見出し画像

自己紹介とか

こんにちは、たーぴょんです。僕は昭和55年うまれのアラフォーです。ちょうど40歳。もう人生の折り返し地点はとっくに過ぎたような気がします。じぶんが20歳の頃にみかけた40歳は、なんだかもうすごいおじさん!っていう感覚だったのに、いざ自分がその年令になってみると、まだぜんぜんおじさんなんて自覚がなくって、若者のちょっとお兄さんくらいの感覚です。こういう勘違いおじさんが老害になっていくわけですね。Windows95が発売された翌年の1996年春、高校入学を機にAppleのMacintoshを買ってインターネットの世界に飛び込みました。自分のホームページを作ったりしてましたね。当時は当たり前のことだったけれども、思い返すと恥ずかしいことばかりしてきました。いままでの人生たいしたことは何ひとつ出来てないけど、もう半分以上終わったことだし、ちょっとだけ半生を振り返ってみようと思います。

・うまれたころ

神奈川県横浜市緑区に、父・哲夫と母・豊子の長男としてうまれました。父親は会社員、母親は専業主婦、ともにバツイチ同士の再婚カップルで、ごく平均的な昭和の家庭っていう感じですかね。うまれは横浜といいつつも、本当は2歳になる前にすぐ東京都下の公団団地へ引越したから、横浜に住んでいた記憶はなくて、それでも、いまに至るまで出身は横浜ですって言ってます。その後、ぼくが小学校にあがるのにあわせて、両親が分譲住宅地に家を新築して、東京郊外の街で生活していました。バブル景気にのって独立した父親はいい波乗ってた時期もあったんだけど、バブル崩壊で家族の生活は一気に苦しくなって、僕が小学校を卒業するとき、住みなれた家を手放して、おなじ東京都とはいえ、家のまわりは田んぼと山しかなくて、イノシシが幅を利かすような田舎で糊口をしのぐ生活をするようになりました。ここでの生活は本当にいい思い出がひとつもないや!田舎って暗いし淀んでいるし、頑張ろうとする人を冷やかすようなそういう空気が本当に嫌だな!って思いました。こんな田舎は早く出たいと思っていたけど、特別なことは何も思いつかなくて、悶々とした日々を送っていました。何がっていうよりか、いろいろぜんぶが駄目だったなぁって思うや。中学時代は黒歴史!

・ティーン

それならちゃんと勉強して都区内の高校へ通えばよかったのに、受験勉強もせずに、推薦入試でのこのこ地元の公立高校へ入学しました。肝心なところで頑張れないのは、今に至るまで自分自身のだめなところですね。片田舎の高校に通学して、高校3年間はブラックバイトにあけくれ、ちゃんと勉強しないまま高校を卒業するから、なんとなくで大学受験をしたものの受からず、特にすることもないから予備校で浪人生活をしていました。無気力極まれり!当時は、山一證券や北海道拓殖銀行が破綻して、日本経済がいちばんどん底だった時代で、父親は宅配便配達の仕事をかけもちして、ぎりぎり家族を養っているような状況だったから、親を頼りにすることは出来ず、自分でバイトをしながら予備校費用と受験料を稼いで生活してましたね。

・両親

両親は、僕が小さな頃からずっと折り合いが悪く、家にいるときはケンカばっかりしてたから、父親もずっとパチンコ屋にいってて、ぜんぜん家に帰ってこなかったですね。そこに追い打ちをかけるようにバブル崩壊で、経済的にも精神的にも大変になり、おたがい一緒にいるのが限界になったみたいで、妹が高校中退して家を出ていったときに、母親も家を出ていって最終的に離婚しました。母親はなかなか強烈な性格で、当時はそんな言葉はなかったけど、メンヘラに発達障害を足し算したような性格で、さらに更年期障害が加わった90年代後半からの数年間は手がつけられませんでしたね。父親はほんと大変だっただろうな。なんとか、子どもたちが成長して家を出るまでやってこれたのは、父親が優しかったからかなって思いもあります。あのときは、なんでこの人たち結婚したんだろう、って子どもながらに思っていたけど、自分も結婚して離婚してみて、いまは両親の気持ちもわかるから、大変な環境でも、大切に育ててくれたことに対してとても感謝しています。ありがとうの気持ちです。

・大学

大学は、都心の名門大学に通えれば良かったんだろうけど、私立大学の高い学費を出せないっていう家庭の事情もあったから(いま考えると奨学金を受けるとかの選択肢もあったんだろうけど、世間知らずな子どもだったなって思うや)、何がなんでも国公立大学にということで、いろいろあったけど適当に勉強して、1年後に琉球大学へ転がり込みました。沖縄で生活してみて、最初はカルチャーショックみたいなのがすごかったです。その後、大学時代に世界旅行へ出るのだけど、世界各地のさまざまな文化の違いも沖縄を経験したおかげで乗り越えられましたね。沖縄に行った話と大学の話は長くなるので、またいつか書こうと思うのでここでは割愛しましょうね。最終的に、ついうかうかと5年の歳月をかけてようやく大学を卒業しました。最後の2年は一生懸命勉強したな。あの時、勉強してなかったら、本当に空っぽの人生だったと思うや。大学までの学びを通じて、そしていまでも強く思うのは、畢竟独学に勝る勉強なしということで、結局は自分で自学自習できる人間が受験だけじゃなくて学校や社会に出ても、すべてにおいて一番強いってこと。良い意味で自己完結できる能力を身につけている人は、ちゃんとしていますね。だから武田塾がやってることは正しい。

・あのとき

いま振り返ってみて、人生の分岐点みたいのものはいくつもあって、そのひとつは高校生の時にブラックバイトをするんじゃなくて、テクノロジー企業にバイトでもインターンでもなんでもいいから、とにかく潜り込んでおけば良かったなって思います。あの頃、Jobsが復帰した直後のAppleや、Yahoo!とか、Googleすげぇ!ってなった時に株買っとけば良かったなぁ!目のつけどころは良かったんだけど、その後証券会社に入ってしまったがために、自分で株式投資できなくなってしまいました。時代の最先端を走り続けなきゃ遅れをとってしまうっていう強迫観念はいまでも消えない。とはいえ、人生にifはないし、もう前半戦は終わっちゃったけど、残された余生をなんとか良いものにできたらいいなって思いながら生きてます。

・社会人

大学卒業後は、適当に世渡り上手なところを発揮して、何の気なしに外資系の証券会社に入社して、体調崩して転職して、そこから外資系の銀行に出戻ったりして現在も金融業界のかたすみでひっそりと生きてます。仕事をしてると、オールドインダストリー、巨大装置産業とか面白くないや!って思うこともあるけど、いま勃興しているフィンテックの流れになんとか食らいついていくか、資産運用業界で生きのびていくかどっちにしようか、いずれにしてもどんどん衰えていく気力体力記憶力に抗いながら、なんとか生きていかなきゃね。

・これから

学生の頃にexblogでブログを書き、社会人になってからはAmebaブログを書いたり、一時はFacebookを使ったりもしていたんですが、結婚して離婚して、ここ10年近くは色恋におぼれ、アイドルとコンカフェの沼にハマって、だらだらと過ごしてきました。気がついたら後がない40歳になってしまい、ひさしぶりになにかアウトプットしていきたいなと思ったので、noteを使ってみることにしました。これから何となく思ったこととか健康のこととか、思い出したら書いていきたいと思います。あと将来が不安で仕方ないので子どもほしいです!よろしくおねがいします!

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?