#4 今起きている「非日常」のこと
社会人1年目の日記 4日目
こんばんは。だつをです。
今、世間で起こっている「非日常」の出来事。
新型コロナウイルスの蔓延。
それによって引き起こされた、著名人の死。
増えていく感染者。
こうした事態の中で、日本政府は1世帯に2枚マスクを配ることや、所得の減少を条件に30万円給付するなどの対策案を発表した。
これに対して、多くの人がTwitterをはじめとするSNSで政府を非難している。ここに僕は少し違和感を覚えた。
もちろん、国民の立場からするとマスクよりも現金が欲しいし、給付の条件が厳しすぎたりすることは理解できる。
ただ、それを普段政治について理解しようとしていない人が、どんな政策を進めているか知らない人が、自分の身が危うくなった途端に、「そのやり方は間違っている」「そんなことよりとにかく自分を助けろ」と匿名性の高く、守られたSNSのような場所からわめくのをわがままと感じるのは僕だけだろうか。
(普段から政治への理解がある人もたくさんいる。ただ、投票にも行かないような人が言うのは一方的すぎではないか、ということだ。)
もし、コロナが流行る前に国民がもっと政治に興味を持って暮らしていて、毎日のように意見していれば、政府だって国民の状況ややって欲しいことが明確に見えていたかもしれない。(今の対策の良し悪しや対策が他国から揶揄されていることは置いておく。)
今の状況って、普段そんなに仲良くないクラスが、文化祭の時だけ盛り上がって、青春しようぜ!とか言っているのと同じだ。そして、いつも仲良くないから上手くいかなくて、なんでみんな仲良く出来ないんだよって怒っている構図そのものだ。それなら普段からコミュニケーションをとっていればいい。
やっぱり今の日本国民にとって、政治は「非日常」の出来事になっている。2011年、東日本大震災で一度はみんな政府の動向に興味を持ったが、結局日常に根付くことはなかった。同じことの繰り返しだ。
突き詰めると選挙だって「非日常」の出来事だ。この日に選挙があります!っていわれて、とりあえず投票には行かなきゃなぁと思うけれど、選挙が終われば結果なんて気にもとめず、日常から政治が抜けていく。
実際、自分だって普段から政府が何をやっているかについての興味なんてあまりわいてこないし、調べてもいない。だからそういう人たちを批判する資格はないのだけれど。
ではどうすれば日常に政治を溶けこませることが出来るのか。溶けこませる?どこかで使った言葉だ。そうだ、昨日の日記だ。習慣化だ。
政治について考えるということは思考習慣。
つまり習慣化するには6ヶ月を要するとえらい教授は言った。
6ヶ月とは長い道のりだ。
昨日書いた、習慣化するための方法に倣うと、まず政治について細分化して簡単なものから始める。
なんだろう。ニュースを見ること、新聞を読むことが挙げられる。さらに簡単にするとLINEニュースを友達追加するとか?
それだけで政治を考えることに結びつくとは思えないが。
そして、もう一つが自分の時間を選択することだ。スマホで好きなYouTuberを見る代わりに少し政治の動画を検索してみる。タイムラインをスクロールする代わりにTwitterで政治について検索してみる。などが身近にあげられる例だろうか。
そういえば、現在Twitterの上部にコロナの情報が常に出てきており、毎日更新されている。毎日Twitterを開く身としては、非常に簡単にアクセスでき、コロナの動向に興味を持てるため、有効な手段だと思った。
このようなことを政府主体(政府主体かどうかも分からないが。)でコロナ収束後も政治についての発信を国民と距離の近い場所でやっていけば、自然と日常的に国民に政治意識が身につくのではないかと思う。個人的には続けてほしい。
こういうことを考えるようになったのは「遅いインターネット」という本を読んでいるからだ。まだ途中なので詳しいことは述べないが、今この騒動の中で読むべき本だと自信を持って言える。この騒動について考えるにあたって確実に刺激を受ける一冊だ。
興味がわいたら手に取ってみるといい。
思いついたことを順に書いていったので話がまとまっていないし、結局は本の紹介で締めくくることになった。こんな寄せ集めの情報を発信するだけでは、本の著者に怒られるかもしれないが、日記だからそれでも良しとしよう。
それでは、また明日。
少しでも心に引っかかったらサポートしていただけるとありがたいです。それだけでずっと書き続けることができます。自信になります。