陰を知っているということ
グアムかサイパン
グアムとサイパンは人気のビーチリゾートだがみんなどちらかを選択するもので、一度の旅行に両島を訪れようと考える人はまずいない。
『どちらの島に行くといいかな?』
という質問をされる事が多くその都度私は島の違いについて説明しているのだが、極端な考え方をすると「ある事を楽しむ」か「ない事を楽しむか」という話になってくる。どちらも似たような楽しみはできるが島の規模が全く違うので先に飽きるのはサイパンだろう。
“飽きる?それは一体どういう了見をしているんだ?!”と理解に苦しんだ方は自由な様式で多くの事を楽しめる方だろうと思うが、興味の幅が狭い人も存在するのでそれを感じた方にはいつもグアムかこの二島以外を薦めている。
“潮騒に抱かれて物を読む... もうそれだけで十分でしょう”という方には喧騒が少ないサイパンを薦めているが、そういう人は楽しみのハードルが低いのできっとどこでも楽しめてしまうからどこかを薦める意味もない。
人それぞれの旅観、旅行観があって面白いものだ。
在るがままを受け入れる旅
私は2009年から国内自転車旅、2013年から海外自転車旅を始めているが、私の自転車旅は起点と終点(通過点)だけ決めてあとは何の目的もなく走っているので、楽しみのハードルが全くないマラソンといった様相を呈している。
何千キロという道中にどんな景色、体験、出会いが待っているかは誰にも分からず、その一つ一つが喜ばしいものとは限らない。私の旅はそっくりそのまま受け入れる、ただそれだけだ。
2019年夏。東ヨーロッパ自転車旅の最後に私が見た光景とは?
ギリシャのアテネで数日過ごし、空路アルバニアのティラーナへ移動した。ティラーナからチェコのプラハまで北上すると1500km程の旅路となるが、私がこの地域を走る事にしたのは何が有名かも全く知らないからだ。先入観を持たずただひたすらプラハを目指している途中に得た結果がこの旅の目的と化していくので、プラハ到着時に自分が抱く感情についても全く予想できない。
ただそれはもう... 言葉も出ないほどに衝撃だった。
豪雨の中、巨木を分け合って雨宿りをしていた老人は、私が目を放した隙に濁流荒れ狂う川へと姿を消していった......
旅も旅行も光と陰を体感する機会はあるが、旅行会社はその陰をできる限り取り除く努力をしてくれている。修学旅行でもあるまいし一年の労働の隙間にある旅行については楽しいばかりで正解だと思う人がほとんどだから。私もそうだったしいずれそこに立ち返る気がしているが、今現在だけの話をすれば、善と悪、光と陰、安心と不安... いかなる事もそっくりそのまま受け入れる準備がある。激しく感情が揺れ動く事に抵抗はなくそれが私の旅と言っていいだろう。
人それぞれの旅観、旅行観があって面白いものだ。
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