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僕はきれいごとを言い続ける。

「人にやさしくしよう」
「一生懸命やろう」
「嘘はつかないようにしよう」
「自分の頭で考えよう」

教室で伝えていることは、きれいごとだと思っている。

でも僕はきれいごとを言い続ける。

きれいごととは?

きれいなことではない。
きれいごとは、当たり前のこと。

「人にやさしくしよう」
「一生懸命やろう」
「嘘はつかないようにしよう」
「自分の頭で考えよう」

これは、別にきれいでもなんでもない。
当たり前のことだ。

じゃあ、自分は何を当たり前と捉えているのか?

目の前の子供に何を当たり前と捉えてほしいのか?

どんな力をつけたいのか?

どんな力をつけてほしいのか?

子供が、当たり前のことを当たり前と捉えられるように、何をさせるのか?

「何をやらせるか」からは逃げられない

どこまでいっても、先生は子供に何かを強制することから離れられない。

その怖さをちゃんとわかった上で、きれいごと=当たり前のことを伝え続けなければならない。

何を強制するか。
何をやらせるか。

何かをやらせるには、覚悟が必要だ。

覚悟はさせられるものではなくするもの。

覚悟を決めるために・・・

この時に大切なことは、「しこう」することだ。

志向→試行→思考→試行→思考…と、ぐるぐる回す。

志向【こうありたい】

試行【やってみる】

思考【考え続ける】

具体的な実践として #心マトリクス #けテぶれ #QNKS にたどり着くのは自然なことだったのかもしれない。

提唱者の葛原先生のnoteはこちら

自分は子供に何かを強制することのできる存在である。

そこを自覚した上で、

「子供達にとって何が1番大切なのか?」
「子供達の可能性を最大化するために何が1番大切なのか?」

まっすぐに、誠実に、問い続けていきたいと思う。

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変革5M!

追伸。

いくつになっても、褒められる、認められるのは嬉しいものです。
ありがとうございます!

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