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【登山記】熱き水が海へ迸るから熱海! 岩戸山は修験道の聖地か⁉️

熱海の岩戸山は、日金山と伊豆山の中間にある

 静岡県の熱海でもっとも有名な山は伊豆山権現としても知られた「伊豆山」であろうか、それとも十国峠で有名な「日金山」か。
 ほかに伊豆スカイラインのICから近い玄岳なども捨てがたいが、知名度から言うとやはり伊豆山に軍配が上がるのかもしれない。
 伊豆山は、伊豆山権現を祀り山岳修験道の聖地として、その名を知られた。別名「走湯山(そうとうざん)」ともいう。これは、現在も走り湯として知られる横穴から噴き出る熱水が、古代は地獄の様相を呈しており、ここから修験道の聖地としてあがめられていったということに由来するとか。
 現在は、伊豆山神社となり、伊豆山権現は別のところに祀られているが、この伊豆山権現は、もとは近くの日金山に祀られていたという。この日金山から伊豆山をつなぐラインは、伊豆修験道の主要なルートであったに違いない。
 このルート上にある山が、今回登ってきた「岩戸山」である。

伊豆山神社の入り口。頼朝と政子の大看板が目立つ

 岩戸山へは、静岡県東部の子どもは一度は行ったことがあるであろう、姫の沢公園のアスレチックコースをから分岐し、笹の広場に向かった先の稜線にある石仏の道から行くことが出来る。
 詳しくは、下記のpdfファイルを参考にされたい。

https://www.igaitoatami.com/202103atamiwalkyama/pamphlet/2206jukkokumap.pdf

姫の沢公園のアスレチックコースの途中から分岐

姫の沢公園は、ツツジやシャクナゲなどの花も季節によって楽しめるが、園内に設置されたアスレチックコースが有名で、私も、そして娘もお世話になった名コースだ。

姫の沢公園のアスレチックの一つ
アスレチックコースからの分岐

 今回は、2月の寒いさなかだったので、早咲きの河津桜を見ながら、アスレチックコース上を歩き、途中から笹の広場方面の急登を行った。
 突如として開けた稜線上から、南方に熱海の市街と遠くに初島などが見える。眺望の開けた良い場所だ。

少し登るとこの景色に出会える
なだらかな石仏の道を歩き岩戸山方面へ

石仏の道は、湯河原から日金山まで続くハイキングコースであるが、その最後のほうに合流する形になる。
 石仏の道を日金山方面に少し歩くと分岐があり、そこから右手に入っていくと岩戸山方面だ。歩きやすい木立の中をグングン進んでいくと、30分ほどで岩戸山の磐座のような場所に着く。

分岐の標識
気持ちの良い木立の道をゆく

約30分ほどで磐座(?)へ。近道との分岐を経て頂上へ

 ここで近道と通常ルートとあるようだ。今回の登山は、姫の沢公園入口からここまでわずか1時間ほど。少し物足りなかったので、遠回りとなる通常ルートを選んだ。こちらは、少し下りとなり、山を巻いて登っていく道だ。
 岩戸山から伊豆山神社方面に抜ける道があるようだが、ここだろうか。
(後日調べると、この道からは現在通じておらず、いったん岩戸山山頂から別の道に下るようだ)

 岩戸山の山頂には、木製のテーブルが一つ置いてあり、三等三角点があった。山頂の広場は狭く、10人もいれば満杯という体だ。
 眺望は素晴らしく、初島はもとより大島までが見えた。この日はあいにくの天気ではあったが、空気が澄んでいたのか、初島が隈なく見えた。 

眼下に初島 遠くに大島も遠望できる

 軽い食事をとり、戻ることにした。近道とあった方のルートをとったが、なるほど近道であり、しかも大した急登でもなかった。通常であればこちらを歩く方が、楽かもしれないと思った。

岩戸山は磐座か

近道の標識 その向こうに見えるのは磐座か。

 岩戸山山頂から近道ルートを下り、分岐に戻った。振り返ってみると、岩戸山の山頂自体が一つの大きな岩のように見える。私は直感的にだが、ここは磐座ではないかと思った。
 岩戸山という名前自体が表す通り、天岩戸と何か関係がありそうな気がする。伊豆山神社に祀られているのは、火牟須比命(ほむすびのみこと)、天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)、栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)、邇邇芸命(ににぎのみこと)ではあるが、もとは伊豆山大権現が長く祀られていた場所であり、古代道教と神仙道が融合した修験道の神が支配する地であったと思われる。

伊豆山神社の社殿

 熱海の由来となったとおり、また走湯山という名前が記す通り、山から熱い湯が噴き出す地獄であったというのが古代の姿であろう。そこに火の神を見たのは想像に難くない。
 長く様々な崇拝対象が入交ったせいで、その大本が分からなくなっているが、熱い湯が吹き出す霊場一体を聖なる場所として認識しており、そこが人々が神秘を感じた根幹であることは間違いないと思われる。

末代上人が作った富士山信仰

 今回の山行以前、石仏の道の分岐の先、日金山方面には以前登ったことがある。霊場であった古きゆかしき道であり、なかなか見ごたえがあった。
 日金山には、東光寺という寺があり、ここは今の伊豆山神社の本宮だったといわれている。ひっそりと佇むお寺であるが、その昔は、熱い崇敬を受けたようだ。このお寺の近くに、末代上人という富士山修験道を興した方が開いた地蔵堂があり、末代上人を祀った宝篋印塔(供養塔)もある。

末代上人宝篋塔

 この末代上人のことは、最初の日金山のハイキングの際には、あまり気にしなかったのだが、ここ数か月ふと立ち寄ったいくつかの「浅間神社」であまりにもよく聞く名前なので、調べてみた。

末代(まつだい、1103年(康和5年) - ?)は、平安時代村山修験の祖。富士上人とも。名は有鑑。駿河国の出身。

Wikipedia

末代上人は、今に続く富士山信仰や冨士講などを作り上げた人物であるようだ。今後、勉強してみたいと思う。

伊豆は、隠された歴史の人々が生きる地であったのか

 伊豆一帯は、朝廷のある西国から見れば、へき地であったであろう。とはいえ、当時から富士の山は尊崇の対象であった。
 役行者のころから伊豆は、日本の古層の神と大陸から流入した道教が混交した修験道の聖地であった。そして当時の支配層であった勢力とは、生活スタイルが異なる人々や敵対する人が暮らす「異界」だったのかもしれない。
 それらについては、また別のnoteで考えることとしたい。
 私は、平地に稲作を行い、富と武力を保有する弥生系の人々と昔ながらの狩猟や漁業・原始的な農耕で暮らす縄文系が、長らく共存してきた地域だったのかもしれないと思った。
 伊豆一帯の修験道の研究は、國學院の深澤准教授のグループが精力的に行っているようだ。近々國學院のこの本を手に入れ、じっくり読んでみたいと思っている。

ハイキングのあとは、熱海の温泉で疲れをいやす

 今回の登山後は、熱海市内に戻り予定していた日帰り温泉に浸かった。
 至る所に温泉があるので、どこに行ってもよいのであろうが、駅近くの手近なところに、湯宿一番地というところがあり、なかなか良かった。
 せっかくだから、温泉でゆっくりと疲れをいやすのが、熱海でハイキングの定番だろう。帰りに仲見世でお土産を物色するのもよい。ただ、昨今熱海は、一時の閑散が嘘のように、大勢の若者観光客で込み合っている。人気のお土産を買うには少し時間を覚悟しなければならない。
 しかし、熱海が人気になって本当によかったなあ、と静岡県民としては思うのであった。


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