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小説『オスカルな女たち』49

 第13 章 『 再 起 』・・・1


     《 織姫と彦星 》


平日の〈クリスマス〉だというのに、翌日が休日のような賑わいの駅周辺を一瞥し、織瀬(おりせ)は慣れた道を『kyss(シュス)』へと歩いた。だが繁華街に入ると途端に閑散と感じるのは、駅前を楽しそうに行き来するのが若者ばかりで、冬休みを迎えた学生たちだからだろうか。
(また、ひとりで来ることがあるなんて…ね)
次は絶対にひとりで来ない…と、そう心に誓った半年前とは自分の心境も身の回りの環境もがらりと変わった。
バーの看板は消えていた。だが迷いもなくその扉を押し、
「いらっしゃいませ…」
いつもと違う景色が織瀬を迎える。
「いらっしゃいました」
やっぱり少し気恥ずかしいのか、少しおどけて見せる。
暗い店内に浮かび上がるのは、バーカウンターの上の3点のスポットライトだけだった。慣れた店とはいえ、さすがに商売っ気のない店内には身構えてしまう。
「こんな日にお休みって、オーナーに叱られないの?」
まっすぐとカウンターに歩み寄り、真田の前に来るなりコートを脱いだ。
「オーナーは今、パートナーとシンガポールにバカンスです。年明けまで帰ってきません。それに、これでも一応店長なんで実質ここは丸投げなんですよ」
そう語る真田はいつもの黒服ではなく、真っ白なフード付きのパーカーを着ていた。カウンター越しに下半身は見えなかったが、おそらくデニムではないかと想像がつく。
「ふ~ん…」
隣の椅子の上にコートとバッグを下ろし、真田の目の前の席に座る織瀬。仕事帰りではなくプライベートで出掛けて来た織瀬は、サーモンピンクのニットワンピースを着て、髪をおろしている。お互い、普段通りではない服装と、様子の違う静かな店内とでカウンターに僅かな緊張感が生まれた。
「誘われなかったの?」
沈黙を息苦しく感じた織瀬は、上目遣いにいたずらな質問を投げかけてみる。
「誘われましたよ…」
ため息まじりに答える真田。
「う、そ…」
あてずっぽうで出した質問がまさかのびっくり箱となって返ってきた。
「でも、ついていったところでただのお邪魔虫ですからね。オレにも『彼女連れて来い』とは言ってましたけど、急だったんで」
ちらりとこちらを見る。
(まさか、誘う気だった…?)
余計な勘ぐりをしてしまう。それよりも、
「やっぱり…」
口を突いて出てしまった言葉に、少し後悔する。
「やっぱり、なんです? オレのこと疑ってます?」
シェーカーを取り出す。
「あぁ、今日はいいのに…」
店の休みの日にまで仕事をしなくても…と、織瀬なりの気遣いだった。
「いいじゃないですか、せっかくの日なんですから」
そういわれてもピンとこないのが本音だった。
今日は12月25日の火曜日で、世間はまだクリスマスの最中なのだ。だが、店内の飾りは既にお正月モードで、真田の態度にもまったくサプライズ感を感じられない。
(さすがに、あそこまでの気配りは期待できないか…)
先週末につかさと行った別のバーを思い浮かべる織瀬。女子力の高いバーテンダーに、恋人以上のもてなしを受けたばかりか、大変にもりあがったせいか「比べるところではない」と解っていてもなんとなく残念感が否めない。
「じゃぁ、飲んで。…真田くん、も」
「また『真田』に逆戻りですか…」
「いいじゃない。呼び方なんてっ」
だが、そこは意識して呼び名を変えた。少なからず自分の中に「気まずさ」が残っているのだと訴えたい織瀬。
「そうですけど。なんだか、おあずけされてるみたいで」
そう返す真田に、ふふ…っと、小さく笑いながら、
(それはこっちのセリフです…)
と、織瀬は心で毒づいた。
「もしかして、本気で〈ゲイ〉だと思って…?」
「まさか。思ってない。…今は」
「今は…?」
