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「車でお遍路」第86番札所 志度寺(四国霊場屈指の古刹)
こんにちは、旅いこかです。
四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、86番目のお寺は、
補陀落山 清浄光院 志度寺
85番札所の八栗寺から約7.6㎞、車で約15分の場所、
車でお遍路も、結願までいよいよ後3札所となりました。
気持ちが昂ると同時に、ここ香川県の悟りに至るという「涅槃の道場」を終えて結願成就することが出来るのか不安にもなります。
さて、八栗寺から志度寺までの道程は比較的容易、五剣山を下り国道11号線へ出て高松市からさぬき市へ、そして志度駅前交差点を左折して県道135号線で看板に従って進むと五重塔が見えてくる、さぬき市役所や志度港にほど近い住宅地に佇む志度寺に到着。
志度寺の開創は推古天皇33年(625年)と四国霊場屈指の古刹の札所なだけに多くの物語が残る。
また、境内には四国霊場4札所のみに建つ五重塔がある。
では、四国霊場屈指の古刹「志度寺」へ参りましょう。
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ご詠歌
いざさらば 今宵はここに 志度の寺 祈りの声を 耳にふれつつ
お参りする前に知っておいた方が良い知識
歴史
推古天皇33年(625年)、尼僧凡薗子は、志度港に漂着した檜の霊木で十一面観世音菩薩を彫りたいと念じたところ、閻魔大王の化身が現れ十一面観世音菩薩を彫り姿を消した
そしてこの場所が観音浄土の入口として小さな御堂を建て安置して開基天武10年(681年)、藤原鎌足の子息藤原不比等が亡き妻の墓を建立、「この海辺は極楽浄土へ続いている」という信仰から修行道場として「死渡道場」と名付けた
持統天皇7年(693年)、藤原不比等の子息|房前《ふささき》は、行基菩薩と共に母を供養するための石塔を建立・諸堂を再興し、寺号を「志度寺」に改称
弘仁年間(810-824年)、この地を巡錫中の弘法大師は、諸堂の修復を行う
室町時代(1338-1573年)、守護大名として讃岐国を支配した細川氏の寄進により繁栄
戦国時代(15世紀末-16世紀末)、寺院は荒廃
安土桃山時代(1568-1600年)、藤原氏末裔の生駒親正による支援もあり、慶長年間(1596-1615年)に多くの僧坊を復興
寛文10年(1670年)、高松藩主松平公の寄進などにより再興し現在に至る
「仁王像(運慶作)」の伝説
四国の霊場には、不幸な歴史である天正の兵火という寺院の焼き討ちが起こり、志度寺もその対象になっていた。
土佐の国を支配していた戦国武将長宗我部元親がこの地に入り志度寺に攻め入ろうとした時、馬が仁王門での前で動かなくなる。
そこで、元親が何事かと仁王像を見ると、仁王像に後光がさしていたのだ。
元親は畏敬の念に恐れおののき、兵士に伽藍を焼くことを禁じたという。
「海女の玉取り」伝説
藤原不比等は、唐の第3代皇帝高宗から、父鎌足の供養として3個の宝珠を賜った。
しかし、その宝珠を積んだ船が志度港近くで海が荒れ難破しかけたので、龍神の怒りを鎮めるために宝珠の一つを海中に投げ、助かることが出来た。
不比等はその宝珠を探しに身分を隠して志度港を訪ねるも海底に沈んだ宝珠は見つからない。
のちに、不比等は正妻がいたが、若い海女と親しくなり、その海女との間に房前という名の子供を授かった。
海女は不比等に対し、房前を世継ぎにすることを約束して海に潜り海底で龍神から宝珠を奪い返し、乳房の下を切って宝珠を隠し持ち帰ることに成功。
その宝珠を不比等に手渡したが、その後海女は出血多量で息絶え、不比等は、すぐさまその海女の墓を亡き妻の墓の傍につくって弔う。
不比等は約束通り房前を都に連れていき世継ぎとして育てたところ、
のちに房前は、右大臣である父不比等の実質的な後継者となり、行基菩薩と共にこの地を訪れ、母の供養のために千基の石塔を建立したという。
寺号について
山号について
・・・補陀落は、第38番札所金剛福寺の「補陀落院」でも使われている
「補陀洛」とは、観世音菩薩の理想の聖地であるインドの南海岸にあり、その世界観を示していると思われる寺号について
・・・先述、「死渡道場」という修行道場の名前を「志度寺」に改称
ご利益
御本尊の十一面観世音菩薩
・・・10種の現世利益(十種勝利)と4種の後世利益(四種果報)。(様々な災難、病気治癒、財福授与、勝利等の現世利益と延命、極楽浄土等への後世利益)
御本尊・ご真言
御本尊:十一面観世音菩薩
ご真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
見どころ
本堂 【重要文化財】
・・・初代高松藩主松平頼重公の寄進により寛文10年(1670年)建立、御本尊の十一面観音菩薩立像、脇侍に不動明王像、毘沙門天像、を祀る仁王門 【重要文化財】
・・・本堂と同時期に建立閻魔堂
・・・御本尊の十一面観世音菩薩と同体という頭上に十一の仏さまが乗る珍しい十一面閻魔大王を祀る海女の墓
・・・「海女の玉取り伝説」の通り房前が建立した石塔。現在は二十数基残っている。
その他
以下の場所と言われている。
・保元の乱で流された崇徳上皇がしばらく滞在
・屋島で敗れた平家の落ち武者が一時身を寄せた
写真
次は、第87番札所長尾寺へ参ります。
2022年8月22日投稿
2022年10月12日改訂
合掌
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