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「車でお遍路(キーワード)」崇徳上皇の悲しい生涯と怨霊伝説とは

こんにちは、旅いこかです。

四国八十八箇所巡りをしていると、第79番札所天皇寺第81番札所白峯寺、で、崇徳上皇のお名前が出てきます。

そこで、私が非常に関心を持った崇徳上皇の悲しい生涯と怨霊伝説について記したいと思います。

崇徳上皇の生涯

崇徳天皇は、父である第74代鳥羽天皇の第一皇子として保安4年(1123年)数え5歳(満3歳)で立太子、同日第75代天皇に即位。鳥羽天皇は上皇となる。

その後、崇徳天皇の父鳥羽上皇は、白河上皇が崩御した大治4年(1129年)より院政を敷き権力を握り、長承2年(1133年)頃には皇太后の藤原璋子ふじわらのたまこ(白河法皇の養女)に代わり藤原得子ふじわらのなりこを寵愛、躰仁親王なりひとしんのう(後の近衛天皇)を授かる。

永治元年(1141年)の崇徳天皇が23歳の時鳥羽上皇は、崇徳天皇の本当の実親は祖父の白河法皇と自身の皇太后藤原璋子ふじわらのたまこであったことを知り、崇徳天皇に対して譲位を迫り、崇徳天皇の異母兄弟である2歳の近衛天皇が第76代天皇に即位

鳥羽上皇は、崇徳天皇のことを陰で「叔父子おじこ」と呼び忌み嫌っていたという。

この時、崇徳天皇は上皇となり崇徳院と呼ばれ、鳥羽上皇は法皇となった

結局、崇徳上皇は実権が一切ないまま天皇の座を退いたことになる

久寿2年(1155年)には、病弱だった近衛天皇が17歳の若さで崩御崇徳天皇は我が子である重仁親王の即位を推したが実現することなく、鳥羽法皇の第四皇子、またも弟である後白河天皇が第77代天皇に即位することとなった。

その翌年、保元元年(1156年)に鳥羽法皇は崩御、その際に崇徳上皇は臨終のお見舞いにも対面させてもらえず、法皇から側近に崇徳上皇には遺体を見せないよう言い残していたという。


崇徳上皇は、父親である鳥羽法皇に何故嫌われていたのかも知らず、愛されず不遇な状況に悲しみと悔しさとが入り混じっていたであろう。


そして、鳥羽法皇の崩御を機に、保元元年(1156年)に崇徳天皇は挙兵し後白河天皇との戦い「保元の乱」が勃発、結果崇徳天皇は敗北し讃岐の地に幽閉された。

その後、崇徳上皇は京都に戻りたいとの願いも叶わず、長寛2年(1164年)夏、46歳で崩御、五色台白峰山の御陵に奉葬された。

結局、悲願であった京の都の土を踏むことが出来なかったことを受け、
上皇の求愛篤かった阿波内侍は、御遺髪を請い受けて京都市内(御廟所)に一塚を築き亡き上皇の霊を慰めてきたと伝承されてます。

崇徳天皇御廟3
崇徳天皇御廟


崇徳上皇の怨霊伝説

現実に起きた事象と上田秋成著「雨月物語」の記述は以下の通り。

【現実に起きた事象】

  • 安元2年(1176年)には、第77代後白河天皇の皇太后、第78代二条天皇の皇太后・姝子内親王(近衛天皇の妹)、第79代六条天皇、第76代近衛天皇の皇太后、が相次ぎ死去

  • その翌年安元3年(1177年)頃から京都では延暦寺の強訴、安元の大火、等社会の安定が崩れるような事件、すなわち上皇の怨念による祟りと思われる異変が相次いで発生。

  • その後、御影堂や粟田宮を建てて慰霊に努めた。

  • 慶応4年(1868年)には、明治天皇は自身の即位の礼の際、讃岐に勅使を遣わし崇徳上皇の御陵を京都へ帰還させ、京都に白峯神宮を創建、もと官幣大社として尊崇され今日に至る。

  • 昭和39年(1964年)昭和天皇は、崇徳天皇八百年祭に白峰御陵に勅使を遣わせ式年祭を執り行っている


【上田秋成著「雨月物語」より】

崇徳上皇が眠る白峯御陵に、かつて上皇にお仕えしていた西行法師は、お参りし「上皇の座についてお国のために尽力していたのに今では御陵には参る人もいなく鹿の足跡がわずかに残るだけ」と思い、世の儚さを思い涙して夜通し供養した。

そこに、崇徳上皇の霊が現れ、西行法師に「人間至上の位である筈の天皇の皇位継承方法を許すことは出来ず、父崩御の後に保元の乱を起こした。これからは世の混乱が起きることとなる」と復讐の怨念を語った

西行法師は、上皇の霊に対して仏道の精神で善悪を説いたが、聞き入れてもらえず口を閉ざした。

その後、上皇の霊が語る通り、栄華を誇った平家は滅び、安徳天皇は8歳で壇ノ浦に入水、と復讐の話と少しも違わなかったという

上田秋成著「雨月物語」の「白峰遍」より
崇徳天皇御廟

最後に

崇徳院は、百人一首で有名な最高傑作の一首を残されています。

瀬をはやみ いはにせかるる 滝川たきがはの われてもすゑに あはむとぞ思う

崇徳院

歌意
浅瀬の流れが速いので、岩に一度はせき止められてしまう滝川の水が二つに分かれても後に再び合流するように、恋しい人に別かれても後日必ず逢おうと思う

この歌は、崇徳院の清らかな心で詠んだの歌であり、なんとも心にジーンときます。
崇徳院のご冥福をお祈りします。

合掌


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