「うん。最初の頃は…もしかしたら、と」
思っていたことは事実だ。
そもそも疑わしい要素が満載なうえに、付き合いが長そうなつかさがそれらしいことを口にしていたことが要因だった。
「疑ってたんですか? マジか…」
首をもたげる。
「だって…」
「まぁオーナーがオーナーなんで、疑われるのも仕方ないでしょうけど…」
「拗ねた」
「拗ねてませんよ」
「面白い」
いつもとは違うやり取りが楽しい。
(わたしたちって、なんだろうね)
静かな空間にシェーカーの音だけが響く。そこで初めて、今日は店内に音楽が流れていないことに気づく。
(なんだか、余計に緊張する…)
急に落ち着かなくなる織瀬。
「マルガリータですが、大丈夫ですか」
「ぁ、うん。ありがとう」
相変わらずの気遣いに皮肉のひとつも言いたくなる織瀬だが、なにを言ってもうまくかわされそうだ…と、あきらめる。。
「真田くんも、飲んで」
「そう思ったんですが…車なんで」
「タクシーで帰ればいいじゃない」
「送っていけなくなります」
「送らなくていい」
少し憮然な態度。まわりが静かだと、なんだか空気も悪くなるような気がした。
「でも…」
さすがに今日のような日にひとりで返すのは忍びない…のか。
「じゃぁ、タクシーで送ります」
「そうじゃなくて」
胸のあたりがキュッとする。
「…あなたのアパートに行けばいいじゃない、一緒に」
それはやっと絞り出した言葉だった。
我ながらよく言った…と褒めてやりたい。
「え…」
「だめ?」
ちらと、視線をあげるが、顔を見てしまうとより一層胸が痛くなる。
「だめ。…じゃ、ないです。けど、」
あからさまに照れているのが解った。しかし、
「けど? そこで困らないでよ…?」
軽く睨むように頭をあげた。
「いえ。困ってはいません」
視線を逸らす真田。
(赤くなってる…)
そう思うと、途端に恥ずかしくなり、織瀬も再び顔を伏せた。
(音楽って、こういう時大事なんだわ…ものすごく、気まずい)
そんなことを考えながら、胸の高鳴りが耳の奥まで響く感じに織瀬は酔っていた。
「メリークリスマス」
そういって真田が沈黙を破り、自分のグラスを傾けてきた。
「メリークリスマス」
ほっとして、グラスを持ち上げる織瀬。
少しの沈黙のあと、織瀬は真田を見上げ、
「離婚届、出してきた」
静かにそう言った。
「そう、ですか…」
「わざわざ報告することでもなかった…?」
結局織瀬は、幸(ゆき)に会わず仕舞いで、ひとりで区役所へ行ったのだった。もちろん、一緒に行くつもりなどはなかったが、一方的に〈離婚〉を突き付けられた屈辱に対し恨み言のひとつも投げつけてやりたいと思っていた。
「いえ…」
(…嬉しい?)
そう問いたい気持ちを我慢する。代わりに、
「バツイチ…」
そうつぶやくと、
「玲(あきら)さん以外、みなさんそうなりましたね」
との真田の言葉に我に返る。
考えてもみなかった。
「ホントだ…!」
それが今の世の中だろうか。
「まさか、自分がそうなるとは思ってなかったけど」
「大変でしたね」
「どうだろ? なんだか、結婚自体なかったことのように感じるよ」
あとはマンションを引き払うだけとなった今、しかし織瀬の気持ちは意外とすっきりとしたものだった。子どもを引き取ると決めたときから、なんだか憑き物が落ちたように気が楽になったのだ。
いざとなったら、女は強いのかもしれない。

さざれ

「織瀬って、いい名前ですよね」
「なに、突然」
「いえ。名前を書いたんだろうな…と想像したら、思い出したもので」
そう言えば真田は、織瀬の旧姓である『七浦』の名刺を持っていた。
(結果、あのまま使えるじゃない…)
呪いでもかけられたのだろうか…と、今となっては新しい名刺を渡す必要性は最初からなかったのだと思い返す。
「どなたがつけられたのですか?」
「名前? 多分、おばあちゃん…」
本当のところは定かではない。だが、今の織瀬はそう信じている。
「織姫…から来てるんですかね?」
