚めるとすぐに僕は家を飛び出した。
 敢えて「母」と呼びますが、「母」には「娘」のスケートのレッスンがあるから、今晩の夕飯は準備できないと聞かされているし、そもそも「そこ」までいったら日帰りはできないと思っているから「構わないで」と言って僕は駅に向かった。

 母はスケートに夢中だった。娘のフィギュアの腕前は大したもので、今度の大会ではロシアのジュニア選手権で戦績を挙げている何とかいう選手とペアで臨むらしいから気合の入れようも格別だった。
 最寄駅から中央線で西行きの主要駅へ向かう。「あの海」にほど近いところにある特急の終着駅まで、およそ6時間の行程だ。後で知ったことだけれど、同じ時間的距離で例えるならば、新幹線で片道東京から福岡まで行けるくらいの距離だったんだね。物理的な距離にすれば、東京から大阪くらいのものなのに。

 ことばが不自由な僕にとって学校が休みに入る週末に、思いつきで出かけるには大旅行だった。それでも切符を買うことはできるくらいになっていたし、このくらいの遠距離になると自動券売機では買えないから、窓口でガラス越しに学生証を見せながらその駅の名前を告げた。訛りが強いのはお互いさまだから気にはしない。

 時刻表があっても、定刻通りに来ないのが通例だけど、この日は割にまともな方だったと思う。「まいんだぎゃ」とか言う、聞きなれた名古屋弁に似た男性の声と共に特急電車のドアが開いた。
さあ、出発だ。

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