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生きづらさを抱える人が『本当の自分』を見つけるのは足し算ではなく引き算

『本当の自分』と言う言葉を聞くだけで
自己啓発本を読み漁った日々が脳裏によみがえり
ちょっとウッとなってしまうたちばなですが、
今日は本当の自分に辿り着かせてくれるのは
足し算ではなく引き算だと
気がついた話をしていきたいと思います。

前にも書いたのですが、
私は認知レベルでは
ハッピーハッピー人間だったにもかかわらず
長年自己啓発本を読み漁っていました。

今思うと、頭では自分は恵まれているって
思っていても、なんかつらいな…
なんでだろうな…って
ずっと感じていたんでしょうね。

その自己啓発本ですが、
基本的に足し算なんですよね。

筋トレするといいとか…
ヨガをすればいいとか…
瞑想すればいいとか…
ジャーナルを書けばいいとか…
1日の計画を細かく書くといいとか…
水泳とか、
散歩に行くとか、
絵を描くとか、
楽器を弾くとか、
旅行に行くとか。

いや、全部間違ってはいないんですよ。
全部楽しいし、健康にもいいし、
続けたらまずいいことあると思います。

(私の場合は過覚醒で何事もやりすぎるので
ヨガや水泳ですら怪我しましたが)

しかし、一日24時間ですよ。
できないですよねこんなに。

それでまた挫折して、
あー自分はダメだあ…
本は間違ってない、
ちゃんとできない自分が悪いんだ
っていうループですよ。。

しかし、トラウマケアを始めて
これ全部足し算だったな、と。

つまり、すでに自分の中にある
生きづらさを減らそうとするんじゃなく
ポジティブなものを外から足していこうとしていた。

それも大事だし、
それ自体はいいことなんですが…

生きづらさを感じている人って、
自分では何もしていないって思っても
割と常に生きづらさとすでに
24時間ずっと格闘しているんですよね。

ぼーっとしてるのも
恐怖などの生きづらさから逃げるため。

疲れ切っているのも過覚醒のせいだったり。

なので、ポジティブなものを入れる隙間が
あまりない。

例えば今生きづらいという気持ちを
どうにかするためにやっていることが
甘いものを食べることだったら、
なんとかそれの代わりにヨガに行ったり、
と言うことは今ある隙間の量によっては
ギリギリ可能だったりするんですよね。

外から見たら、甘いものを
あまり食べなくなって
ヨガに行くようになったから、
問題は全解決したように見える。

でも実際は、そもそも甘いものを食べていたのは
生きづらさから逃げるためだったので、
生きづらさ自体はまだそこにある。

ただ一時的に、甘いものではなく
ヨガ(または『ヨガに通えている自分』や
周りからの褒め言葉)に
逃げることが出来ているだけ。

なので例えば、仕事が忙しくなったり、
親と喧嘩したりすると
ヨガという甘いものを食べるよりもはるかに
コストと労力が必要なことは出来なくなって
甘いものに戻っていってしまう。

そして自分を責める…。

そして自分を責めてしまう気持ちが
自分に溢れてしまっていて、
もう自分の中に余白はないのに、
もっとポジティブなものを足したらどう?
と言われて、なんで自分は
他の人がやっていることが
出来ないんだろう…と落ち込んでしまう。

本当は、ポジティブなものを詰め込む前に
自分の中に溢れている

『なんで出来ないんだ』
『やっぱり自分には無理だ』
『自分はダメな人間だ』
『だから見捨てられる』
『見捨てられないように
頑張らなければならない』
『もう疲れた』

といった生きづらさと向き合って、
きちんと話を聞いて、
今まで無視してごめん、
今まで無理させてきてごめんと謝って、
それらのパーツにリラックスしてもらって、
自分の中の余白を増やしていくことが
必要だったのに。

余白があって始めて、
じゃあそこに何があったら嬉しいかな、と
思えるようになる。

余白があって始めて、
私は何をしている時
満ち足りているんだろう?
という『本当の自分』のことが
わかってきます。

家の中がごちゃごちゃで
ものを置く隙間もない時は、
どんな素敵なソファだって
欲しくなれないですよね。

まずはおうちの整理整頓から。
そして家の中にあるものと
きちんと向き合わないと、
整理整頓も出来ないし
家の中のものは増えていくだけ。

そして整理整頓をする気力もない時は…
寝たっていい。
甘いものを食べてもいい。
ゲームをしたっていい。

ぜんぶ、あなたの一部が
あなたを守ろうとして
やってくれていることなんだ、と
試しに「ありがとう」と言ってみてくれたら
とても嬉しいです。

いつも読んでくださって
ありがとうございます。

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