「そうみたいね、7月生まれだから。と言っても、月末だけど」
「気に入らないですか?」
「そうじゃないけど…意味合いがね。織瀬の『瀬』って、浅瀬とか潮瀬とか使われるほかにね〈出会い〉とか〈場所〉っていう意味があるんだって。でも、織姫と彦星は1年に1回しか会えないじゃない? だから、きちんと逢瀬を重ねられるように、想い人にいつでも愛されるようにって」
そう言って改めて「皮肉な名前」だと思う。
「素敵ですね」
「そう? 名前負けしちゃった感じ。それに『逢瀬』っていうと、ちょっとなんだけどね」
人の気も知らないで…と思う。
「ロマンチックじゃないですか」
「いい方だよね」
(でも、現実は…)
「人の出会いって、うまくいかないね」
「オレは、織瀬さんに会えてよかったですよ」
「またそういう…」
恨めしそうに細目で見る。
「あたしの信じた彦星は…幸じゃなかったんだなぁ…って」
余計なことを言ってしまった…と思いながらも、
(そしてあなたも…結局、あたしを受け入れなかった)
2週間前、真田のアパートを訪ねた織瀬は、少なくともそのつもりだった。だが、真田にとってはそうではなかったのだろうか…と、あの日を振り返る。だが、
(また聞けない…)
問いただせない、そうした結果が幸との破局を招いたのではないか…そうは解っていても、もともとの性格からなのか遠慮してしまう。いや、織瀬に限らずともそういったセクシャリティな問題は、そう易々と口にできるものではないだろう。
(それでも…アパートに行くってことはそういうことだとは思わなかったのかしら?)
あの日、意を決して真田のもとに向かった織瀬だったが、自責の念に耐えきれずに結局泣き出してしまった。そして、やんわりと気持ちを受け流されたのだ。少なくとも織瀬はそう感じている。

〈どうして…〉
どうして抱いてはくれないの?
〈わたしのこと、嫌い? それとも魅力がない…〉
精一杯の言葉で真田を求めたつもりだった。
〈そういうことじゃないんです〉
真田は、最初からそういうつもりではなかったのだ。少なくとも、あの日は、
〈じゃぁなんで…!〉
〈織瀬さん。今オレが抱いたら、オレの前から消えるつもりじゃないですか〉
〈ぇ…〉
なにも言えなかった。
〈もう…! どうして! そんなこと…っ、そんなことどうでもいいじゃない。あたしが望んでいるのに、〉
真田には、なんでもお見通しなのだ。
(なんで…なんで、みんな…あたしを)
真田の前では下手な小細工も、遠回しな駆け引きも、なにもかもがなし崩しだった。
〈オレは…!〉
しがみつく織瀬を引きはがし、
〈オレは、これっきりなんて嫌なんです! もう…っ黙ってみてるのも、人にとられるのも嫌だ。手に入れたら放したくない。すべてオレのものにしたい。だから!…いなくなるのは、勘弁してください〉
〈章悟くん…〉
〈ずっと好きだった。あの雨の日から、ずっと。忘れられなかった。どんな女と付き合っても、あの日のあなたの涙がオレを引き留める。どうしようもなく…だからと言って、力もなにもないオレにはあなたをどうすることもできなかった。ただ、見てるしかできなかった。ウェディングドレスのあなたを見て、焦がれて仕方がなかった。だけど、壊せない。奪えない。ずっと、ずっと、だから、いなくならないで…〉
涙こそ流れてはいなかったが、真田の表情は泣いているようだった。
〈でも、この次会うときは、手遅れかもしれないよ…?〉
〈それでもいなくなるよりはずっとましです   〉
〈ずるいよ…ずるい…そんなのって〉

「なに考えてるんですか?」
「え? べつに…」
「べつに、ですか」
「あなたは?」
「オレは、考えてますよ。織瀬さんのこと」
「また、そんなこと言って…」
織瀬はカクテルを飲み干せずにいた。
(これを飲んだら、帰らなきゃいけない…)
「なに考えてるのか、解らない」
「そうですか?」
(もう…! 今日だって、なんで呼んだの?)
