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滅私奉公タイプに開業届けのすゝめ/自分の価値を考える

今日は冬至です。

春分の日に開業届けを出したので、なんとなく二十四節気を意識してしまいます。

今日からどんどん日が長くなるんだと思うと、今日はなんかいろいろ書いてまとめるだけの日にしてもいいかなという気分です。
そと寒いし。

日本のこと昔から好きなのです。
だから日本語教師もやったし、教材作りもなぜか伝統工芸の後継者サポート、に関心が向いています。

で、勢いでというか直感で

多文化共生サービス

として開業してしまったのですが、進めながら走りながら、その枠を固めてきた感があります。

日本好き、確かに英語塾とか日本語レッスンとか、翻訳とか海外関係のことをやってる。

でも、自分の価値が活かされる「多文化共生」って、そこだけじゃないんだよなーと改めて実感中。

もともと「グローバル」って意味の多文化じゃない!ってことは言語化できていたのだけど、

普通の生活のなかでの多文化、における自分ができること

が言語化しきれずにいて。

結局作業としては好きじゃないんだけど「翻訳者」なのかなと最近思う。

<介護や自分の過労>
 ・病院や行政に伝えること、機関が必要な情報はなにか
 ・利用者が伝えたい症状、希望、不安に思っていることは何か
 ・元気でないとき何ができないのか、どう普段と違ってケアが必要なのか
 ・元気ではないとき健康時と同じ理解度・継続等がどうしてできないのか

<学校や学び>

・学校に行かない、行けないの裏に隠れているものはなにか
・クレームではないが意見を伝えるためにはどうしたらいいか
・学校や行政がそわなくてはならない制度はなにか
・学校や行政がわかっていない実情はどこか

<うつや、PD>
・何が無理でなには大丈夫なのか
・別に仕事が嫌いなわけではない
・怠けたいわけではないので、合う環境が見つかれば仕事自体はスムーズ
 だったりするので、どういうことが身体的・精神状態的に無理なのか
・サポートしてほしいのはそこではなくコレ!

みたいな。
苦しんでる悩んでいる最中って、それに対面しているエネルギーの方に向けなきゃならないから、それを「わかりやすく言語化」したりサポートが受けられるように行政などに「説明する」っていう余力はない。

だからほんとは公的サポートは、そっちから見つけに来なきゃいけないのに、そのニーズを見つけられる能力のある人が少ない。

わたしだって、そこの困りごとから抜けきってはいない。だからこそ、言語化できる部分がある。

きっとすっかり抜けきってしまったら、ちょっとニーズがわからなくなったりするんだろう。それはそれで自分の健康としては理想だけれど。

お金やリソースを持っていて、ニーズが理解できないひとと、
困っているけれどそんなの説明する余裕のないひとの橋渡し。

本音としてはそんなとこ。でも、社会貢献のように滅私奉公してしまう性格は、自分のエネルギーが枯渇してしまうから、開業届けを出すことはプラスだった。
「経営」として対価なし、に動くべきではない、と自分をコントロールできるようになったから。


自分の価値を対価を頂いて、ちゃんと活かす。
という意味では、現時点の自分の価値は

サポートに限らず、

☆講座や事業の価値に気付かれていない方たちに
教材作成や言語化、サイト化、その他サポートのなかで
価値を外在化、ご自身にも社会にも「存在するもの」として
提示すること☆


なのかなーと思っております。

まあ、自分が成長していったら、またすこしずつ変わるかもですが。
いまはそんなとこ。

個人的には開業届けを出したほうが、判断に迷うことなくなったので正解だったようです。


    

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