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【紀行文】土偶の洪水! 縄文人の祈りに共感した釈迦堂遺跡博物館

一面の土偶に大興奮! 釈迦堂PAからのアクセスも可

 静岡県の御殿場市と小山町の境にある須走を通り、東富士五湖道路から山中湖あたりに入ると辺りは一面の銀世界だった。数日前に首都圏の交通網を遮断した大雪の影響だろうか。山中湖から河口湖そして釈迦堂遺跡に向かう御坂道を進むにつれ、道路両脇の雪の壁は高くなっていった。
 道はしっかりと除雪され、ノーマルタイヤでも問題なく走ることが出来るが、歩道を歩く人は大きな雪の塊を避けながら歩いている。
 途中、北口本宮富士浅間大社御師の家にも立ち寄ろうとしたが、雪が歩道にあり立ち往生しそうだったので、あきらめた。また来ることもあるだろう。

 今回の目的は、中央道の釈迦堂PAからもアクセスできる釈迦堂遺跡博物館だ。簡単に事前に調べると、中央高速道路工事に伴い、この地区一帯で遺跡と大量の土偶が出土した。あまりにも特異な遺跡だったため、本来であれば保存したいところだが、高速道路事業ということもあり丁寧な記録保存とすぐ近くに博物館を立てることになった、そういうことだった。
 高速道路経由で行くことも考えたが、釈迦堂博物館立ち寄り後の道程を考えると、下道でもよいかと思い、河口湖ICから下道で釈迦堂遺跡へ向かった。降りて1時間かからない程度で着いた。
 途中とおった御坂道は、河口湖から笛吹市に至る山の中を通る難路であり、おそらくここを通って御殿場そして箱根方面に物資が運ばれたのだろうと思った。

博物館前から 前方にあるのが釈迦堂PA

 釈迦堂遺跡博物館は、あたり一面が果樹園のところにぽつんと立っている。あたりを見回すと、ピラミッドのような山があり調べると「蜂城山」というらしかった。釈迦堂付近は典型的な扇状地で博物館前から釈迦堂PAそして一宮市、笛吹市、山梨市あたりがよく見えた。
 車では気づかなかったが、京戸川という川が流れているらしい。
 そうした住みよいところに集落が自然とできたのだろう。小高い丘のような場所であり、とても見晴らしがよい。
 博物館前では、巨大な水煙式土器が迎えてくれた。

巨大な水煙式土器が迎えてくれる

土偶の洪水 よく整った展示室

 さっそく二階の展示室に向かった。
 展示室は、さほど広くはないが透明なショーケースに整然と並べられた土偶の数々が迎えてくれる。まさに土偶の洪水だ。

チャーミングなネーミング
一つ一つの土偶のお顔をじっくりと
土偶の洪水 ここには1116もの土偶があるそうだ

 主要な物には、一つ一つ名前がついていた。これがなかなかチャーミングで面白かった。
 ここでは、無数の土偶の様々な表情を拝むことが出来る。作り手の個性というのだろうか、見ていて飽きないものがある。稚拙な物も交じっており、子どもが作ったと想像されるものもあるそうだ。
 動物の土偶コーナーがあり、これがまた愛らしかった。動物の土偶は、祭事や呪術に使用したであろう食物としての獲物だけでなく、手慰みに作ったような愛玩・ペットを形作ったものがあるようだった。子供向けのものだとしたら、まさに今の親子の情に通じると思った。
 ほかに、黒曜石、ヒスイなどの展示もあった。

黒曜石は縄文中期で和田峠産のようだ。ヒスイは糸魚川だろう

土偶は壊されたのか?

 この釈迦堂遺跡には、1116体もの土偶があるそうだ。群を抜いた数の土偶があり、そのどれもが「壊されている」らしい。
 しかも接合できるパーツが遠く離れたところから見つかることもあり、破片そのものが持ち歩かれた形跡があるとの解説もあった。