残り少ないカクテルを飲み干し、
「しばらくこれなくなると思う」
そう言って、グラスを真田の前に滑らせる。
「どこかに行かれるんですか?」
当然の質問に、
「年明けに子どもが生まれるの」
なるべく普通のことのように返した。
「子ども?…ですか」
だれの…と問われる前に、間髪入れず、
「そう。わたし、養子を迎えるの」
顔を見上げる。
なにを、言われるだろう…と身構える。
「おひとり…で」
「そう。だから忙しくなるから」
しばらくは来れない。そのあとは…言葉が出ない。
確かに、姿を消すつもりでいたのだ。
「それなら今度は、ここではなく、明るいところで会いましょう」
「え…?」
「ここは、赤ちゃんのくるようなところではないですからね」
涙が出てしまう。
「…そうね」
(憎らしい。やさしいのか、バカなのか、ホントに解らない人…)
「日付が変わらないうちに、出ましょうか」
織瀬のグラスを引き上げ、真田はカウンターのこちら側に出て来た。そのままレジ脇の公衆電話へと行き、タクシー会社に電話をするのだろう。
(このまま、帰りたくない)
椅子を降り、荷物を持たずに真田のあとを追う織瀬。
「タクシー30分以上かかるそうです…」
顔を見なくて済むように、電話を終えた真田の背中に手を添え、
「今日も、抱かないつもり?」
消え入りそうな声で訴えた。
「え…」
振り返ろうとする真田を制するように、手のひらに力を込める。
「わたし、もう既婚じゃない」
そこが引っ掛かっているのではないか…と思いたかった。
「そういうつもりでは」
振り返る真田を見上げ、
「わたしだって…女よ」
それでもやはり、顔が見れずに、胸に額を押し当て、
「今日を逃したら、…ん   」
あとはない…と、決意のひとことを述べようとして掬われるようにして唇を塞がれた。
涙があふれる織瀬の顔を両手で覆い、今度は軽くはないキスをする。
ズキン…と、胸に痛みが走る。
「ちょ…なん…」
なんでこんな時に、キスなんか…言おうとすると、
「それ以上あなたに言わせるわけにはいきません」
そう言って真田にキツく抱きすくめられた。
「だって」
涙が止まらない。
「今日は帰りません」
「…でも」
「あなたも、帰しません」
「え…」
心臓が、壊れそうなほど高鳴る。
「オレも、行ってきましたよ」
織瀬を抱きしめたまま、真田は静かに言った。
「どこに?」
「内野さんのところに、ケジメをつけに」
少し胸を押すと、真田は腕をほどいてくれた。
「なんで…内野代表?」
「あなたを『渡さない』と、言ってきました」
言いながら利き手ではない左拳で、自分の左頬を殴る仕草をする。
「うそ…」
「今日、内野さん、会社にいなかったでしょ?」
「うん。なんだか金曜あたりから機嫌が悪くて…そしたら、週末から『台湾に行った』って…聞いてる」
「台湾? そんなに遠くに行けとは言ってないんだけどな」
バツが悪そうに頬をかく。
「どういうこと?」
「オレが行ったことで、面白がって織瀬さんのこと突かないように『しばらく姿消してくれ』って言ったんです。聞くとも思わなかったけど、まさか台湾まで行くとは…」
「なんでも『普段使わない筋肉使ったから、マッサージに行ってくる』って、電話があったって」
「使わない肌肉…?」
真田はそう復唱し、
「おじさんには、キツイ運動だったのかな…」
ぼそりと、独り言のように答える。
「運動って…なにしたの?」
「オレ、あの人とは、簡単に切れない縁があるんで。黙ってるわけにはいかないんです」
「縁?」
「はい。今日はその話はやめておきます。せっかくの夜、邪魔されたくないんで」
そう言って真田はポケットから鍵を取り出した。
「え!?」
「黙って殴られてやった代わり、一番いい部屋、用意してもらいました」
「それ、うちで持ってるハネムーン向けバンガローの鍵…?」
手作り結婚式が売りのゲストハウスだけに、披露宴のあと新婚旅行に出掛ける利用者もそれほど多くはなく、企画として、敷地内の大きなバンガローをハネムーン用に貸し出すことがあるのだ。
