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【随筆】浅間さんの不思議を考える 富士の麓に住まう人々への思い

伊豆修験道と富士村山修験道

 熱海の伊豆山神社に詣でた時のことだ。朱塗りの社殿のある場所から、右手に奥まったところに資料館があった。そちらを訪ねてみると、小さいながらなかなか見ごたえのあるものであった。
伊豆山郷土資料館というのが正式な名前のようだが、そこには伊豆山権現に似た立像などがあった。解説を読んでいくうちに、伊豆一帯が「伊豆辺路」と呼ばれる修験道の聖地であったことを知った。
 伊豆一帯の修験道の研究は、國學院の深澤准教授のグループが精力的に行っているようだ。近々國學院のこの本を手に入れ、じっくり読んでみたいと思っている。

 この修験道の開祖は、役行者こと役小角であるが、この伊豆修験もその伝説に彩られている。伊豆山と富士山は、聖地パワースポットとして特筆されており、密教の曼荼羅、両界曼荼羅の出入り口とされているようだ。日本におけるいくつかの地質的な力のある場所をとらえたものだと思う。
 修験道について、そこまで詳しく勉強はしていないので、正確な表現ではないが、厳しい自然の中で、超人的な力を得ること、神に近づくことを目指していると思う。どちらかというと、他人のためにというより、自らが神となる、神に近づくという、仏教でいえば小乗的なものだと思っている。
 ただでさえ生きていく、生き延びていくのに辛い世の中であったろうに、あえてさらに厳しい修行に臨んだ修験者の思いは何だったのか、平和で飽食の時代に生きる私たちには、想像のつかないことのようだ。

 伊豆の修験は、長く聖地として受け継がれてきたが、富士の修験も平安時代末期から盛んになってきたようだ。それが、末代上人によるものだと知った。
 前回のnote「熱き水が走り出す熱海 岩戸山に登って修験道をプチ体験」にて末代上人のことについて触れた。

末代(まつだい、1103年(康和5年) - ?)は、平安時代村山修験の祖。富士上人とも。名は有鑑。駿河国の出身。

Wikipedia

 この末代上人により、富士宮市にある村山浅間神社を起点とする村山登山道が富士山修験道として整備されたようだ。
 この村山浅間神社は、数年前まではあまり目立たない神社であったが、富士山が世界遺産となったころから、非常に注目され、今は駐車場や看板が整備され、構成資産としてそれなりの観光客をも集めているようだ。

パワースポットらしく巨木が多数存在する

 境内には、富士修験道の時代の痕跡が色濃く残っており、みそぎ場であったり、護摩壇が残っている。南を見れば富士市街から駿河湾が一望できる場所であり、特別な場所として長く使われてきたことが分かる。
 今でも山開きの神事はここで水垢離をするなどして行われているようだ。
 ここで富士山に登る準備をして、この裏手の村山登山道(今は、荒れているが、近年地元の有志が復活に向けて動いているらしい)から、登って行ったのだろう。登山道を上った記録があったので、参考までに。

浅間神社に祀られる神様の謎

 静岡に住んでいるせいもあるが、周りには浅間と名の付く神社が多数ある。先日の【紀行文】火山がつくった奇景~大室山と城ヶ崎海岸 でも、簡単に記した通り、大室山には大室山浅間神社があり、そこにはほとんどの浅間神社で祀られているコノハナサクヤヒメではなく、姉のイワナガヒメが祀られている。

伊東の大室山(山焼き前)

 これは、【登山記】足がすくむほどの眺望〜伊豆松崎の高通山と烏帽子山 で紹介した雲見浅間神社と同じで、伊豆半島のこの2社は、イワナガヒメを祀る変わった神社として有名である。

 また、先日山梨の釈迦堂遺跡を訪れたついでに、立ち寄ったのが甲斐の国一宮の甲斐浅間神社だ。ここは、富士の噴火を収めるために創建された神社であるが、なぜか本殿が富士山の方角を向いていない不思議な神社である。
 この記事は、【紀行文】土偶の洪水! 縄文人の祈りに共感した釈迦堂遺跡博物館の最後に記してある。

甲斐の国一宮の甲斐浅間神社

 特に狙って行ったわけではないが、縄文や心惹かれる場所にいくと、そこには浅間神社があったということだ。浅間神社となったのは、後代のことだろうが、少なくとも神を感じる場所として、大昔から聖なる場所として認識されていたのだろう。

 伊豆一帯の地には、おそらく朝廷に対しては敵対勢力があり、その勢力は隠然たる力を持ちつつも、徐々に朝廷勢力に組み入れられていったと思われる。神々の名前や古事記の話は、そうした大和朝廷が地方勢力を勢力下に入れ、または配下にしていった歴史を現したものだという説がある。
 浅間大社・神社に祀られるコノハナサクヤヒメは天皇家につながる神でああり、霊峰富士をあがめるほとんどの神社で中心的な祭神となっている。
 しかし一方で伊豆地域に、天皇家に嫁がなかったイワナガヒメが祀られ続けているのは、ずっと大和朝廷に反抗し続けた人々の名残ではないかと思う。
 また、伊豆や富士山麓に修験道として隠遁し、超人的な力や神に近づくことを望んだ人々がいた、それが長き世にわたって伝えられてきたということは、何か隠された歴史やロマンがあるのではないかと、漠然と思う。
 平地に稲作を行い、富と武力を保有する弥生系の人々と昔ながらの狩猟や漁業・原始的な農耕で暮らす縄文系が、長らくそれぞれの領域を守りながら共存してきた地域だったのかもしれない。 

富士宮浅間大社の中に古墳? パワースポットを見つけた

こちらは富士宮浅間大社
特徴的な浅間造の本殿

 富士山浅間大社は、何度も訪れているが、訪れるたびに良い場所だなという清々しい気持ちを持つ。
 特に湧玉池の付近が好きなのだが、その池の少し奥まったところに天神社がある。その名の通り、天神様=菅原道真を祀った神社なのだが、そのさらに奥にどうやら古墳があるらしい。

湧玉池 清澄な湧き水が混々と
天神社 奥が立ち入り禁止の杜となっている
古墳もあるとのことで昔からの聖地なのだ


 一般人は進入禁止となっているため、立ち入らなかったが、この地において最初に聖なる場所としてのエネルギーを感じ、古墳や集落が作られたのだと思う。

 富士宮浅間大社において、本来ご神体は富士山そのものである。元の浅間大社である山宮浅間大社には、今でも本殿はない。この浅間大社は、806年に現在の地に遷座したとされている。

身近な浅間さんにも謎が多く調べる程に面白い

 山宮浅間神社には、まだ訪れたことはないが、ハイキングがてら一度行ってみたいと思う。その時は、また【登山記】にて記してみたい。

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