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パニック障害の記憶#7

敗れることで

それなりにいきていると、敗れることもある。

諦めると似ている部分が少しあるだろう。

人生において、勝組や負組など表現される場合もある。

会社の従業員として働いていくことを1度諦めた。

敗れたのというほうが正しいのだろうか?

会社という組織のなかで、出世欲で表現すれば敗れたのだろう。

敗れることで学ぶこともある。

むしろ、敗れるという工程において重要な部分があると思っている。

パニック障害を約9年患いながら働き続けたことに自信を持ちたいものである。

がむしゃらに働いた時期でもある。

夜の8時頃から4時間かけてクレーム処理にも何回もいった。

日帰りで帰宅することもあっただろう。

往復やく10時間である。

深夜が多かった。

あまり薬との相性が車の運転とは良くない。

休日出勤もよくしたものである。

パニック障害になる前も、がむしゃらではあったが、それ以降もがむしゃらであった。

その工程から、会社の従業員、労働組合副書記長という立場を諦めた。

そして、現在にいたる。

・人生の目的がみつからないから、そんなそんなものを見つけようとするのはやめる

・がむしゃらになれないから、がむしゃらになるなんてことはあきらめる

・どうせ真剣に努力できないなら、努力しようとなんて思わない

・成功しようと本気で思えないなら、成功したいなどとは考えないほうがいい

          『人生の目的がみつかる魔法の杖 西田文郎著』より


諦めた後で観える景色

成功とか失敗とか徹底して諦めたあとに観える景色もあるものである。

感動したいものである。

感動する心を見つけにいきたい。

汚れた心を洗いたいものである。

大自然に例えよう。

大自然の前では自分の存在がちっぽけに思えるものである。

大自然の前では人間は無力であろう。

最近、山に登っていない。

・大自然と比べたら、自分はなんとちっぽけな存在なのか

・私とは、大自然という大きな命の中で生かされているという存在に過ぎない

・自分もやがて死んで、その命の中に溶け込んでいく

・としたら、いまこの命をどう使ったらいいのか

感動した脳はそれまでの理屈とは、違うレベルで考え始める。




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