「なかなか予約取れないのに…」
右手で口元を抑える織瀬。
「そこは、職権乱用でしょ」
その手を掴み、
「もう、紳士ではいられませんよ」
そう言って真田は、今度は優しく抱きしめた。
「あたしは、紳士のあなたが好きだけどな」
「努めますけど、保証できません」
真田のむき出しの男を見るのは初めてかもしれないと思った。
「ねぇ…」
「はい…」
「タクシーがくるまで、ずっとこのままなの?」
30分は来ないと言った。
織瀬は真田の腕の中で、くすくすと笑いだした。
「それも、そうですね。…飲み直しますか…?」
腕を放した真田の顔は照れるどころか、ゆでだこのように真っ赤だった。
「笑わないでください」
「だって…ふふっ」
(かわいい…)
「あたし、そら豆が食べたいな」
「かしこまりました」

そら豆

翌日、織瀬は夕方近くになってから吉沢産婦人科医院を訪れた。もちろんそれは『観劇のオスカル』こと〈花村弥生子(やえこ)〉を見舞うためだった。
「ごめんなさい。遅くなっちゃって…」
ソファに落ち着きそういうと、
「別に毎日様子を見に来てくれなくてもいいのに…」
そう言って出迎える弥生子(やえこ)ではあったが、ベッドではなくソファに腰かけていた様子から、最近では織瀬を待ち遠しく感じているようにも見えた。
「あなた、わたしがひとりでいるからって憐れんでるわけじゃないでしょうね…」
目を細めながら、皮肉めいた言葉を述べ面倒くさそうに立ち上がるも、自前のティーセットは準備万端とばかりで、当たり前のように湯気が立っていた。
「そんなこと…。今日は、報告もあったから」
そう語る織瀬に、いつも誰から届けられているのか、ちょっとしたお菓子が用意されていることもある。
「ふ~ん。別にいいけど…クリスマスプレゼントなんて、わざわざよかったのに。ぁいたた…」
織瀬にカップを手渡し、お腹の下の方を抑える弥生子。
「大丈夫?」
「大丈夫よ。最近動きが激しくてね、足の付け根がきゅっと痛くなるのよ。…あなたのことが解るみたい。喜んでるのよねぇ『ママが来た』って」
そう言ってお腹に話しかける。
「そんなことが解るの?」
「解ってると思うわよ。わたし、あなたのことよく聞かせてるから」
「へぇ…」
途端に織瀬は嬉しさに頬が緩む。
「あなたもちゃんと話しかけなさい」
そう言って、自分もソファの隣に腰かけた。だがすぐに立ち上がり「なんだか落ち着かないわ」と、織瀬を見下ろし、流れるようにベッドの上のラッピングされた袋を一瞥、
「あなた、なにかあった?」
と、鋭い視線を投げかけた。
「え?」
「なんだか…」
含んだ言い方をし、舐めまわすように織瀬を見る。
「輝いてるわ」
「別に…」
言われて「別に」ではないことはすぐに察する弥生子。
「特別な意味はないの」
と、プレゼントに対する言い訳をする織瀬に、
「気持ち悪い」
疑うようなまなざしを向ける。
「わたしはこの通り、ここから出られないし、当然プレセントなんてないわよ」
「そんな、そういうつもりじゃなくて。いつも手ぶらだし、なんとなく…」
じっと見られていると見透かされているようで落ち着かない織瀬は、視線を落とす。
「それにいつも、お茶いただいてるし…」
思い付きでカップを持ち上げるも、
「それはついでだもの」
あなたの為だけじゃないわ…と、弥生子は再び隣に腰かけた。
「あなたがたまたまわたしのティータイムにやってくるだけよ」
フン…と、まるで女子高生のようなツンデレっぷりで、
「それに、今後もあなたとかかわるつもりはないわよ。お友だちごっこはわたしには邪魔な要素だし、女子高で全部卒業したの。子どものことにしたって、いっさいね」
相変わらず突き放すような言葉を吐く。
「解ってます」
なにか余計なことを言われる前に…と、織瀬は弥生子の方に身体を傾け、
「今日は、正式に〈離婚〉したことを伝えようと思って」
「あら、そう。よかったじゃない。…ぁ、わたしには関係のないことだけれど、必要のないしがらみはさっさと断ち切った方がいいわ。邪魔になるだけだしね」
