赤福

赤福です。ニックネームの由来は三重県伊勢市生まれで当地の名物からとりました。ある一部上…

赤福

赤福です。ニックネームの由来は三重県伊勢市生まれで当地の名物からとりました。ある一部上場企業で役員を15年間やっていました。役員として事業統括、経営企画、人事、法務、M&Aを担当、実践経験の中で皆さんにアドバイスできることがたくさんあります。

最近の記事

道しるべ(3)

【成功のキーファクター】  私自身がサラリーマンとして一応成功したキーファクターの一つに強烈な好奇心(CURIOSITY)があったと感じています。  1970年代後半、出向から帰任すると上司との折りあいが悪く(生意気?)仕事もそんなに与えられていませんでした。暇に任せて生産性本部に財務管理の資格取得に通っていた私ですが、たまたま社宅のお隣の先輩と懇意になり(遅刻仲間)、ある「商品プロジェクト」に誘われました。会社の主力商品は差別化しにくい製品で、競合とは「品揃え、メーカーイメ

    • 道しるべ(2)

      【49番目の私】  私が「とある製造業(当時一部上場企業)」に入社したのは1975年、オイルショックの翌年です。オイルショックと聞いても今の若い人はピンと来ないかも知れません 笑。  中東戦争に起因する石油危機で日本では20%を越える物価上昇、市中にトイレットペーパーや洗剤がなくなる騒ぎまでありました。日本経済、金融の構造変化点にもなった年でもありました。  現在のコロナ禍、ウクライナ危機の状況と似ていて、当然企業業績は落ち込み、74年夏に内定をもらった私たちは、会社に「無理

      • 道しるべ(1)

         コロナ禍でノートを少し休んでいました。私「赤福」は1953年生まれ、1975年に大学を卒業し、とある製造業(東証プライム)に入社しました。この6月、すべての役職を終え、約半世紀に渡るサラリーマン人生を卒業しました。この間、勤務先(東証プライム)での役員を18年経験、全く畑の違う企業2社(東証スタンダード)での社外取締役を計8年間経験しました。この3社ともいろいろな事がありましたが、業績、株価とも一段階レベルが上がり、少しは貢献できたのかな?と思っています。  これまでの経験

        • 富岳、富嶽

           コンピューターの「富岳」が世界一になったとのニュースが飛び込んだ。喜ばしい限りである。どこかの議員さんがNo,2ではだめなんですか?と叫んでいたが、やはり世界一は誇れることである。  「富岳」と言えば「北斎」。2015年秋に、東京目白台にある細川家の永青文庫で開催された春画展に行ったことを思い出した。  日本の浮世絵の大半が海外に流出しており、これを1箇所に集めること、しかも春画だということ、日本では会場に困ったらしい。  当時、永青文庫の細川護煕さんが「春画は日本芸術

        道しるべ(3)

          インド駐在

           サラリーマン人生もそろそろ終わりかけていた2016年の初め、代表から突然の打診があった。  担当役員として指揮していた大型M&Aで買収した会社を円滑に統合するため、現地に行って欲しいという話であった。買収した企業は日本円で売上700億円、社員数4,000名のグローパル企業である。  オランダに本社があったが、実質的にはインドのムンパイにあるグループ会社が本社機能を持っていた。つまり、インドに行ってくれないかと言う話であった。  インド? かなり悩んだ。この時すでに63

          インド駐在

          あの戦争

           また暑い夏がやってくる。コロナ騒ぎも少し落ちつき、例年通り「あの戦争」産経出版社刊をまた読み始めている。  2001年以降、終戦記念日(8月15日)までの約2ヶ月間、いろいろな情報で「あの戦争」を振り返る。もう20年間続けている私の夏の日課である。  私は昭和28年(1953年)生まれで、大平洋戦争を経験していない。また1960年~70年代の私たちの学校教育はまさしく受験用であり、日本史は大平洋戦争の開戦と敗戦に至る状況を、また敗戦後、民主国家として経済成長してきた事を

          あの戦争

          エルロン

           緊急事態宣言が解除され、都内がステップ2に入った6月2日、所用で銀座に行きました。  用事を済まし15時頃、銀座から新橋方向へ歩いていくと通りすがりに、‘’行きつけのバー‘’に灯りがついてました。恐る恐る階段を上がっていくと、そこに3か月ぶりのオーナーの笑顔がありました。  6月からまずは15時~22時まで営業再開、窓は換気のため全開、密に注意して席数は半分、ということ、まずはめでたしです。バーデンダーお二人の雇用も維持されており、さすがのオーナーです。

          エルロン

          令和の高槗是清

          青山通りを薬研坂へ歩いていると「高橋是清記念公園」とあり、何となく気になったので少し寄り道しました。雨の公園の奥にひっそり彼の銅像がありました。なんでもこの公園は彼の邸宅だったそうです。 日本では2.26事件で暗殺された悲運の大蔵大臣として有名ですが、1930年前後の大恐慌後の日本を救った大蔵大臣としては余り知られてないようです。 積極財政と低金利金融政策で国難を救った人物としてアメリカの経済学者の間では高く評価されている人物です。 今回のコロナショックと同様、当

          令和の高槗是清