土器についているお顔は女神だそうな
女性の豊満な部分を取り出したような土偶は多くある

 土偶は多くが女性をかたどられているものであり、それが壊されているというところから、大地母神の神話とのつながりあるとの説がある。日本神話で言えば、イザナミの神生みやオオゲツヒメの件、またお稲荷さんとして知られるウカノミタマも食物の神である。
 特にオオゲツヒメは、スサノオに食事を提供するが、その出どころを見られて殺されてしまう。殺されてしまったところから、様々な食物などがまた生まれてくるという話になっており、それになぞらえた行為=破壊だともいえる。
 女性を象った土偶については、多くがこの豊穣の願いを込めた呪術であったのだと思う。ただ、その他の土偶も多くあり、また女性の土偶に出産の意味を込めたのであれば、破壊となじまないような気もする。
 答えは出ないのであろうが、いろいろと考えてみるのは楽しいものだ。

土器の文様でいろいろ想像して楽しむ

展示室の奥には、林のように深鉢形の土器が並んでいた。水煙式土器を始めとした複雑な紋様の土器が興味深く、何を思ってこの紋様を刻んだのか、そう想像すると楽しかった。

有孔鍔付き土器の解説もあった。和太鼓の原型か?
水煙文を見ると水の渦に喩えた人の感性わかる。エネルギーが循環するようだ

 すべて曲線と縄目で括ってしまえば、蛇や蛙に見えないこともないが、幾何学的な配列があったり、そうかと思えば左右非対称にわざと作ったのではないかと思われる文様もあり、考え始めれば、答えは出ないとわかっていても面白いものだった。
 ただいくらかの法則性はあるようで、別の展示室だったが、「サイン」と認識できるようなものもあるそうだ。縄文時代には文字がなかったといわれるが、もしかしたら気づいていないだけなのかもしれないと思った。

複雑な文様 蛇がのたうち回っているようにも見えなくもない

黒曜石のふるさとまでの道程

 釈迦堂遺跡は付近の山からの扇状地が広がる場所で肥沃で住みやすい土地だったのだろう。現在は果樹園が一面に広がっているが、縄文のころは点在する村落がみられたのかもしれない。
 ここ釈迦堂遺跡でも八ヶ岳山麓周辺、特に和田峠付近の黒曜石が見つかるようだ。博物館の二階の見晴らしの良い場所には、こんなものがあった。

ちなみに釈迦堂桃花(しゃかどうももか)さんという名前のようです

 黒曜石のふるさとまでの距離だ。
 そこまでの往復距離を歩いたものもいただろうし、八ヶ岳から出てきてここに住まうことにした者もいただろう。星降る八ヶ岳を遠く見ながら、土偶に何か思いを込め生活していたであろう縄文人を私は見たような気がした。

扇状地を見晴らす恵まれた地形だった


おまけ:不思議な甲斐一宮の浅間神社へ

 このあともう少し足を延ばして、甲斐一宮の浅間神社へと向かった。車で15分ほどの距離だ。

甲斐一宮とあるが思ったよりも小規模だ

 浅間(あさま)神社とあるからには、コノハナサクヤヒメ=富士山を祀る神社なのだが、ここの特徴は、社殿が富士山のほうを向いていないことにある。貞観(平安時代の859~877年)の富士山噴火を鎮めるために建立されたが、その際富士山が噴火しても社殿が被害を受けないようにするため向きを変えたという。

右手に見えるのが社殿であり、本来の向きから90度曲げてある

 私は本当にそうだろうかという疑問を持った。
 ここは本来別の神社であり、その神社は今の社殿が向いている方角すなわち八ヶ岳や甲斐駒ヶ岳方面の神様を祀っているのではないかと。 

方角を調べると八ヶ岳や甲斐駒ヶ岳のほうを向いているようだ

 一方で、神社の片隅に山宮という場所があり、これは富士山のほうを向いている。ただ、ここは遥拝所で本当の神社の本体は、同じ方角にある山の中腹にある立派な神社ということだ。
 これが富士山を鎮める用のお社、機能であり、本来の社殿は何か別のものを祀っているのではないかと思い、いろいろ調べてみたが、特にそのような説が見つかるわけではなかった。 

山宮神社は遥拝所、つまり遠くの山中にある本体の神社にお参りするためのものだ

 すぐ近くには陰陽石がひっそりと置いてあった。注連縄やお神酒を献じた跡があり、今も地元の人々に大切にされているようだ。山梨といえば丸石信仰があり、強烈な石への思い入れのある地域。
 これもりっぱなご神体だと思った。

うむ。りっぱなご神体 左手の陰石はやや小ぶりだ。

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