「うん。おかげさまで、身も心も軽くなりました」
「あら、わたしはなにもしてないわよ。言いたいことを言っただけ。だってあなた、じれったいんだもの。いろいろ」
いろいろ…と強調していうあたりが弥生子らしい。
「年内には生まれそうにもないから、あなたも少しはご自分のことをなさったら? 暇じゃないんでしょ? これから忙しくなるでしょうから。ベビーを迎えるのだって、いろいろ入用よ? 準備、わたしにプレゼント買ってる場合じゃないのよ」
憎まれ口を叩いても、それは弥生子の優しさだと解る。
「遠慮なく、そうさせてもらいます。年内中に引っ越しもしたいし…」
「そう。わたしも静かにお正月を迎えることにするわ。…と言っても、ここ、あまり静かなところじゃないんだけどね」
そう、ここは産婦人科医院だ。年中無休で妊婦が訪れる。
「昨夜も真実さん、夜勤でもないのに夜中に呼び出しを受けたみたいだし。そのあと赤ちゃんが3人」
「3にん!?」
「キリストの誕生日は、赤ちゃんもあやかりたいものなのかしらね」
お腹をさすりながら皮肉めいたことを言う。そうしてついでのように、
「あなた、産んでほしい日付なんかある?」
「どうして?」
「ここにきて筋腫が育ってきてるみたいで、出産時に大量出血の危険性もあるから〈帝王切開〉に切り替えるかって話が出てるのよ」
「そんな…」
「まぁ、わたしはどちらでもいいんだけどね。早くすっきりしてここを出たいわ」
「体調になにか問題でも?」
途端に不安がる織瀬に、
「やぁね、違うわよ。のんきなあなたたちを見ていたら、早く仕事がしたくなっただけよ」
「筋腫は、出産と同時なの?」
「そんなわけないじゃない。耐えられないわ。〈子宮筋腫〉の手術は、産後の様子を見て、よ」
「そう…」
「ちょっと、そんな顔しないでよ。だから嫌だったのよ、あなたに言うの。…いたた。ほら、蹴られたじゃない。ママは臆病ね」
お腹に向かって話しかける。
「そんなことないですよ。…触ってもいい?」
「どうぞ。しっかり話しかけて、我が子に…」
我が子に…そう言われ恐る恐るお腹に手を当てる。
「結構かたくなってるね」
「おもしろいでしょ」
織瀬はそっとお腹に顔を近づけ、
「待ってるからね、あかちゃん」
「あら、まだ名前決めてないの?」
「だって。わたしが決めていいの?」
「当り前じゃない、あなたの子なんだから」
実は、織瀬の中にはもう、候補の名前があった。だが弥生子の前では、なんとなく遠慮していたのだ。
「…頼りないかもしれないけど、あなたに会うのが楽しみ」
そう言ってさすってやると、
「…ぁ」
「わかった?」
「うん。タッチされた、みたい」
「ママには優しい子みたいね。わたしには容赦ないのに」
そう言ってお腹を見下ろす。
「ふふ…そうかな」
「しあわせそうな顔しちゃって」
「え?」
「安心したわ。ここ最近で、一番いい顔してる。…あなたいつも、お腹に触れてもおっかなびっくりで、こっちが心配になるくらいだったから」
「そんなつもりなかったけど」
「そうだったのよ。でも、あなたにはそれ以上にいいことがあったみたいね…」
「え?」
「もしかして例の…?」
彼…と言われる間も与えず、
「それ以上は勘弁して。本当に、なんでもないし、これからもどうなるか…」
慌てる自分が墓穴を掘っているとは思わない。
「ま、いいけどね」
肩目を吊り上げ、なにか言いたそうではあったが、それ以上は弥生子も突っ込んではこなかった。
「それじゃぁ、今度は年明けになると思うけど…」
「えぇ。だからって、元旦早々からやってこないでよ。静かに迎えたいんだから」
「はいはい…」
そう言って織瀬がドアに手を掛けた瞬間、
「織瀬さん」
神妙な面持ちで声を掛ける弥生子。
「はい…?」
「その…。プレゼント、ありがとう」
織瀬はニコリと微笑みだけを残して、ドアを閉めた。 


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まだまだ未熟者ですが、夢に向かって邁進します