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強盗を追いかけてはいけない、という旅の「正論」の裏に。

南米のある国で世界一周の旅行中だった日本人の若者が殺害される、という事件が起き、旅人の間に衝撃をもたらしたことがある。

当初の報道では、街頭で強盗にスマホを盗まれた若者が思わず彼らを追いかけてしまった結果、銃撃を受けて殺害された、と伝えられた。後にこの報道は事実とは異なり、若者が盗まれたのはスマホではなくかばんだったことが明らかになるのだが、僕がそのとき驚いたのは、当初の報道を受けたネットユーザーの反応だった。

強盗を追いかけた若者の行為に対して、「非常識」、「考えられない」、「自業自得」といった言葉がネット上に溢れたのだ。

とりわけ旅行好きや海外ツウを自称するような人々が、「南米では強盗を追いかけてはいけないのは常識」と自信満々に発言していることに、僕は微かな疑問を覚えずにはいられなかった。

いや、確かに彼らの言っていることは何も間違っていないだろう。僕もかつて南米を一人で旅した者として、あの地で強盗を追いかけるという行為がいかに危険なことであるかはわかっているつもりだ。

しかし、と思う。本当にその「正論」は、いざ実際に強盗に襲われてしまったときに、迷うことなく貫けるものなのだろうか、と。

先日、冬季オリンピック観戦のために訪れた韓国でのことだ。夕方、金浦空港に到着した僕は、ソウルの明洞に出て簡単に夕食を済ませると、予約しているホテルへ向かうため、鐘閣駅から地下鉄に乗った。

ソウルの地下鉄の車内でも、東京のそれと同じように、乗客たちはスマホを手にしていた。そんな光景を見ながら、僕もかばんからスマホを出そうとした。

しかし、なぜかスマホが見当たらない。

他のポケットに入れたのかと思い、かばんの中のすべてのポケットを探したが、どこにもスマホが入っていない。もうひとつのかばんの中も探してみたが、やはりスマホはどこにもない。

地下鉄の車内で一人、呆然としてしまった。だが、そんなはずはない、と思った。深呼吸をしてから、もう一度慎重にかばんの中を隅々まで探した。

それでも、スマホは見つからなかった。スマホをどこかで紛失してしまったという事実をもう認めるしかなかった。

気持ちが激しく動揺していくのを感じながら、僕は頭の中で時間を巻き戻していった。

……確か、鐘閣駅への階段を降りる直前、広場のベンチに座って、スマホでメールとTwitterへのツイートをしたはずだ。それを終えると、スマホをかばんの中へしまい、地下鉄の駅へと向かった。そこまでは間違いない。

そのあと、誰かにスマホを盗まれたのだろうか? いや、それはありえない。すでに夜遅い時間だったこともあり、地下鉄の駅も車内も人は少なかったし、もちろん僕のかばんに近付いた人なんて誰もいなかった。

では、かばんの中にスマホをしまったはずが、そのまま落としてしまっていた、なんてことはないだろうか? いや、まさかスマホを落として気づかないはずがないだろう。かばんのファスナーもすべてきちんと閉められていたのだ。

となると、スマホをかばんへしまったということが記憶違いで、ベンチの上に置き忘れてきてしまったのだろうか……。その考えが頭をよぎると、「間違いない」と思っていた自分の記憶がかなりあやふやにものに思えてきた。

とにかく、スマホがどこかへ消えてしまった以上、こうしてはいられなかった。僕は次の停車駅で列車を降りると、反対側のホームへ走って移動して、鐘閣方面へ戻る列車に急いで乗り込んだ。

もしスマホをベンチに置き忘れてきてしまったのだとしたら、いま戻ったところでそれはもう誰かに盗られてしまっているかもしれない。でももしかしたら、誰にも気づかれず、スマホがそのまま残されている可能性もあるのではないか。そんな一縷の望みにかけて、僕は鐘閣駅へ向かっていた。

列車のスピードが遅く感じられることに焦りを覚えながら、もしこのままスマホが見つからなかったらどうしよう、と懸命に考えた。

たぶん、まず警察に遺失届を出すことだろう。ソウルだから、なんとか日本語は通じるかもしれない。そして次に、携帯キャリアに連絡して、悪用防止のために機能停止の手続きをすることだ。さらに、端末の探索機能を利用すれば、消えたスマホを探すことができるのではないか。

でも、考えただけでうんざりしてしまった。せっかくの海外旅行の時間を、そんな面倒なことばかりに費やすなんてしたくなかった。

なにより落胆するのは、スマホを持たずに旅を続けなくてはならない、ということだった。ホテルではパソコンを借りることはできるだろうが、外に出れば一切の通信手段を失ってしまうことになる。検索もできないし、地図アプリを参照することもできない。貴重なオリンピック観戦なのに、現地からメールやTwitterをすることもできないのだ。

……なんとかスマホを見つけたい、と思った。いや、見つけなくてはならない、と思った。

僕は諦めの悪い子供のように、再びかばんを開けて、あるはずのないスマホを探し始めた。

そのとき、かばんの中にマフラーが何重にもぐるぐる巻きになって入っていることに気がついた。寒さが厳しい真冬の韓国のため、防寒対策として持ってきたものだった。

そのマフラーを出そうとすると……、ぐるぐる巻きの間からポトッとスマホが落ちてきた。

はぁーっ……、と思わず深いため息をついてしまいそうになった。というか、僕は本当にそんなため息をついていたかもしれない。

あの鐘閣の広場でかばんへしまったスマホは、マフラーのぐるぐる巻きの中にうまい具合に入り込んでしまっていたのだ。

次に停車した駅で列車を降りた僕は、今度は歩いて反対側のホームへ向かいながら、これからはもっとスマホの管理をしっかりとやろう、と心に誓っていた。

ソウルの地下鉄でスマホが手元から消えてしまったその時間、僕はまさしく一種のパニック状態に陥っていた。

スマホを失くしてしまったことによる動揺、鐘閣へ戻る列車に急いで飛び乗った反射的な行動、なんとかスマホを取り戻さなくてはならないという焦り……。

これが単なる「紛失」だからよかった。もしもこれが「強盗」だったら、僕はどんな行動を取ったのだろうか。

自分だったら強盗を追いかけるような真似は絶対にしない、と言い切れるだけの自信が僕にはない。

もちろん、わかっている。強盗に襲われても、絶対に追いかける行為はしてはならない。それは南米のみならず、海外を旅するうえでの「正論」なのだ。しかしその裏側には、それでも強盗を追いかけたい、という旅人の危険な「欲求」が潜んでいる。

いざ事件が起きてしまったとき、本当にその「正論」に則った行動を取ることができるのか。

強盗を追いかけてはいけないという「理性」が勝ってくれるのか、盗まれたものを取り返したいという「衝動」が勝ってしまうのか、それはたぶん、その局面に遭遇したときの自分自身にしかわからないことだと思うのだ。

旅の素晴らしさを、これからも伝えていきたいと思っています。記事のシェアや、フォローもお待ちしております。スキを頂けるだけでも嬉しいです!