競合的な世界で生きると言うこと
心理学の世界って、
とにかく親との関係を重視して、
あまりきょうだい間の関係については
話さないことが多いのですが、
きょうだいの関係って
とてもその家庭の本質を
映し出していることが多いと
個人的に思っています。
とても良いご両親に見えるのに、
きょうだい間の仲が悪かったり、
きょうだい間で非常に意地悪なコメントや
無視が頻発していたりするのは、
親の愛情というリソースが不足していて、
その家庭内の文化が協力的ではなく
競合的になっているサインかもしれません。
ここで、ん?となった方もいるかもしれません。
そうです、これ、かの有名なアドラー心理学の
アドラーさんが使ってる用語です。
えっいきなりアドラー心理学?
と思われたかもしれませんが、
実は私、アドラー心理学も好きです。
確かにトラウマ治療には
そんなに向いてないかも…
とは思いますが、
アドラーさんはとても
愛に溢れている方という印象で
哲学者としても尊敬しています。
そのアドラーさん、家庭というのは
子供が生まれて初めて所属する、
最小単位の『社会』だとおっしゃっていまして。
その社会で、子供は社会とは
どう言った場所なのか、そこでは
どうやって生きていけばいいのかを
学んでいく、ということですね。
なのでその家族が『協力的』…つまり
家族の外に発生する問題に対して
家族みんなで支え合って、守りあって
生きていこう、という態度だと
実際に社会に出たときも
出会った人を『仲間になるかもしれない人』
として肯定的にみることができるのですが、
それが『競合的』な家族であると、
家族間でリソースを奪い合ったり、
家族に加害されないように
強者に迎合(媚びることですね)
しなければならなかったり…つまり
『誰も信用できない、自分以外はみんな敵だ』
と学んでしまい、社会に出たときも
周りの人間は『今は自分を攻撃していなくても
いつ裏切るかわからない存在』と認識して
安心できなくなってしまいます。
これは体で学んだものですので、
認知ではなかなか矯正するのが難しく、
体力がある時は抑えられていても
疲れていたり、体調が悪かったり、
又は攻撃的な言動を目にすることで
幼少時に感じた恐怖が蘇ってしまい
『頭ではわかっているのに
体が追いつかない』と言った
生きづらさに繋がっていきます。
つらつらと書いてきましたが、
自分が競合的な家族で育ったか
わからない、という方もいると思いますので
いくつかのサインを書いていきますね。
負けることが怖く、
負けるという可能性を排除するために
挑戦することをやめてしまう自分より何らかの面で優れている人を見ると、
嬉しくなるより焦ってしまう自分の価値はよく理解していると感じている
人間関係は基本的に
各々の価値の物々交換だと感じている自分より上の立場の人間は、嫌いになるか
非常に憧れるか両極端な場合が多い人を無意識に『自分より上か下か』で
カテゴライズしてしまいがち。
あれ、自分こういうところあるかもしれない…と
思われたら、自分のきょうだいとの関係を
思い出してみても面白いかもしれません。
それまで自分の性格だ、と思っていたことは
単に家族という、一番最初に属した社会に
適応した結果なだけかもしれません。
いつも読んでくださって
ありがとうございます。