「人を責める」のは簡単だけど、安易に簡単な方に流れないようにしたい
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こんにちは、旅人先生Xです。
今日は「人を責めることを安易にしないこと」について、考えたことを書いていきます。
以前も似たようなことを書いた記憶がありますが、改めて最近考える機会があったので、noteにまとめていきたいと思います。
ぜひ、のんびり目を通していってみてください。
目次は、以下の通りです。
①人を責めるのは簡単なこと
人を責めるのはとても簡単なことです。
相手の揚げ足を取ったり、上手くいっていない部分を指摘したりすればいいだけですから、簡単にやることができます。
インターネットなどで誰かを批判したり、誹謗中傷をしたりするなどといった「人を責める」みたいな事例がよくあるようなので、皆さんも耳にしたり、目にしたりしたことはあるのではないでしょうか。
あれは、人を責めるのが簡単だから起きてしまうのかなと思いました。
簡単さがあまり良くない方向で力を発揮しているようにも感じます。
あくまで私の一個人の考えですが、人を責めるのは簡単だからこそ、気をつけていく必要があるのではないでしょうか。
②簡単なことだからこそ、気をつけなくてはいけない
私、個人としては、その後のこともあまり考えず、ただただ人を責めてしまうというのは、よろしくないのではないかと思っています。
相手を責めることで、気持ちを晴らしているのだとしたら、なおさらです。
もしも気晴らししたいなら、代わりに湯船や温泉に入ってゆっくりした方が有益だと思います。
とはいえ、あまり意識せず、人を責めるみたいなことをしてしまうこともあるかもしれません。
そのため、「相手の気持ちを想像する」ということを意識したり、考えたりする習慣をつけておくのが良いと思います。
例えば、「責められた方はどう思うだろうか」と考えられるようになるといった具合です。
このように想像することができるようになれば、言葉のチョイスや伝え方もきっと変わるんじゃないかと私は考えています。
手軽に自分の意見や考えを伝えられるようになったこの時代、うまくやり取りしていくためには、「向こう側を想像する」という力がセットで必要になるのではないでしょうか。
③逆に、わかろうとすることは難しいけれど…
先ほど②で書いた向こう側を想像したり、相手の気持ちを考えたりすることは、難しいですし、面倒かもしれません。
人を責めてしまった方が、簡単だし、楽です。
でも、だからこそ、簡単にできる「責める」ではなく「わかろうとする」という経験を培っていくことが大切なのではないでしょうか。
安易に簡単な方に流れてしまうのではなく、ちょっと大変でも、想像したり、わかろうとしたりしてみる。
労力がかかると最初は選択肢としてはあまり魅力的ではないかもしれません。
ですが、コツコツと繰り返していくことで、きっと「わかろうとする力」や「わかり合う力」が高まっていくと思います。
もしも、「わかろうとする力」や「わかりあう力」が高まり、人を責めずに済むのなら、そっちの方が魅力的な選択肢になるはずです。
そこまできたら、わざわざ人を責めようと思わなくなってくるのかもしれないなと考えています。
私自身、そこまで経験を積めていないのですが、なんとなくきっとそうなりそうだなと感じますし、そうなっていたいと思います。
安易に簡単な方に流れず、しっかりと自分なりに考えたり、できることをやったりする。
とてもシンプルなことですが、自分の振る舞いとして大切にしたい心構えだなと今回改めて考えてみて、感じました。
皆さんが行動や言動などを振り返る時に、この記事の内容がお役に立てば嬉しいです。
今回は以上になります。
最後までお読みいただきありがとうございます😊
ではまた、次の記事でお会いしましょう。
みなさま、皆様、良い一日をお過ごしください。
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