成長を追い求めすぎるのも考えもの?
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こんにちは、旅人先生Xです。
今日は、「成長を追い求めること」について、考えたことを書いていきたいと思います。
気楽にのんびり、目を通していってみてください。
目次は、以下の通りです。
成長を追い求めすぎていないだろうか
自分を成長させるために色々なことをするのは素敵なことだと私は思います。
日々、自分の考えたことと向き合うながら書いているこのnoteも私が成長のためにしていることの一つです。
しかし、最近、成長について考えていて少し思うところがありました。
それは、「成長を追い求めすぎて凝り固まっていないか」ということです。
ストイックに何かを続けたり、練習したりして得られる成長というものは確かにあると思います。
ですが、肩の力を抜いて、ゆっくりとあたりを見渡すように自分の世界を広がることで得られる成長というのもまた確かにあるような気がします。
こんな風に思ったのは、成長について考えている中で、旅の時のように自然体でありのままを感じるような気持ちで今を楽しむということもまた大切なのではないかという気持ちがふと湧いてきたことがきっかけです。
追い求めることで逆に遠ざかるものもあるというのは何とも言えないジレンマ的な要素がありますね。
そんな矛盾もまた面白いなと思いながら、近頃の自分の考えや行動を振り返ってみるとやや肩に力が入りすぎていたかもしれないなと感じました。
成長を追い求めることだけが自分を成長させる唯一の手段というわけではないと思う
「成長するために頑張るぞ!!」という気持ちは、新しいことに取り組んだり、諦めそうな自分を奮い立たせたりする上でとても大切なことだと思います。
ですが、先程も書いた通り、力をいれて取り組むだけが自分を成長させる手段ではないとも私は考えています。
誰もが自分の気持ちとゆっくりと向き合ったり、休息をとったりすることも大切だと感じているはずです。
成長のために、向き合う。
成長のために休息をする。
だから、これらは成長のためにやっていることだ。
そういうふうにも考えられますが、ただただ自分と向き合ったり、ただただ休息するくらいの方が、成長に繋がるんじゃないかと私は思います。
急がば回れみたいなイメージですね。
感覚的には、のんびり脇道にそれる、ちょっと道を逸脱するみたいな方が結果的に自分の成長や変化に繋がる時もあるような気がしています。
成長を追い求めすぎている状態というのは、脇道に目もくれず、逸脱もせず、ひたすら突き進んであるようなものなのかもしれません。
効率を考えたら、その方が良いことも多いでしょう。
試験の前に、ちょっと脇道に…といって家の掃除をしていてもしょうがないことだってありますからね。笑
ですが、少しばかり長い目で見てみたら、脇道に逸れたり、道から逸脱してみることが思わぬ成長のきっかけになることもあるのではないでしょうか。
肩の力が入りすぎていたな。
成長を追い求めすぎて凝り固まってしまっていたかもな。
そんな気持ちを抱いた時は、ちょっと人生の脇道をして、肩の力を抜いてみるのも一つの手かもしれません。
今回は以上になります。
最後までお読みいただきありがとうございました😊
また明日の記事でお会いしましょう!
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