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"伝える"とはどういうことか?

日常的な会話や仕事上でのやりとりだけでなく、何かの教えや伝承,果てはチャネリングした内容であっても、何かを"伝える"ということは、それを「なるべく教えられた通り,降りてきた通りになるべく歪めないように周りに伝えること」が重要だと、世の中を見ていると俺には感じられるが、本当にそうだろうか?
ここでは「何かしらの思想や教えを後世に伝える」といったニュアンスの"伝える"に重点を置いて述べていきたい。

まず、これは大前提として100%一次情報を歪めずに周りに伝えることは出来ない。だからこそ、なるべく歪めないように、また伝えたい要点を絞って(絞った時点で相当歪むやろというツッコみはなしでw)伝えるなどを意識するのだろうが、それがそもそもズレている。

教えや伝承をそのまま周りに伝えようとするのではなく、その教えや伝承を基にして自分で「これはこういうことか?」と解釈してみて、その解釈した自分なりの仮説を基に色々と実践してみる。すると、どういう形であれ結果が出る。その結果という経験から自分が最初にした解釈や理論は「この部分はズレていそうだが、この部分はあながちズレていないな」などと教えや伝承の意図を自分なりに汲みとり原点に立ち帰ることで、より教えや伝承の解釈が深まる。

これを繰り返していると、教えや伝承の表面上の言葉と、自分なりの解釈した仮説の理論の言葉は全く異なったものになる。他人からは表面上全く異なったもののように見え、全く違うことを言っていると思えるだろうが、本人からすれば「本質的にはほとんど同じことを言ってるつもりなんだけど?」となる。これは表現の言い換えとも訳が違う。表面的には表現の言い換えでも通るが、これは結果論である。

そして、これこそが教えや伝承を伝えるときの重要なことではないかと俺は思う。

昔の言葉をそのまま伝えるのは「伝える」ではなく「遺す」である。ありのまま”遺す”ために有用なのが文字だったり絵だったり、要は目に見える形にすることなのだ。何かを遺すとき、そこに解釈や意図を汲むことは必要ない。その遺された形を見た人間が新たにその意図や解釈を加えて理解を深めることに役立つし、形が遺っていれば世代,時代を超えて歪みのない何かを遺すことが出来る。ただ、何かを目に見える形にするときには、(精神の氷山モデルを参考にした個人的仮説として)目に見えない様々な思想が土台となって目に見える形は表出されるものと考えており、これに則って考えるとその目に見えない思想的土台は失われることになる。だから遺された形を見る者の思想的土台の深さや程度によって、その遺された形への解釈は千変万化する。ただし遺された形自体は意図的に消されたり加筆されたりしなければ変わることはない。

伝えるというか、より今風に表現するなら発信する?ことは遺すこととは違う。伝えることで大事なのは自分なりの実践を踏まえた上で構築された個性的な仮説なのだ。要約してしまえば”自分の話が一次情報となること”こそ伝える上で大切なことなのだ。

だから人との会話,何かの動画や投稿でも「誰々がこう言ってました」「SNSにこんな情報がありました」等の誰かの話ありきのものなどクソ中のクソということになるのだ。また、そういう情報に対する感想も一次情報にはならないだろう。それはただの感情論だからだ。感情論がダメなのではなく、感情論"だけ"なのがダメなのである。

ここまでを踏まえて1つの例を考えてみると(例が特殊過ぎるが俺が経験してきたことなのでw)、チャネラーが降ろしてきた内容を伝えるというのは全くの論外なのである。それはどんな内容をチャネリングしたか?という所に問題の根があるのではないのだ。

もし本当にチャネラーだとして、そいつに何かが降りてきたとしたら、その内容を偉そうに喋り散らかすのではなく、その内容を自分で解釈して自分なりに実践して得た経験から、このチャネリングした内容ってこういうことなのかもしれないと解釈を深めることで、もはやチャネリングした当初の上っ面の言葉とは違う内容に深化するのではないだろうか。だが、チャネラーなど自分が承認欲求の塊であることを自覚出来てないカスなので、何か降りてきた!と思ったらそれを「こんな素晴らしい言葉を降ろした私スゴイでしょ?」と言わんばかりに周囲にお伝えしていくことからは逃れられないのである。またその内容を「すご~い♡」と言って真に受けるBAKAが大量発生する為に、どうしようもない世界がますます拡がっていくのだ。

結局のところ、どんな外側の情報も自分なりの実践を経由することで、一見同じような内容であっても質的にそれは異なるということだ。
そしてそこにはただ経験を通して思ったことだけでなく、なぜそう思うに至ったのか?の土台の論理までも自ずと出来上がっているものであり、その感覚と論理が合わさって初めて人は"何かを伝える"ことが出来るのだろう。



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